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放課後デート






お互いの仕事を終えてから、わたし達は高等部職員用駐車場で待ち合わせをした。


すっかり見慣れた外国車の運転席には神楽さんがもう待っていて、わたしは小走りで近寄った。



「お疲れさま。急がなくていいのに」


「お疲れさまです。お待たせしましたか?」


「いいや、俺もさっき終わったところだから」



助手席に滑り込んだわたしに、神楽さんは柔らかく言葉をかけてくれる。


それだけで、一日の疲労感が癒されてしまいそうだ。


わたしは受かれた気分で神楽さんに話しかけた。


「どの美術館に行くんですか?すぐに観に行けるということは、常設なんですよね?だったら、コレクションがない国立は違うのかな・・・あ、でも急がないと閉まっちゃいますよね」



たいていの美術館、博物館は夕方までで、金曜、土曜は夜まで開館しているところもあるけれど、今日は水曜だ。

車で急げば、今からでも間に合うのだろうか?


不思議に思って神楽さんを見上げると、


「大丈夫。ついでだから、ちょっとドライブしよう」


のんきな答えが返ってきた。



「え、でも美術館閉まっちゃいますよ?」


「平気平気」


心配するわたしをよそに、神楽さんは楽しげに車を出したのだった。






車は、夕方の都心を流れるように進んでいった。

帰宅ラッシュにはまだ早い時刻で、夏を迎えた街は夜のとばりを下ろす前の賑わいに溢れていた。



・・・・どこに行くんだろう?



このおしゃれな車の助手席にも慣れたけれど、行き先不明のドライブははじめてで、おかしな緊張感が弥漫しはじめる。



「神楽さん、どこにつれて行ってくださるんですか?」


わたしは、恋人になってもまだ抜けきれない敬語で尋ねた。



「まだ内緒。楽しみにしてて」


こういう言い方をするとき、神楽さんは絶対に折れてくれないのだ。

わたしは仕方なく、違った角度からアプローチすることにした。



「じゃあ・・・その絵は、わたしも知ってるものですか?」


すると神楽さんは、お、という風に一瞬眉を動かした。


「きっと知ってるよ」


アプローチは間違ってなかったみたいで、わたしは続けざまに訊く。


「有名な作品なんですね?」


どの時代の作家ですか?

ジャンルは?


そう訊きたかったのに、その前に返ってきた神楽さんのセリフに、唇が止まってしまった。



「いや、全然有名じゃないよ?むしろ、世間一般には知られてない作家の作品なんだ」



「は・・・?そんな方の作品が、美術館のコレクションなんですか・・・?」



目が点になるとはこのことで、わたしは理解できないと顔中に書いて訴えた。


神楽さんはそんなわたしの様子も楽しんでる風情だ。


「まあ、まだ駆け出しの作家さんだからね。でも、きっとこの先有名になっていくとは思うよ?少なくとも、俺にとったら、どんな名画よりも名画だよ」


楽しげな中にも、その言い方からは、愛しさのようなものが見受けられた。




本当に、その絵が好きなんだな。




そう思うと、わずかにだけど、モヤッとする感情が通り過ぎた気がした。




だって、神楽さんの心を動かしたという、神楽さんの中の名画なんて・・・・



神楽さんの人生に影響を与えた絵・・・・観たいと思ったのは確かで、すごく楽しみだけど、

心のどこかでは、それだけじゃない気持ちも芽生えているのかもしれない。



わたしは、通り過ぎた感情の正体を掴みきれずに、でも無意識に、口数を減らしていった。





やがて、車は住宅街を抜け、高台にある駐車場に停められた。

遊具のある公園に隣接されているけれど、遠目にも人気はなかった。

駐車場にも神楽さんの車以外はなくて、眼下に広がる景色はわたし達の独占だ。



神楽さんが車から降りたので、わたしもドアを開けたけれど、素早く回り込んでいた神楽さんにエスコートされた。



「ありがとうございます。あの、ここは・・・・」



美術館なんて姿かたちもなく、ただの公園にしか見えない。


どこに名画が隠れているというのだろう。



キョロキョロと周りを見まわすわたしに、神楽さんは笑いながら教えてくれた。


「ここは、俺の思い出の場所なんだ」


そう言って、駐車場の端まで歩み進む神楽さん。

深い茶色の、低めの手すりの向こうには、街並みが広がっている。

神楽さんはその手すりに指を添え、景色を眺めた。



「思い出・・・?」


それが、神楽さんの名画につながるのだろうか?



「そう。当時医学部に通っていた俺が、大学を辞めて教師になるって決心した場所」


前を見つめたまま答えた神楽さんは、少し、懐かしそうに微笑んだ。



実家が病院という神楽さんは、自分の置かれた環境に従って医学部に進学した。

ここで、いったい何を考えて、思って、そう決心したのだろう・・・



わたしは、下に広がる風景を見つめる神楽さんの、すぐ隣に並んで立った。

ここなら、今神楽さんの目に映っているものが同じようにわたしにも感じられるから。



何年も前、神楽さんがここで教師になる決心をしたとき、わたしは神楽さんの傍にはいなかった。



わたしが書いた手紙に背中を押されたとは言ってたけれど、最終的にここで決心したとき、神楽さんの心には何があったのだろう。



もしかしたら、今日見せてくれるという、名画なのだろうか・・・・



わたしは、その絵を観たいような、観たくないような、複雑な想いだった。






夏の夕方は、まだまだ昼間の気温を引き継いでいて、ムッとした多湿の空気は心地いいものではなかった。


風もなく、立ったままでいると、ジワリと汗の気配が肌を伝う。


けれど隣の神楽さんは、とても穏やかな表情をしていた。



「今は夏だからまだまだ明るいけど、あの時は、ここから夕陽が見えたんだ。あそこに、大きな建物があるだろ?あそこがうちの実家の病院。ここからよく見えるから、俺は、進路に迷いが出る度にここに来てた」


神楽さんは大きく指差して、わたしに振り向いた。


住宅街が広がる風景の中に、私鉄の駅があり、中層マンションなども見受けられるけれど、あきらかに他の建築物より大きな白っぽい建物があった。

広い駐車場を備えた、立派なものだ。


神楽さんのご実家でもある病院は、思ってた以上の規模で、わたしは少々戸惑ってしまった。



「すごく・・・大きな病院なんですね」


わたしの驚きがダイレクトに伝わったのだろう、神楽さんはクスッと笑う。


「そうだね、大きな病院。だから、俺は、跡を継がないという選択をするのが怖かった。子供の頃から期待もされていたし、教師になりたいという夢は、期待してくれてる人達を裏切ることになるんじゃないかって、申し訳ない思いでいたんだ」


「そんな、裏切るなんてことにはなりませんよ」


思わず、口をはさんでしまう。


だって、神楽さんの言い方があまりにも悲しそうだったから。



もしかしたら、教師になった今でも、神楽さんの中に燻る何かがあるのかもしれない・・・・





「ごめん、こんな風に言ったら、気にしちゃうよね。大丈夫、実家とはうまくいってるから。親族一同、俺の選んだ道を応援してくれてるよ」


それを聞いて、ホッとした。


「でも、教師になりたいと言い出せなかった頃は、よくここに来て、うちの病院を眺めてた。あそこで病気と闘ってる人達、緊急搬送される人達、みんなあの病院を頼りにしてるんだな・・・そう思って、俺は、医師にならなくちゃと自分を言い聞かせていたんだ。・・・・あのときまでは」



そう言って、神楽さんは自分の愛車に視線をやった。


「俺が教師になるために大学を受け直すことにしたのは、美里の手紙のおかげだって話しただろ?それは間違いないんだ。でも、俺が手紙を拾ったのは小6のときだよ?それなら、もっと早く、医学部に入る前に、教師になる道を選んでいてもいい話だと思わない?」


「そう言われたらそうですけど、なかなか決心がつかなかったとか、そういうことじゃないんですか?」



わたしは、神楽さんに手紙のことを聞いて以来、ずっとそう思っていた。


子供の頃から歩いていた道を逸れるのは、相当に勇気の必要なことだもの。



けれど神楽さんは、小さく頭を横に振った。



「違うよ。前にもちらっと話したけど、俺は、あの手紙を拾ってから、その存在を何年も忘れていたんだよ」


ちょっと苦そうな笑みを浮かべた神楽さん。


確かに、修学旅行で拾ってからしばらく忘れていたとは聞いたけど・・・・



わたしは、車を見つめる神楽さんから続きが語られるのを待った。





「大学受験で進路を決めるときも、俺はあの手紙のことを忘れたままだった。教師になることをほとんど諦めて医学部に進学したものの、医師を志す同級生達の中で、やっぱり居心地の悪さは感じていた。大学に入って一年ほど経ったとき、両親から、成人の祝いに車を買ってやるから希望のものを選んでおくよう言われたんだ。俺は男のわりには車関係に疎かったから、有名なメーカーを適当に選んでカタログを送付してもらった。・・・・そこで、見つけたんだ」


「この車を、ですか?」



話の流れ的に、そうだろう。


けれど、急に車の話題が出てきて、にわかに反応が鈍ってしまうわたしもいた。



神楽さんはわたしの問いかけに頷いて、続けた。



「この車は、当時は新発表されたばかりで、予約受注がはじまったところだったんだよ。SUVという型なんだけど、このメーカーがはじめて発表したSUVで、話題にもなっていたらしい」


「へぇ・・・そうなんですか」



わたしも車には詳しくないので、そう返すしかできない。


ただ、街中でもアウトドアでも似合う型は、おしゃれな神楽さんにぴったりだと思っていた。



わたしも何となく車を眺めていたけど、ふいに、隣の神楽さんが、くるりと体を翻した。

正面に向けたその顔つきが、わずかに硬くなった気がした。



「・・・この車は、まだ発売前だった。なのに、俺は、この車を知っていたんだ」


「そうなんですね・・・。神楽さんのことだから、カタログとか、宣伝とかを熱心にチェックなさってたんですね」



神楽さんは、とても勉強熱心な人だ。

きっと、詳しくない車関係のことをいろいろ調べていたのだろう。



わたしは感心しきりに神楽さんに告げたのだけど、彼は「違うよ」と答えた。


そして、夏用の薄手ジャケットの内ポケットに手を差し込むと、


「俺は、この車のカタログを見るよりも、広告を見るよりも、ずっとずっと前から、この車のことを知っていた・・・・」


そう言って、わたしにあるものを見せた。




それは、あの手紙だった。













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