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青春初心者  作者: 雨宮喜代
3/3

二人の青春初心者

 扇風機は今日も頑張ってくれた。この部室唯一の冷房器具は夏休みになっても、連日来る部員たちのせいで稼働し続けている。そういうわけで、今日も僕は部室で本を読む。

 昨日まで、退屈だと思われていた青春漫画が今日は打って変わり面白い。昨日まで微塵も共感できなかった主人公も、今じゃ気持ちが手に取るようにわかる。うん、なるほどなるほど、確かにそこでヒロインを追いかけるよねわかるわかる。そして、きっと僕ならこう声をかけると。そう、キミと同じだ。

 ひと段落すると、前髪をねじる。これがよくクラスメイトがやる髪を整えるという奴なのか。確かに、ワックスを使った髪は気を付けないと何かの拍子に変な方向で固まってししまい、そのまま気が付かないで過ごすということもあり得るからね。

 そう、僕は昨日あれから美容室に行ったのだ。ゲームソフト一本分とほぼ同額のお金の対価に身に着けたのは、オシャレな髪型とあふれ出る自信だった。美容室でワックスの付け方を教えてもらい。今朝、学校に来るまでに何度も何度も調整した。大丈夫完璧だ。昨日の美容師さんがセットしてくれた髪型を再現できている。

 長谷川学美はまだ来ないのか。早く彼女にこの生まれ変わった僕の姿を見てほしい。そして彼女から「あれ? 先輩、なんか雰囲気変わりました?」と言わせてやる。そこからの会話はシミュレート済みだ。昨日、ネットで調べて女生の会話を予習した。昨日と同じ轍は踏まない。さあ長谷川学美、早く僕に敗北し、僕と共に下校するのだ。

「……あ、おはようございます」

 そして現れた長谷川学美。彼女は律儀にも毎日同じ時間に姿を見せる。変わらず夏の騒音に消されてしまいそうな挨拶だった。

「おはよう。今日も暑いね」

 僕は早速ネットで調べた話術を披露する。まずは何気ない会話から。昨日はいきなり誘うなんて真似をしたが今日は慎重にいかせてもらう。焦るな、焦るんじゃないぞ僕。

「……はい。そうですね」

 彼女はそれだけ言うと、そそくさと自分の縄張りである椅子に向かう。くそう、会話が続かない。ネットの情報が当てにならないのか、それとも長谷川学美が想像以上の人見知りなのか。僕の作戦は、最初の一手から既にシミュレートと違う方向へと進みだした。

 髪型の話題をふるべきか。いや、そんな話を自分からしてしまえばただのナルシストになってしまう。理想は相手から、長谷川学美が僕に尋ねなければならないんだ。

 嫌な焦燥感に駆られる。荒くなりそうな呼吸を必死に抑え、頬を伝う汗を、暑さのせいだと自分に言い聞かせる。動揺だけは、絶対に動揺だけは悟られてはならない。悟られてしまえば、僕は彼女のために髪型を変えてきたと思われてしまう。そんなの赤っ恥もいいところだ。これは僕自身が変わろうと頑張った結果であって、長谷川学美の気を引こうとして変えてきた髪型では断じてない。

 僕は一旦この雰囲気を落ち着かせようと漫画を読み始める。これではいつもの退屈な漫画研究部の活動じゃないか。さっきまで溢れ返っていた自信がダムの決壊の様にすべて流されていくのを感じる。もう、声をかけるのすら怖くなってしまいそうだった。

「……」

 長谷川学美は、漫画に没頭していた。時折僅かに顔をほころばせ、口元に優しい笑みを浮かべていた。それは遠目でも、彼女は好きな漫画を幸せそうに読んでいるのだと伝わった。

 しばらく見惚れて、我に返る。長谷川学美はあんなに風に楽しそうに本を読むのか。本当に漫画が好きなのだろう。こんな閑散とした漫画研究部に入ってくるだけのことはあるんだと初めて納得した気がした。

「……なんですか?」

 僕の視線に気が付いた彼女は、手を止め顔をこちらへ向けて尋ねる。昨日より警戒しているのが伝わった。けど、僕はそんな怪訝な瞳で見る彼女に自然と正直な感想をいう。

「楽しそうに、本を読むんだなぁって」

「え? あ、えっと……」

 僕の言葉が意外だったのか、彼女は困ったように視線を泳がせ、手元の本で押さえつけるように口元を隠した。照れているのか、怒っているのかわからないが、その仕草がとても可愛らしく思えてしまった。

「漫画……好きなんです」

 いつものように小さな声だったが、今日ははっきりと聞こえた。まるで自分の誇りを語るように、それは小さいながらも強く、誰にも否定させないという強さを微かに感じた。

「そっか、漫画って面白いよね。僕たちが絶対に体験できないことを、一緒になって体験できる気がする。うん、僕も漫画が好き」

 立ち上がり力説する。我を忘れ、同士を見つけ、水を得た魚の様に感情が跳ね上がった。

「……あっ、ごめん」

 語ってからしまったと思った。オタクという人種は好きな趣味を語ると饒舌になるというのは周知の事実である。そして、それを聞いた人がシラケて、空気が凍ってしまうというのはさすがの僕でも理解している。

「……」

 案の定、長谷川学美は黙ってしまった。視線こそ僕に向けられているが、返答に困っているのが伝わった。せっかく髪型を変え、自分を生まれ変わらせようとしても、中身が変わらなければどうしようもない。

「……先輩」

 沈黙を破ったのは長谷川学美。口元の本を机に戻す。僕は彼女の次の言葉を待った。

「髪型変わりましたね?」

 意外な事を尋ねられた。僕としては、待ち望んでいた言葉だったがこのタイミングじゃない。立ち上がり、握りこぶしを作っている僕に、いまその質問をしないでくれ。

「ま、まあね。ほら、夏だし」

 用意していた回答と違う。本当はもっとオシャレな返事を用意していた。けど、こんな漫画好きを力説したあとでは、もうオシャレな雰囲気なんて作れない。キモオタの勘違いした戯言だ。いや、そもそも僕が変わろうとしたことが勘違いした行動だったんだ。キモオタはキモオタらしく、自分に金をかけないで漫画業界の発展の為に、ひたすら新作漫画を買い続けるべきだったんだ。

「……青春に憧れてるんですか?」

 この女は、どうして僕の心をナイフで抉るような質問ばかりしてくるんだ。的外れな質問なら適当に流せるが、事実僕は青春コンプレックスの真っ最中だ。こんな質問はずるい。正直に話しても、嘘をついても僕には何の得もない。恥をかくだけじゃないか。

「きょ、今日はよく喋るね長谷川さん」

 質問には答えず精一杯の皮肉。けど今日の長谷川学美はよく喋る。口調こそはいつも通りだが、こんなに会話が続いたのは漫画研究部に彼女が入ってきてから初めてだった。

「……それは先輩もですよ。ま、でも……先輩は昨日くらいからですけど」

 望んでいた会話は、僕の予想外の方向へと進んでいく。僕は、彼女で練習して自分を磨き。そして青春電車に乗るつもりだったんだ。なのに、どうして今こうなっているんだ。長谷川学美はまるで面接官みたいだ。僕の真意を見つけては問いただす恐ろしい面接官だ。

「……で、先輩。質問に答えて下さい。先輩は青春に憧れているんでしょうか?」

 彼女はどうしてそこまで食い下がるのか。長谷川学美は僕をじっと見つめる。眼鏡の奥の瞳はパッチリと開いている。好奇心と悪意と無邪気が混ざって出来上がったような宝石の様な目だった。

 僕は目を逸らしてしまいたいが、そしたら僕が負けたみたいになってしまう。残った僅かなプライドが、僕を追い詰める。もう駄目だ。素直に話そう。彼女に嘘は通じない気がした。素直に観念した方が気が楽だ。

「憧れてるさ、だって高校生だぞ」

 言って彼女から目を逸らす。敗北を意味していたが、もうそれでよかった。逃げなかった。それだけで僕は充分戦った。

「……やっぱり、思った通りですね」

 そういうと彼女は立ち上がり、本棚からある一冊の本を取り出した。それは、僕がこの数日間で読んでいた退屈な青春漫画だった。

「これ、先輩の帰ったあと読んでみました」

 彼女は、ペラペラと一気にページをめくる。生み出された小さな風が彼女の前髪をふわりと持ち上げた。そして最後までめくり終えた漫画をパタリと閉じて、僕のでこにコンと当てる。思わず「痛っ」と声に出した。

「……先輩。大方この漫画に感化されて私くらいなら落とせると思ったんでしょう?」

 思わず息を飲んだ。そしてそれは、その通りですと告白するような反応だった。理由はどうあれ、僕は確かに長谷川学美くらいならと思い、彼女で練習しようとしてた。

 言い訳はもとより、何も答えらえない。

「最初は、バカにされてると思い腹が立ちました。ですけど私はこの漫画研究部を辞めるわけにもいかないし、どうしようかと」

 彼女はもう一度、漫画で僕の頭を小突く。

「でもまさか、二日目に髪型を変えてくるなんて思ってもいませんでした。……最初見たとき吹き出しそうになって、もう怒りとかそういうの全部なくなってしまったんです」

「え? 吹き出しそうって、そんな……」

「……先輩、そのですね。前髪は合格ですけど。後ろ……襟足の方にワックスつけてないですよね。前は決まってますけど、後ろがいつものまんまになってますよ」

「え?」と、僕は襟足を触る。確かに、ワックスの感触がしない。サラッとした髪が重力に逆らえずにうなだれていた。

「もうダサすぎだね僕。あはは、正直に話すよ長谷川さん。本当にごめん」

 まるで、推理漫画の犯人。僕の下心は探偵長谷川学美の手によって暴かれた。理由はどうあれ、確かに僕は彼女を見下していた。

「変わろうと思った。同じ漫画好きで大人しそうな長谷川さんなら。一緒に帰るくらいできるかなって思って。悪かった、ごめん」

 僕は彼女に頭を下げた。

 今考えると、確かに失礼だった。いつの間にか僕は、彼女よりマシで、彼女を自分より地味だと見下していた。練習台なんて失礼もいいところだ。

「……私が大人しいのは事実ですから、今回は許してあげます。……でも、私以外の女性を見下したりしたら絶対にダメですからね」

 そこまで言うと彼女は、手にしていた漫画で口元を隠すように覆った。少しだけ何かを考えて、一度ため息をつくと、少しはにかんだ。

「どんな理由でも、私のためにわざわざ髪のセットをしてきて、悪い気はしません」

「えっ? いや。これは違う。だって」

 違うだろ? いやそうなのか? 確かにこれは長谷川学美と一緒に帰るためにしたけどさ。っていうことは、この髪型は全部彼女のためにやったってことになるのか?

 混乱している僕に彼女は、またまた漫画の角で僕のでこを小突いた。対して痛くはないが打撃慣れしていない僕は、叩かれたという事実だけで痛いと口にしてしまう。

「……最初から普通に誘ってくれれば、一緒に帰るくらいは全然問題なかったですよ」

「え? だって昨日」

 いや、昨日は確かに断られた筈だ。

「……最初に言っておくべきでしたね」

 そういうと、彼女は少しだけ申し訳なさそうな顔をする。手にしていた漫画で自分のでこを叩く。彼女も打撃慣れしていないのだろう、自分で叩いたのに、少し驚いていた。

「私の家、漫画禁止なんです。……いえ、漫画というかゲームとかアニメとか全部」

 驚愕の事実だった。あんなに楽しそうに漫画を読む彼女が家で漫画禁止だなんて。

「漫画を読み始めたのは中学生の頃です。友達に読ませてもらってすごく面白くって夢中になってしまいました。あんなに面白いものがあるなんて、私の中で衝撃でした」

 長谷川学美は語る。普段の彼女からイメージできないほど強く、そして楽しそうに。漫画との出会い、魅力、彼女は話し続けた。

「高校に入って、漫画研究部というのを見つけました。私はこれだったら誰にも迷惑かけずに漫画が読めるって本当に嬉しかった」

「そっか。それが長谷川さんの」

 確かに、家で読めない。友達の家でずっと漫画を読むのも気を遣う。でも学校で読めば親にバレないし、好きなだけ読める。

「話を戻しますね」

 ああ、そうか。だから長谷川学美は僕の本屋さんへ行こうという誘いを断ったのか。

「本屋に行けば、絶対に読みたくなります。でもそこは買う以外読む手段がないですから。もどかしい気持ちになるよりは……」

「いっそのこと本屋にはいかないってわけか」

 彼女はコクリと頷いた。

「……私が買えないのに、本屋で漫画を見るという提案は……酷いですよ、先輩」

「だ、だって僕は知らなかったし」

 慌てる僕を見て、彼女は微かに満足げな表情を浮かべた。そして、これはきっと彼女なりの仕返しなのだろうと思った。

「……青春出来るといいですね」

 嫌味だろうかと思ったが、不思議と嫌な感じがしなかった。長谷川学美は、笑いを隠すかのように、また本で口元を抑えていた。

 窓から小さな風が入ってくる。少女のスカートがそれに揺れる。地味だと思っていた少女は、割と小癪な女子高生だった。

「あはは、頑張るよ」

 力ない笑いは、夏の暑さに溶ける。僕の青春第一歩は空回りで終わった。髪を整え、眉を剃り、女子を誘い出そうと頑張る。夏の小さな一歩。そんな小さな冒険を終えた僕は、これから青春電車に乗ることが出来るのだろうか。いや、出来るように頑張ろう。

「あ、そういえば長谷川さん」

 僕は一つ気になった事があったので、長谷川学美に尋ねることにした。

「……はい、なんでしょうか?」

 口調こそいつも通りの彼女。けれど心なしか今日の声は少し弾んで聞こえた。

「その青春漫画どうだった?」

 僕は彼女が持っている漫画を指差す。僕を振り回した原因であるといってもいい本。

「……そうですね」

 長谷川学美は、少し考えて言った。

「……男女が恋するありがちな青春漫画ですね。全てが非現実的すぎました。こんな都合の良いことはありえないと思います」

 その回答に、僕は思わず吹き出して笑う。そんな反応をみた彼女は、自分がバカにされたと思ったのかムッと不機嫌そうな表情になった。でもさ、だってその感想って笑っちゃうだろ、仕方ないじゃん。

「長谷川さん。今度さ、僕が家からおすすめの漫画を持ってこようと思うけど読む?」

 僕の提案を聞くと彼女は、見る見る笑顔になっていく。嬉しさを隠しきれないのが伝わってきた。まるで、玩具を与えられた子供の様な可愛い反応だった。

 そんな彼女に僕の選りすぐりの漫画達を読ませて、感想を聞いてみたいと思った。そうだ、明日からお互いの感想を言い合おう。うん、これは漫画研究部っぽい活動だ。早速長谷川さんに提案してみよう。

「長谷川さん、あのね」

 僕の提案に長谷川さんは、頷いた。そしてそれから「……早速やりませんか?」と、本棚から数冊の本を取り出してきた。全て僕も読んだことのある漫画ばかりだった。

「……じゃあ、まずこの漫画の感想を」

 彼女が差し出してきた漫画。ああ、これは去年の冬に呼んだ探偵ものの漫画だ。うん、この漫画を読んで僕の思った感想は……。

 僕が感想を言うと、彼女は寝起きの猫のように目を見開いて、そしてすぐに吹き出した。ちょっと、まじめに感想を言ったのに、その反応は失礼じゃないかな長谷川さん。

「……だって先輩。それは、仕方ないじゃないですか。そんなの笑っちゃいますよ」

 部室に二人の笑いが生まれる。夏の音にも負けないくらい。

誰にでもある変わろうとする瞬間。それは、真面目な人でも不良でも関係ないと思います。

他の人よりちょっとだけ遅れて変わろうとするオタクの男の子。最初は失敗します。この話での後ろのワックス付け忘れは、作者自身の経験談です。私の場合は挙動不審だったかもですけど。

さて、今後この二人がどうなったかというのは、皆さんの想像にお任せします。どうかこの小さな漫画研究部で起きた出来事から、新たな物語が皆様の中で始まりますように。


最終話を一度投稿してるけど、反映されてないみたいで二度目の投稿です。

初のなろう投稿作品となりました。まだまだ不慣れですがよろしくお願いします。

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