第05話:適性低下(上)
青藍の検査結果の紙を握りしめて、鶸の声が少し細くなった。
「セイラン、おとなになっちゃうの?」
「いや、まだだろ」
「でも、下がってるって、そういうことでしょ」
「そういうこともある、って話」
「やだ」
「ヒワ」
「やだ。セイラン、まだおとなになるなよ」
鶸が青藍の腕を掴んだ。
青藍は小さくため息をのみこんで、それから鶸の頭に手を置いた。
「でも、いつかそういう時も来るだろ?」
「来なくていい」
「俺が決められることじゃない」
「決めてよ」
「無理だな」
「やだ」
鶸の声が少し震えた。明るい色の目が赤くなっていた。泣くほどではないが、泣くひとつ手前にいるような。
青藍は、鶸の頭を軽く撫でた。
「大丈夫だって。お前はたぶん、しばらく平気だろ」
「ボクの話してない」
「うーん」
「してないよ。セイランの話」
「俺の話なら、まだ要面談もついてない」
「でも、適性下がった」
「ちょっとだけだ」
「ちょっとでもやだ」
鶸は青藍の腕を引っ張った。
青藍は鶸に引っ張られながら、困ったように笑っていた。それでも、笑顔の側を鶸に見せようとしていた。
深緋はそれを、テーブルの向かい側から見ていた。
何も言えなかった。口を開いたら、何か違うことを言ってしまいそうだった。
*
夜になって、鶸はわりと普通に夕食を食べていた。
食堂に入る前から「炊き込みご飯だ!」と叫び、いつも通りおかわりもして、肉のトマト煮込みに入ったにんじんは、また青藍に押しつけた。
「お前は好き嫌いがなー」
「だってにんじんだから」
「理由になってない」
鶸はそれを見て笑っていた。さっきまで泣きそうになっていた顔は、もういつも通りになってきた。
深緋は、ご飯は半分くらい食べたが残した。青藍はそれに気づいていたが、何も言わなかった。
部屋に戻る廊下で、鶸は青藍の少し後ろを歩いていた。廊下の窓から夜の光が細く入っている。部屋に戻って、青藍が扉を閉めた。
その音がした途端だった。
「……やっぱやだな」
鶸が、小さく言った。
深緋は振り返った。鶸はその場に立ったまま、青藍の袖を掴んでいた。
「ヒワ?」
「やだ……」
さっきよりずっと子どもっぽい声だった。
青藍は苦笑している。
「だから、まだ決まったわけじゃないから」
「でも数値下がってたんだろ……」
鶸の声がだんだんかすれていく。
「だってセイランだぞ!」
「わかったから」
「わかってない!」
「……わかってるよ」
青藍が静かに言った。そして少ししゃがんで、鶸の頭を撫でた。
鶸はメソメソし始めた。声を殺そうとしているのに、うまくできていなかった。青藍は慣れた手つきで鶸の背中を軽く叩いていた。
深緋は少し離れたところから、それを見ていた。
「ほら、ベッド行け」
「やだ……」
「歩けるだろ」
「歩けない……」
「歩いてるだろ、もう」
青藍は鶸の背中を押しながら、部屋の奥のベッドまで連れていった。鶸は途中で一回立ち止まったが、また押されて、のろのろ歩いた。
「子どもかよ」
「子どもだもん……」
青藍が少しだけ笑った。
「知ってる」
そのままベッドに潜り込んだ鶸の毛布を、青藍が直してやると、鶸は目を擦りながら丸くなった。
「セイラン」
「ん」
「おとなになるなよ……」
「はいはい」
「返事てきとー……」
「寝ろ」
青藍はぶっきらぼうに返す。
鶸は何かぶつぶつ言っていたが、途中から聞こえなくなった。寝息に変わっていく。
部屋が静かになった。
青藍はため息をついて机へ戻った。結果の紙を開いて少し眺めてから閉じ、封筒にしまって引き出しへ入れた。
深緋は自分のベッドに座って窓の外を眺めていた。青藍に聞こえないように、ゆっくり静かに深呼吸をした。鶸の「おとなになるなよ」という言葉が、何度も何度も頭の中で回っている。
そっと横になる。布団に包まって。膝を抱えるみたいに、小さく丸くなる。
「コキア」
青藍の声がした。
深緋は答えなかった。
「コキア」
「……なに」
「飯、残してたろ」
「ちょっとお腹いっぱいだったし」
「そうか」
触れられないガラスのような沈黙が流れた。
机の椅子がきしむ音がした。青藍の気配が、ベッドの近くまで来る。
「コキア」
「うん」
「……大丈夫だから」
青藍の優しい声に、深緋は布団に顔を半分押し付けた。
「うん」
布団の中で小さく返事をした。声が震えたのに気付かれただろうか。
それ以上は言わなかった。言えなかった。青藍も、もう何も言わなかった。
布団の上からぽんぽんと叩かれて、また椅子が軋む音がした。
窓の外で風が出ていた。ガラスが小さくカタカタ鳴った。
部屋の照明は、いつも通り均一に光っていた。換気もよく効いていた。湿り気はなかった。机の上に、検診結果の封筒だけが見えていた。
深緋は目を閉じた。眠くはなかった。ただ、目を閉じていたかった。
鶸の寝息が、静かに聞こえていた。
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