20話:投資と日本旅行1
そこで、日本の富裕層を開拓して、海外の高額な優秀な商品を選び出して日本で販売することに注力し始め、最初は高級車を販売し、宝飾品、ワイン、コニャック、バーボン、ウイスキー、毛皮コート、香水、化粧品、洋服、いわゆるブランド品・ルイビトン、シャネル、スイスの高級時計・・・を日本に輸入して販売していった。
その後、AMD・アドバンスト・マイクロ・デバイセズ株、が思惑通り1982年から上昇し、始め1982年5月10に日4.4ドルで全株を売却して704万ドルで売却、利益が228万ドルで残金が815万ドルになった。その後、またAMD株が下げて、1982年8月9日に3.6ドルで220万株を792万ドルで買い、残金が23万ドルになった。
その後1983年6月27日に16ドルで全株売り9600万ドルとなり、残金合計が9404万ドルになり、利益が4704万ドルで残金合計が11183万ドルとなり、投資予算5000万ドルを残して差額の6183万ドルを安田商事ニューヨーク本社に送金した。リチャードの所に、利益4704万ドルの5%の235万ドルが入金された。
その後1984年4月9日にドル7.8でベライゾンを5百万株買い、残金が1100万ドルになった。1984年5月にリチャードは、昔、母、安田姫子に、疲れた時には、日本の温泉に、当時と言って、長期間、温泉に療養の旅に出ると、元気になって、また、ばりばりと働けるようになると言う話を思い出し、日本への旅を考え、5月7日から10日間の予定で出かける事にした。
5月7日、サンディエゴから成田へ、飛んだ、成田で1泊して、翌日、新宿からロマンスカーで箱根へ行き、芦ノ湖、遊覧船に乗って、湯本冨士屋ホテルに3泊して、その後、小田原から、熱海温泉に3泊し、温泉三昧で部屋でゆっくり休み、疲れを取った。その後、安田商事の橫浜支店を訪問して、安田太郎支店長に会い、日本の有能な若者を集めて、彼らと、より良い日本、世界を考えていきたいと考えていると言う考えを話した。
その時には協力して欲しいと伝えた。それは面白いアイディアだと、協力を約束してくれた。もちろん、アメリカでもサンディエゴに、同じ様な、アメリカの若者NPOを作って、日米にそういうNPOを作り、将来的には、優秀なシンクタンクとして機能させて、未来のビジョンを考えていく手伝いがしたいと話すと、それは、楽しみだと共感してくれた。
続けて、まず、日米にビルを建てて、学生達に、一緒に住んでもらい、学生達自身で、できるだけ自立して生活するようにして、マンションと、大きな食堂、兼、カフェ、会議室を設けて活動してもらおうと考えていると言った。具体的に生活費はどうするのかと聞かれ、そのマンションでの仕事と、20歳、以上になった学生には、投資の仕方を教えて、自分で資産を作る手伝いをしてみたいと言った。
そして、もし、大きな災害の時にはボランティア活動したり、困っている人達への、社会福祉の活動をしてもらいたいと言うと、素晴らしい考えだと思うが、資金は、どうするのと聞かれて、私が現在、100億円以上と1億ドル以上の資産を持っているので、その資金を投じるつもりだというと、そりゃ、すごいと驚いていた。日本での活動については、全面的に協力すると約束してくれた。
その後、実は、まだ、具体的になっていない話で、秘密だけれどと前置きして、安田商事も、成長して、大きな企業に育ち、その恩返しとして、社会福祉部門を作っていきたいと、安田健一社長を始め、役員会から話が出ていて、その社会福祉部門を日米に2つ作る構想があり、一緒にやるのも面白いかも知れないと話してくれた。




