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case016:最後の演奏


~花山記念コンサートホール~


「あっ、雨宮主任来た」

 嵐司がそう言ってスーツ姿の雨宮を指さした。


 すでにコンサートホールの受付前には雨宮を除く特務隊全員が揃っていた。皆ドレスコードもばっちりだ。

「あれ? アメリン、なんか腰回りぼこぼこしてるよ?」

 マリリンに指摘されて雨宮が腰回りに触れると、手錠や特殊警棒、薬剤箱が付いていた。


「おいおい、こんな日くらい仕事から離れたらどうだ? せっかくみんなで年休を取ったんだから」

 屋敷がそういうと、皆笑いだした。


「あれ……無意識に……」

 雨宮は“おかしいな”と言わんばかりに首をかしげている。

「というか、雨宮さん、それつけてるってことは一回出勤したってことですか?」

 風祭の言葉にもう一度笑いが起きる。

「うるさいなあ!」

「雨宮、仕事に恋してたら彼氏できないよ」

 一宮の言葉が雨宮にクリーンヒットする。

「放っといてくださいよ……!」


 みんな揃って指定の席につく。最前列の真ん中。天才ピアニストの千堂唄のコンサート。一般人ではなかなか手の出ない値段だろう。


 すると舞台袖から、深紅のドレスに身を包んだ唄が顔をのぞかせた。特務隊に気づいた彼女はポニーテールを揺らしながら駆け寄る。


「今日は来てくれてありがとうございます」

 唄は深々と一礼した。


「昨日あれから色々考えて……実は私、今日で音楽家をやめようと思ってます。それで……」


 唄は特務隊の面々を見渡した。そして笑顔で人差し指を立てて唇に当てる。

「今は秘密! これからのお楽しみということで! 楽しんでくださいね!」


 2階席まである一番大きなコンサートホールだったが、満席な上に、最後列には立ち見をする客も大勢いた。チャリティーコンサートであるため、一人でも多くの観客が入れるよう唄が取り計らったのだ。


 雨宮は今日演奏される曲目に目を向けた。



―Harmonia Distorta Mortis-

          Uta Sendo


1 Étude de la Tension 

  練習曲「緊張」  ロ短調

2 Prélude pour l’Avenir

  前奏曲「未来へ」 変ホ短調

3 Impromptu de Confiance

  即興曲「自信」   二長調

4 Cantata des Âges et des Voix

  合唱曲「老若の声」 ハ短調

5 Toccata de la Fureur et du Mensonge

  トッカータ「激情と偽り」 嬰ハ短調

6 Finale pour une Belle Clôture

  終曲「有終の美」



 雨宮には、唄の想いが少し見えた気がした。

 今までの唄の行動や発言すべてが雨宮の心に打撃を与えた。

 雨宮は心穏やかになることができなかった。

 唄の作った曲が悲しいものであると感じてしまったと同時に唄の本心も見えたような気がしたからだ。


 1曲目の練習曲「緊張」。


 弱々しいピアニッシモの早い高音の連打で始まる。 一呼吸置くと、心臓の鼓動のような重低音が響く。 不規則な音の連続。まるでどのような音で曲を作り上げるか試しているような印象を抱かせる。

 テンポが少し上がると、左右のタイミングが徐々にずれていき不協和音を形作る。たまに綺麗な和音を響かせたかと思うと、またも不協和音に戻る。

 そして叩きつけるような力強い不協和音が続くと、その後高音を何度か叩き、デクレシェンドで音は弱くなり、消えるように1曲目は終わった。

 

 大きな拍手がひとしきり起こると、静寂に戻る。

 

 2曲目の前奏曲「未来へ」。


 右手のみの高い単音を一定のリズムで叩くことで始まる。まるで歩いたときの靴がコツコツと鳴っているようだった。

 くたびれたような短調の和音が何度か響くと、あとを追いかけるようにさらに高い右手のみの単音がスキップするように独特なリズムで鳴る。

 フォルティシモで奏でられる不協和音が響くと、その後の音は反響するようにトリルがついた。

 左手の単音が右手の単音を追いかけ、どんどんと近づくように鍵盤を叩くリズムの間隔を縮めていく。

 そして、両手のリズムが重なった瞬間、大きな短調の和音と同時に、高音、低音の不協和音が繰り返し鳴り響く。

 長い不協和音の後、長い休符を経て、右手の高音が逃げるように素早くコツコツと鳴り、曲は終わった。


 特務隊を含めた観客皆が聞き惚れる中、雨宮だけは気が気でなかった。


 3曲目の即興曲「自信」。


 またも静かな始まり。不定期に響く中央音域の単音。まるでカラスが鳴ないているような表現だった。 ペダルで音が伸びた長調の和音が静かに、それでいて穏やかに会場を包み込む。

 すると速い連打が始まる。中音域から高音域へと走るように1回目の連弾がなされると、それを追いかけるように2回目の連弾が弾かれた。黒鍵を多く使うことで、どこか焦っているような、緊張しているような登場人物の表情が想像できる。

 緊張の小節を抜けると長三和音を軸に楽しい雰囲気が醸された。その楽しい状況に迫るように、低音が力強く一定リズムで叩かれる。それからは圧巻だった。 力強い低音の不協和音と、強弱入り混じった高音の速打が交互に繰り返される。次第に低音の比率が高くなると、フォルティシモでこれまでで一番強い不協和音が奏でられた。

 それを皮切りに何度も力強い和音がこれまでの明るい旋律を壊すように打ちつける。

 そして最後は一定の独特なリズムで低い単音を叩き、徐々にゆっくりと、そして弱々しく消えていった。


 観衆の拍手は耳に入らなかった。雨宮の違和感は大きな不安へと変わっていく。


 4曲目の合唱曲「老若の声」。


 静かな始まり。短調の和音であったが、優しく丁寧な弾き方から穏やかな夜を思わせた。

 そこに短調の高音、中音、低音のトリルを多用することで、不穏な何者かが多く集まってきたように思えた。

 すると、2曲目の前奏曲でもあったように、高音でコツコツと歩くような音がまたも叩かれた。その音の登場で、周囲が不満を漏らすかのように、あらゆる音域の力強い和音がバラバラに鳴った。

 一音。中音域のナチュラルな“ラ”。ハ短調ではいささか異物感があった。その単音の後、これまではバラバラだった和音がきれいに合わさり、曲名のとおり“合唱”となった。合わさった和音は不協和音となったが、どこか不安と美しさを併せ持った音色だった。

 ダイナミックに不協和音を連続して弾くと、突然として曲は終わった。そして静けさを取り戻す。曲が終わった後の静寂さえも曲の一部と思えるほどだった。


 雨宮の不安は疑念へと変わっていった。


 5曲目のトッカータ「激情と偽り」。


 始まりは高音の美しい短調のメロディーだった。これまでの各曲の不協和音がブラッシュアップされたようにも思えた。唄自身もとても気持ちよさそうに弾いている。

 しかし、突然低音がフォルティシモで力強く鳴り響く。スタッカートで弾けたその音は、気持ちよく弾いていたメロディーを打ち止めるようだった。

 長い休符のあと、低音と高音の連打が中音域に迫るように続く。そして右手、左手がぶつかるところまで来ると、中音域で不協和音が爆発した。

 これまでの和音とは違い、荒々しく、強く、憎しみが表現されたようにランダムな16分音符の単音が連打される。音楽などではない。

 ただ感情に任せて鍵盤をたたいているだけだと感じるような弾き方だ。すると再度低音域から、若干の不協和音が音域を上がってくる。

 そして一和音が空間を切り裂くように長く伸びた。


 それからは、不協和音は一切なくなり、王道でオーソドックスな短調の旋律が流れる。今までの独創性が嘘のように、お手本通りのメロディーだった。

 そうして美しい旋律が流れるが、どこか物足りない、未完成のような印象で曲を終えた。


 5曲目を聞き終わり、雨宮の疑念は確信へと変わる。


 終曲の「有終の美」。


 唄はゆっくりと椅子から立ち上がると、ステージの中央に向かった。

 深紅のドレスは、端正な顔立ちをした彼女と相まって、より一層美しく見えた。彼女は観客の方を向いて笑顔を見せ、言った。


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