case040:30年前の男
~眞壁芸能事務所~
その日の午後。
「中止してください」
警視庁の刑事がはっきりと言った。
会議室には、眞壁芸能事務所の幹部、イベント運営会社、警備会社。
そして眞壁景子。
特対庁からは屋敷とマリリンが同席していた。
「明日のライブについては、延期を強く要請します」
「5件目ですよ?」
「分かっています」
眞壁は淡々と答えた。
「今回はイベント会場の外で起きた。帰宅途中です。犯人側の行動範囲が広がっている可能性もある」
眞壁は黙って資料を見ている。
「しかも、明日のライブは生配信される予定ですね」
「はい」
「注目度も高い。浜山を刺激する可能性もあります」
刑事が眞壁を見る。
「中止すべきです」
しばらく眞壁は何も答えなかったが、静かに言った。
「……やります」
刑事の眉が動く。
「眞壁さん」
「ライブは予定通り行います」
「景子さん」
今度はマリリンだった。
「さすがに今回は止めた方がいいです」
「分かってる」
「分かっててやるんですか?」
「そうよ」
「5人ですよ」
マリリンの声から軽さが消える。
「5人も顔切られてるんですよ」
「分かってるって言ってるでしょ」
「死人出てからじゃ遅いですよ」
「だから警備を増やす」
「そういう問題じゃ――」
マリリンの言葉を遮るように、眞壁が声を張り上げた。
「あの子たちがやりたいって言ってるの!」
マリリンが止まった。
「……そりゃ言うでしょ。景子さんの前なら」
眞壁の表情が僅かに固まる。
「自分たちのせいでライブが中止になるかもしれない。事務所にも迷惑かける。ファンも悲しむ。そんな状態で社長から『怖いならやめる?』なんて聞かれて、『はい、やめたいです』って簡単に言えます?」
「……」
「景子さんだって元アイドルなんだから分かるでしょ」
少しの沈黙。
やがて眞壁が口を開いた。
「だから、一人ずつ聞いた」
「私は席を外した。マネージャーから一人ずつ意思確認してもらった」
今度はマリリンが黙る。
「それでも全員、出たいって」
眞壁が顔を上げた。
「何か月も練習してきたの。歌も、ダンスも。衣装だって、演出だって、あの子たちもスタッフも、ずっとこの日のために準備してきた」
「だからって――」
「犯人のせいで、それを全部無駄にしろって?」
「私は嫌」
眞壁は言い切った。
「人を傷つける奴のせいで、頑張った子が夢を諦めるなんて、私は絶対に認めない」
その言葉にマリリンは何も返せなかった。
眞壁の左目から口元へ走る傷が、目に入ったからだった。
誰よりもその言葉を口にする資格があるように思えた。
「……頑固」
ようやく、それだけ言った。
「あんたに言われたくないわ」
「タイチョー」
マリリンが屋敷を見る。
「ああ」
屋敷が立ち上がった。
「開催そのものを決める権限は俺たちにはない。警察として中止命令は出せるのか?」
刑事は苦い顔をする。
「現状では、法的な開催禁止までは難しいです」
「なら……」
屋敷は呆れたように深く息をつくと眞壁を見る。
「特務隊からも人員を出す。ただし、警備計画には全面的に従ってもらう」
「分かりました」
「いいんですか、タイチョー」
マリリンは鋭い視線で屋敷を睨んだ。
「仕方がないだろ」
マリリンは腕を組んだまま、眞壁を見る。
「……絶対、勝手なことしないでくださいね」
「誰に言ってるのよ」
「昔から準備しすぎるくらい準備する人に」
「……覚えてたの?」
「そりゃ覚えてますよ」
マリリンが笑う。
「景子さん、そういう人だったじゃないですか。何パターンも想定して、何が起きてもいいように保険かける人」
「アイドルは失敗できないからね」
眞壁も笑った。
「だからこそ、勝手に手を打ったりしないでくださいよ」
◇
翌日。
ライブ当日。
会場周辺には、通常の倍以上の警備員が配置された。
制服警察官。私服警察官。そして特務隊。
一般客は事前登録された本人情報との照合を受け、手荷物検査を通過する。
スタッフも例外ではない。
開演30分前。
ライブ本編に先立ち、会場の様子を伝える生配信が始まっていた。
舞台裏。集まる観客。出演者へのインタビュー。
配信画面には大量のコメントが流れている。
そのころ、会場正面入口には一人の男が列に並んでいた。
帽子。マスク。白髪の混じった髪。少し曲がった背中。
「次の方」
警備員が声をかける。
男が前へ出た。
「本人確認を行います。マスクを外してください」
男は動かない。
「マスクを外してください」
ゆっくり。
男がマスクを下げた。
警備員の表情が変わる。
手元の端末。
男の顔。
もう一度、端末。
自動生成で老化加工された30年前に眞壁を襲った男の写真があった。
「……浜山?」
「いえ、僕野サニーです」
男が笑ったかと思うと、突然ゲートを押し通るように走り出した。
「確保しろ確保!」
警備員が叫ぶ。
周囲の警察官が一斉に走った。
「僕野サニー、浜山!?」
「僕野サニーだ!」
その名前が一気に広がった。
観客たちのスマートフォンが男へ向けられる。
会場前の様子を映していた配信スタッフも異変に気づいた。
カメラが入口へ向く。
そして浜山隼人の姿が、そのまま生配信に乗った。
「浜山隼人だな!」
警察官が男を取り囲む。
「両手を見える位置に出せ!」
浜山はゆっくりと両手を上げた。
「俺は……」
その声は震えていた。
「俺は、サニーを……!」
「そのまま動くな!」
「みんなサニーを忘れた」
「浜山!」
「顔を切られて……人生を奪われて……なのに、みんな新しいアイドルばかり見てる」
浜山が笑う。
「俺だけだ」
「動くな!」
「俺だけが、ずっとサニーを見てた」
その映像を会場内の警備本部で、マリリンも見ていた。
「浜山……」
屋敷が無線を取る。
「正面入口、対象を生かして確保しろ。精神干渉を受けている可能性もある。接触に注意」
『了解!』
警察官が一歩近づく。
浜山は笑った。
「遅いよ」
右手が動く。
「手を動かすな!」
警察官たちが一斉に身構える。
「俺を捕まえても……もう遅い」
「浜山! 手を見せろ!」
「これを見た奴の中から……」
浜山が周囲を見渡した。
観客。スマートフォン。配信用カメラ。そのすべてを見て笑った。
「必ず第二、第三の俺が現れる!」
「――!」
浜山が自らに刃を向けた。
悲鳴と怒号。カメラが激しく揺れる。
「確保!」
「救急!」
「止血しろ!」
「配信切れ!」
映像は暗転したが遅かった。
その瞬間は、すでに数十万人へ配信されていた。
警備本部にも沈黙が落ちる。
屋敷はすぐに無線で指示を飛ばした。
「正面入口を封鎖! 観客を近づけるな! 雨宮、風祭も現場へ!」
二人が駆け出していく。
マリリンだけが動かなかった。
暗転したモニターを見つめている。
「鞠子」
一宮が呼ぶ。
反応しない。
「鞠子!」
「……今」
ようやく口を開いた。
「最後……」
マリリンの眉間に皺が寄る。
「なんて言った?」
一宮が怪訝な顔をする。
「第二、第三の俺が現れる、だろ? あれが操作する能力ってことかい?」
「……俺……まさかね」
マリリンは小さく呟いた。
だがその目はもう、暗転した画面を見ていなかった。




