第50話 黒曜の峰、そして廃坑道の闇
翌朝、俺たち三人は、街の北門から『黒曜の峰』を目指して出発した。
街の喧騒が遠ざかるにつれ、周囲の景色は次第に荒涼としたものへと変わっていく。緑は減り、ごつごつとした岩肌が目立つようになる。空気も、心なしかひんやりとしてきた。
「うぉー! なんか、空気が違うね! ワクワクする!」
リリアは、まるでピクニックにでも行くかのように、元気いっぱいだ。その手には、しっかりと愛用の剣が握られているが。
「気を引き締めていきなさい、リリア。ここから先は、低級とはいえ、凶暴な魔物も出現しますわよ」
エレノラさんが、いつものようにリリアを諌める。彼女自身も、今日は動きやすい冒険者向けのローブを身にまとい、その表情には油断がない。
そして俺は……言うまでもなく、緊張でガチガチだった。道中、茂みがガサリと揺れるたびに、心臓が飛び跳ねる。胃薬は……うん、しっかり持ってきた。
半日ほど歩き続け、俺たちはついに黒曜の峰の麓にたどり着いた。
見上げる山々は、その名の通り、黒々とした岩肌を剥き出しにし、鋭い峰々が空を突くように連なっている。吹き抜ける風は冷たく、どこか不吉な気配すら漂っていた。
「……ここが、黒曜の峰……」
思わず、ごくりと唾を飲み込む。こんな場所に、本当に『月長石』なんてあるのだろうか? そして、サイラスのような奴が、わざわざこんな場所に来るのだろうか?
「目的の廃坑道は、あちらの中腹ですわ。ここからは、更に道が悪くなりますから、足元に注意して」
エレノラさんに導かれ、俺たちは険しい山道を登り始めた。
やがて、俺たちは目的の廃坑道の入り口らしき場所にたどり着いた。山の斜面に、ぽっかりと口を開けた、黒い穴。入り口付近には、腐りかけた木材の支柱が残っており、かつてここが鉱山であったことを示している。
「……入るぞ」
俺は、意を決して、松明(これもエレノラさん特製、長時間燃焼タイプ)に火を灯す。リリアも、剣を抜き放ち、警戒態勢を取る。
エレノラさんが、入り口付近に簡単な探知魔法をかけ、罠がないことを確認した後、俺たちは、ついに廃坑道の闇へと足を踏み入れた。
中は、ひんやりとした空気が淀み、カビと土の匂いがした。壁からは、絶えず水が滴り落ち、その音が不気味に反響している。松明の明かりが届く範囲は限られており、その先の闇は、まるで生き物のように濃く、深く見えた。
「うわ……なんか、本当に出そう……」
リリアが、小声で呟く。何が、とは言わないが、言いたいことは分かる。
「静かに。気配を探りながら進みますわよ」
エレノラさんが先頭に立ち、俺、リリアの順で、慎重に坑道を進んでいく。
俺は、エレノラさんにもらった『魔力感知の水晶』を握りしめ、周囲の魔力の流れに意識を集中させる。……が、今のところ、特に異常は感じられない。ただ、この場所全体が、何か重苦しい魔力の名残のようなものに満ちている気はした。
坑道は、迷路のように複雑に入り組んでいた。エレノラさんが持つ古い地図と、彼女自身の探知能力を頼りに、俺たちは目的の『月長石』が産出される可能性があるという、比較的深い層へと向かう。
途中、巨大な蝙蝠のような魔物に遭遇しかけたが、エレノノラさんが素早く放った光魔法で追い払い、戦闘は回避できた。……よかった、俺のヘナチョコバリアの出番はなかった。
どれくらい進んだだろうか。坑道が少し開けた場所に出た。そこは、かつて鉱石を採掘していたのだろう、壁にはいくつもの穴が穿たれ、古い採掘道具のようなものがいくつか転がっていた。
「……ん?」
その時、壁の一点を照らしていた松明の光が、何かを反射した。
俺が近づいてみると……それは、黒曜石の岩盤に付けられた、比較的新しい『削り跡』だった。それも、素人が手当たり次第に掘ったようなものではなく、明らかに熟練した技術で、特定の鉱脈を狙って削り取られたような……そんな跡だ。
「エレオノラさん、リリア! これ!」
俺が二人を呼ぶと、彼女たちもすぐに異変に気づいた。
「……これは……間違いなく、最近つけられた跡ですわね。それも、かなり手際が良い……」
エレノラさんが、厳しい顔で削り跡を調べる。
「もしかして……これが、月長石を掘った跡……?」
リリアが尋ねる。
「可能性は高いですわ。そして……これほど綺麗に、ピンポイントで鉱脈を掘り当てる技術……並の鉱夫や冒険者ではありません」
つまり……?
「……サイラス……あるいは、『月影のギルド』の者が、ここで月長石を採掘していた……?」
俺の口から、震える声が漏れた。
俺たちは、顔を見合わせる。
ついに、俺たちは、彼らの『活動の痕跡』を、直接目の当たりにしたのかもしれない。
だが、喜んでいる場合ではない。もし、彼らがまだこの近くにいるとしたら……?
俺たちは、改めて周囲への警戒を強め、息を殺す。
この廃坑道の闇の奥に、一体何が潜んでいるのか?
俺たちの調査は、新たな局面……そして、おそらくは新たな危険へと、足を踏み入れようとしていた。




