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太一 と カヨ  作者: 九月 草次
8/14

 ある日、太一がいつものように駅前で靴を磨いていると、天秤棒を担いだ魚屋の少年が太一の目の前を通った。その魚屋は浅間旅館の奉公人で名を竹彦と言った。年は10歳。太一の二つ上だった。小田原沖で取れた魚の買い付けをしていた。

 朝早く箱根裏街道を走って小田原へ行き、魚を買ってまた戻って来る。大変な仕事だった。

 だが、今日は様子が違っていた。旅館へ戻るのはいつも朝9時頃なのに、太一が竹彦を見たのはもう昼を過ぎていた。

 太一はつい竹彦に声をかけた。

「よう、魚屋。今日は随分と遅いね」

 太一の声にも反応せず、竹彦はフラフラと歩いていく。そして、その場にうずくまってしまった。

「おい、どうした?」

 と、太一は竹彦に駆け寄った。

「しっかりしろ!」

 竹彦は、すごい熱だった。

「やばいな……」

「ハァハァ、浅間旅館に……魚を届けないと……」

 竹彦は、うわごとのようにつぶやいた。

「無茶言うな。そんな体で行けるかよ。……分かった、俺が届けてやるから待ってろ、なっ」

 だが、竹彦を放っておける状態ではなかった。

「ええい、くそっ!」

 太一は竹彦をおぶさり、魚籠を天秤棒で担いだ。

「お前、ちょっと我慢してろよ!おい、みんなどいてくれ!」

 と叫びながら、走り出した。……走った。……走った。体力に自身のあった太一でも、足腰がきしんで痛くなってくる。それでも太一は必死に走った。

 目の前に浅間旅館が見えてくる。力を振り絞って裏口まで行き、ドアを叩く。

「ドンドンドン……」  

 料理長の桑名が顔を出して来た。もう足に力が入らない太一は、桑名の前にへたれ込んでいた。

「ハアハア……遅くなりました。ハアハア……すいませんけど、こいつ見てやってもらえませんか?」

「どうした、ボウズ」

 板場のみんなが集まって来る……が、太一は到着した安堵感でそのまま気を失ってしまった。

 しばらくして太一が目を覚ますと、旅館の控え室で横になっていた。

 傍にはカヨが心配そうに太一を覗き込んでいた。

「お兄ちゃん!」

 半分寝ぼけ顔で尋ねる。

「あの魚屋は?」

「お薬飲んで隣で寝てる。風邪だって」

 カヨの後ろで、竹彦はまだ寝ていた。

「そうか、よかったぁ」

「お魚も夕食には間に合ったよ」

「なんでお前がここに居るんだ?仕事は?」

「女将さんが傍にいていいって。それに病人を追い出す訳にもいかないから、今日はお兄ちゃんもここに泊まっていいって」

「ババァ、なかなか粋なことするじゃねぇか」

「誰がババァだって!」

 部屋に鶴子が顔を出してきた。

「元気なら追い出すよ!」

「肺も痛いし、足も痛いし、お腹も空いたし……、こりゃ動けないですねぇ」

 鶴子が鼻で笑う。

「ふん。竹彦の魚を届けてくれたんだってね。ありがとよ。助かったよ」

「あ、どうも」

「カヨ、太一も気が付いたんならもう安心だろ。お前は、仕事に戻りな」

「はい」

 と言って、腰を上げるカヨ。

「太一、風呂にでも入って、飯を食いな。うちの温泉には、まだ入ったことないだろ?」

 鶴子の後ろでカヨが必死に人差し指を口に当てて、シーシーとしている。

「はい、お言葉に甘えさせていただきます」

 太一は風呂に入り、目を覚ました竹彦と晩飯を食った。

 その夜、仕事が終ったカヨが来て、久しぶりに太一の横で兄妹一緒に寝たのだった。


 次の朝、カヨが起きたのに気づき、太一も目を覚ました。時計を見るとまだ6時だった。すでに竹彦の姿はなく、もっと早くに起きて小田原へ魚の買い付けに行ったそうだ。旅館内では従業員がみんな慌しく仕事をしていた。太一はいずらくなり鶴子にお礼を言って旅館を出て行った。

 みんなのがんばっている姿を見て、一体自分は何をしたいのだろうと考えてしまう。ずっと靴磨きも出来ないと分かっている。では、大きくなったら何になりたいのだろう?太一にはまだ思い付きもしなかった。

 その後、太一は竹彦とすかっり仲良くなった。

「よし、竹彦。お前だけに俺の秘密を教えてやろう」

 と笑顔で言って、二人でどこかへ歩いて行った。


 カヨは6歳になっていた。ある日、宿泊客が連れてきた柴犬の世話をカヨが任された。名前は家康と言った。旅館内に入れることは出来ず、外につながれていた。昼が過ぎて、カヨは餌を与えに家康の元へやって来る。

「家康、お前かわいいな」

 と、頭をサワサワと撫でてやる。その後、近くを散歩して回るのだ。

「さぁ、行こうか、家康」

 と、鎖を持って出かけて行く。旅館を出た途中で家康は急に走り出し、カヨは転げて鎖を放してしまった。

「ああ、待って、家康!」

 そこへ竹彦が、カヨの傍へやって来た。

「カヨちゃん、こんな所でどうしたの?」

「竹しゃん!どうしよう……、お客さんの犬が逃げてしもうたんよ」

「大変だ。早く見つけないと」

 二人は、犬が逃げて行った方向へ走って行った。

 追いかけても追いかけても、犬の姿は見えない。そのうち駅前まで来てしまったので、太一の所へ行って相談した。

「分かった、みんなで探そう。カヨ、心配すんな。必ず見つけてやるからな」

 お客が靴を磨いてもらいにやって来る。

「あ、すいません。今日は店じまいです」

「そんなに時間はかからんだろ?こっちは仕事があって急いでいるんだ、やってくれ!」

「こっちは、家族の一大事なんです!諦めてくれ!」

 と、客に凄みを効かせて、太一たちはその場を去って行った。しかし、三人で手分けをして探し回っても犬は見つからなかった。

 赤く染まる富士の山に夕日はゆっくりと隠れていく。

 川沿いの道を太一と竹彦が気落ちして家路へと帰って行く。

二人の背中を追いかける足音。

 その時、後ろを付いて来ていたカヨが転んだ。

「きゃっ!」

「カヨちゃん!大丈夫か?」

 と、振り向いた竹彦は転んだカヨのもとへ慌てて走り寄って来た。

 幼いカヨは、地面にうつ伏せのまま唸るような泣き声を上げた。

「カヨ、そのくらいで泣くな!早く立てっ」

 竹彦の後ろの方から、太一が叫んだ。

 太一の声に掻き立てられ、、カヨは横たわる自分の身体をがんばって起こした。

 涙をふき取り、

「お兄ちゃん、待って……」

 と、また早足で歩き出した。

 竹彦も、カヨの後を付いて行った。

 

 旅館に着くと、太一はカヨに話しかける。

「いいか、犬が逃げたことは正直に謝るんだ」

「うん」

「犬はお腹がすいたら帰って来るから、朝には戻ってるよ。だから心配すんな」

「うん」

 と、カヨは竹彦と旅館に帰って行った。手を振る太一。二人の姿が見えなくなると、太一は背伸びや足を伸ばしながら、

「柴犬、オス2歳。名前は家康、鎖付き。制限時間は朝まで……ヨシッ!」

 太一はもと来た道を走って行った。


 次の朝、カヨが犬小屋を見に行くと家康は元の場所につながられていた。

「家康!お前、帰って来たのね」

 と、カヨは家康に抱き付いた。

 魚の買い付けから戻ってきた竹彦が、駅前を通りかかった。

 仕事している太一を見かけたので、戻ってきた家康のことを報告しようと思った。

 その時、太一の前を通り過ぎるおばさんが、

「太一ちゃん、犬は見付かったかい?」

「いたいた。ありがとね」

 今度は別のおじさんが太一に声をかける。

「太一、どうだ。家康は見つかったか?」

「うん、なんとか捕まえたよ。ありがとね」

 太一の前を通り過ぎるたくさんの人が声をかけ、犬のことを尋ねていた。

 竹彦はその中の一人に近寄って話を聞いてみた。

「ああ、昨日の夜、太一がうちに来てね。この辺りに犬が逃げたんだけど、見かけなかったかって尋ねて来たんだ。見つかってよかったな」

 竹彦が太一を見る。行きかう人々のほとんどが太一に声をかけている。

「それがさぁ、見つけたときドロドロだったから、川で体を洗ってやったの。まあー、暴れる暴れる。犬なんて飼うもんじゃないね」

 と言って、太一は大きな欠伸をした。

 微笑んだ竹彦は、何も言わずその場を去って行った。


 月日が流れ、カヨは10歳になっていた。ある日、カヨは鶴子の付き添いで沼津の町まで来ていた。

「あんたも何か欲しいもんがあったら買いなよ。次はいつ来れるか分からないんだからね」

 少しずつ貯めたお駄賃を握り締め、何を買うか迷っていた。

 カヨは、ある店で足を止めた。店頭に並ぶ品物を見て、

「あああ、あった!……すいません、これください!」

 と言って、店内に駆け込んだ。

「包んでもらえますか?贈り物なんです」

「はい、分かりました」

 外で待っていた鶴子が、

「気に入ったもんはあったのかい?」

「はい」

 と、カヨはうれしそうに笑顔で返事をした。


 町から戻った汽車が駅に到着し、鶴子たちが駅から出て来る。

 鶴子が靴磨きをしている太一に気づき声をかける。

「太一、がんばっているかい?」

「はい、おかげさまで」

 カヨは太一に軽く手を振るだけで、鶴子に付いて通り過ぎて行く。

「おや?カヨ、あれは太一のお土産じゃなかったのかい?」

「まだダメです」

 と、ニコニコしながら言った。

 帰り道に向こうから五人の少年がやって来る。そのうちの一人がわざとカヨにぶつかる。

「きゃっ!」

 ぶつかった少年が、自分の体をまさぐりながらカヨに叫んだ。

「あれっ、財布がねぇ。もしかしてお前、盗んだんじゃねぇのか?」

「違います。うち盗んでません!」

 と、カヨが困惑する。

 他の少年がニヤニヤしながら、

「だったら服脱げよ。盗んでないなら何も出てこないはずだ!」

 鶴子がイライラしながら口を挟む。

「お前、岸本のとこのクソガキだろ?やけに大口叩くじゃないか。もし服を脱いで何も出なかったら、どう責任取ってくれるんだい?」

 鶴子の凄みに黙りこんでしまう少年たち。

 ブチ切れた鶴子が大声で怒鳴った。

「その覚悟は出来てんのかって聞いてんだよ!」

 少年たちは走って逃げて行った。

「女将さん、ありがとうございました」

「カヨ、あいつらには関わるんじゃないよ。岸本財閥のバカ息子の信照だ。貧乏人を見下して面白がってんのさ。蛇のようにネチネチしてるからね。目を付けられたら父親の力を使っても仕返ししてくるタイプだよ」

「女将さんは、大丈夫なんですか?親が動いたらまずいんじゃないんですか?」

 鶴子は耳にかかる髪を指先でかき上げながら、至って普通に、

「向こうもバカじゃないさ。昔の愛人には手を出さないだろうよ」

「えええ!」

 カヨは、目を丸くして驚いた。

「カヨ、今の話は二人だけの秘密だよ。旦那には内緒だからね」

「はい……」

 と言って、心の中でうちの女将さんは、只者じゃないと思った。


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