22話:バハカリフォルニアクルーズへ
1985年12月には、ヨットクラブで小型船舶1級を持ってる2人とヨットクラブの仲間3人の6人でサンディエゴから7日間の休みを取って、バハカリフォリニアのカボ・サンルーカスまでロングクルーズを計画した。12月4日、朝8時にサンディエゴを出発して、昼にエンセナダについて、昼食をとり、水や食料を補充した。レンタカーでエンセナダの名所の潮吹き岩見学に出かけ午後2時に出発した。
その後、ロスカボスまで2-3日かけて連続クルーズとなるので、手の空いてるものは仮眠して、運行は免許のあるものが3交代制で担当し、その他の人も3交代制で常時2人でカタマランの運行を管理していた。風が、帆を使ってのヨットでの走行の練習も試してみたがカタマランは普通のヨットに比べて安定感があり、帆を張って走行しても高速で走れ、扱いやすかった。
夕飯も2人ずつ、交代でとり、夜12時に、次の2人と交代した。その後、朝8時に、次の2人と交代、予想したよりも速い速度走れたので残り2日でカボ・サンルーカスに着けそうだ。夜は満天の星が素晴らしく、自然の壮大さに感動させられた。特に、アクシデントもなく1日が過ぎて、2日目も、特にトラブルもなく3日目の夕方4時に、ロスカボスに到着した。
到着後、港に船を係留して、2人ずつ、交代でカボ・サンルーカス観光を楽しみ、ヨットに給油して、必要な分の水と食料を買い込んだ。リチャードの第一印象は日射しの強さだった。痛いくらいの日射しでサングラスをかけ、日焼け止めを厚く塗っても日焼けしてしまう程だった。また、乾燥がひどく、保湿剤を塗らないと肌がすぐにカサカサになってしまう。
翌日の8時、カボ・サンルーカスの港を出港し3交代制でカタマランクルーザーヨットを運転していた。数日運転して、このヨットの運転方法にも慣れてきた。リチャードは、今回のクルーズでは夜の満天の星空の素晴らしさに十分満足した。今回のヨットのクルーには大酒飲みがいなくて、トラブルもなく帰れると思っていたが、世の中そんなに甘くない。
カボ・サンルーカスの港を出て4日目の夜、ヨットクラブの仲間のヘンリーが、お腹を壊してトイレから出られないという、アクシデントが起きた。下痢止めの薬を飲んでも直らないようで、痛みは、それ程でもないが困ってしまい翌朝、エンセナダに寄港してタクシーで近くの病院にかかると数日、入院する事になりヘンリーの友人のテイラーが付き添い、2人で陸路、サンディエゴに帰ることになった。
やむを得ず、4人で、エンセナダを後にして、半日後、12月10日、夜5時半にサンディエゴ港に帰って来た。翌日12月11日の昼にエンセナダの病院に残したテイラーから電話が入り下痢の原因は、カボ・サンルーカスのレストランの昼食の時の水がヘンリーに合わなかっためだろうと医者に言われたと話してくれ、明日にはサンディエゴに戻ると言った。12月12日の夕方4時に、ヘンリーとテイラーが来るというので、ヨット・クルーの6人が集まって、クルーズ旅行の話をして盛り上がった。
ヘンリーが、今度から自分の水しか飲まないことにすると反省していた。そして次回のクルーズを来年の3月頃、今度は北上しロサンゼルス、サンフランシスコへ同じ6人のクルー行こうと言うことになった。1985年の12月26日、ヨットクラブで忘年会を開いて、来年のロサンゼルス、サンフランシスコへのクルーズの話で仲間6人で持ちきりだった。久しぶりにリチャードもかなり酔っ払って、タクシーで家に帰ってきた。




