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太一 と カヨ  作者: 九月 草次
2/14

 昼前。カヨが乗ったタクシーは船小屋の駅へと到着した。初めての新幹線に戸惑っている。そこへ若い男性が近づいて来て、とても愛想のいい声をかけてきた。

「お婆ちゃん、どうしたのですか?」

「新幹線に乗りたいんだけど分からなくてね?」

「なら、あそこの駅員さんに聞いてみるといい」

「ありがとう、すまないね」

 深々とお辞儀をするカヨ。

「お気を付けて……」

 と、男はすれ違う瞬間、カヨのカバンから覗いた財布を抜き取り、去って行く。

 その時……。

 保奈美の叫び声が響いた。

「お婆ちゃん、待って!誠治、あのアホ捕まえて!」

「任せろ!」

 草津誠治は逃げる男を全速力で追いかけて行った。

 保奈美がカヨに近づいて来る。

「お婆ちゃん、こんなとこで何してんの?今、財布取られたのよ。外には悪い人がいっぱい居るんだから、一人でふらふら出かけたら危ないでしょ!」

 カヨは、泥棒よりタチが悪い奴に見つかったと思った。

 誠治が泥棒を捕まえて戻って来る。保奈美が財布を受け取り、中身を確認した。

「何これ、空っぽじゃない」

「ダミーの財布だよ。泥棒も何か取ったらその場から逃げて行くから揉めごとにならないからね。昔、お爺ちゃんが教えてくれたんだよ」

「あ、……そうなの」

 保奈美が呆れている。

「もういいだろ。早くその人を放してあげなさい」

 誠治が手を放すと、男は走って逃げて行った。

 誠治が保奈美に小声で耳打ちをする。

「なぁ、保奈美。婆さんから小遣いもらえよ」

「ハァ?何言ってんの。欲しいなら自分で稼ぎなさいよ!」

 と、保奈美があしらう。

「うるせーな。仕事探してる最中だろ!」

 カヨが誠治を物色するように見ている。外見ばかり気にして、物事の考えが浅そうに思えた。

「誰だい、この男は?」

「私の彼よ」

 誠治は軽く会釈をしただけだった。

「お前は、自分で挨拶も出来ないのかい?」

 何だ、この婆さん。と思いながらも誠治は渋々挨拶をした。

「草津誠治です」

 保奈美はカヨを見て、いつものいで立ちではないことに気づいていた。

「お婆ちゃん、どこか行くの?」

「ちょっと知り合いの所へ会いに行こうとかと思ってね」

「どこまで?」

「すぐそこだよ」

「新幹線で?」

 保奈美の性格からいろんなことをネチネチと聞いてくるだろうと思った。カヨは話をごまかすのも面倒臭くなってきた。

「誰にも言わないかい?」

「うんっ」

 と言った保奈美の笑顔がウソっぽい。

「あんた、返事が軽いよ。やっぱり止めた。言わない」

「何でよぉ。私、こう見えても口は堅いよ」

 カヨは言うのをためらった。保奈美の口は水素よりも軽い。教えると孫夫婦に知られるのは時間の問題となるだろう。実行した後ならどうなっても構わないが、実行する前に知られて強制的に中止させられるのだけは防がないといけない。

「聞いても絶対反対しないかい?」

「それは聞いてみないと分かんないよ」

「ならダメだ。早くどっかへ行ってしまいな」

 と言って、カヨはひとりで駅員を探しに行く。

「待ってよ。分かった。絶対反対しないから教えて」

 カヨは、すごくうたぐり深そうな表情で保奈美を見ている。しかし、保奈美に見られた以上、このまま素通りは出来ないと思っていた。

「今までお婆ちゃんにウソ言ったことある?」

「……ない」

 それは事実だった。裏ではどんな性格でも私に対してはウソなどついたことはなかった。自分で口が堅いと言ってたが、保奈美本人におしゃべりという自覚はない。

 仕方がないだろう……。少しだけ歩み寄って、保奈美を取り込むしかないと考えた。

「死ぬ前に一度だけ富士山が見たくてね。静岡まで切符を買いたいけど分からないんだよ」

「ええー、いいな。私も行きたいっ!」

 保奈美が食い付いてきた。

「私の言うことを聞いてくれるなら、お前たちの旅費もお婆ちゃんが出してあげてもいいよ」

「ホントに!契約成立だね」

「でも保奈美。明日の学校はどうする気だい?お父さんたちを撒くことは出来るのかい?」

 保奈美は、おもむろに携帯を取出し掛け始めた。

「あ、お母さん、今どこ?ええー、お父さんと天神?仲いいね。あのさ、携帯の懸賞サイトで静岡旅行が当たったから、ちょっと行って来るね。……大丈夫だって。保護者同行って言われたから、お婆ちゃんに付いて来てもらうの」

 と言うと、保奈美は笑顔でカヨに携帯を渡した。カヨは呆れながらも携帯に出た。

「あ……、もしもし。そ、そういうことだから、心配しなくていいからね」

 保奈美は、カヨから携帯を受け取ると、

「お母さん、もう新幹線の時間だから切るね。あとはよろしく」

 と言って携帯を切り、電源まで切った。

「これでよし。世間体第一の親だから学校へはうまく電話してくれるよ」

「呆れるくらいその場しのぎだね。まあ、いいよ。これから夜、寝る前には必ず親に電話すること」

「しなくてもいいよ。お母さんたちは全然心配なんかしてないんだから」

「言うことを聞く……これは約束だったはずだったよね。イヤなら旅行はナシ。簡単な話だよ」

「……分かったわよ」

 保奈美は渋々返事をした。

「誠治、お前も親に電話するんだよ」

「……ああ、分かったよ」

 態度の悪い返事だったが、とりあえず誠治にも約束させた。

 保奈美は、カヨがいつものお婆ちゃんと違うように見えた。お母さんたちに叱られても、お婆ちゃんだけはやさしい笑顔で味方になってくれた。

 でも今日は、おっとりとやさしい雰囲気は消えて、とても力強い印象を感じた。

 私たちは富士山へ行く細かいルートを知らなかった。とにかく静岡まで切符を買い、新幹線に乗り込んだ。


 保奈美たちが見ている窓の風景がゆっくりと動き出した。静岡までの長旅が始まった。保奈美と誠治は、遠足気分ではしゃぎ出した。

 ……静岡。それはカヨにとって、とても懐かしい響きだった。

「お婆ちゃんは、ずっと筑後に住んでたの?」

 売店で買ったお菓子を食べながら、保奈美が話しかけてきた。

「いいや」

「いいな。私も別の県に行って暮らしてみたいよ」

「行けばいい。親から離れて生活する大変さを知ることは大事なことだからね。人はいろんな人に助けられて生きているって気づくはずだよ」

「それなら今のままでいいや。ご飯作ったり、洗濯しなくていいもん」

 誠治が冷めた目で保奈美を見ている。

「お前、結婚しても家事としないのか?」

「そうなったらするわよ。当たり前でしょ」

「どうだか……」

 疑う誠治を無視して、保奈美は話を戻した。

「お婆ちゃんは何歳の時に親から離れたの?」

 カヨは保奈美の目を見て、その質問に少し笑った。

「小さかったよ……まだ4歳くらいだったね」

「よ、4歳?」

 と、声を合わせて驚く保奈美と誠治。

 カヨは悲しげな表情で、窓の外を眺めた。

「あたしが生まれたのは、何県かも覚えてない。山奥の小さな村だったよ……」

 カヨの記憶は流れる景色のように、過去へとさかのぼっていった。

 カヨは4歳の頃の話をはじめた……。


 山岳地帯に唸るような蝉の声が響く。町から遠く離れた山奥にたくさんの民家が密集していた。

 畑を耕しているのは年寄りばかり。川では小さな子供たちが遊んでいる。

 この地は昔から鉱山が有名で、働き盛りの大人たちはみな採掘場で働いていた。

 その為、この集落には地方から職を求めて次々と移住者が集まって来ていた。人口はどんどん増えていき、病院や学校まで建てられた。

 それでも貧富の差は激しく、学校へ通えない子供たちは、まだたくさんいたのだった。

 川の中で友達と遊んでいるまだ4歳の幼いカヨ。

 そこへ体中ドロだらけの楠木太一が近づいて来る。カヨより三つ年上の兄の太一は、炭鉱の手伝いをして働いていた。

 口元の周りだけタオルを当てていた跡が、くっきりときれいな肌を見せていた。

「お兄ちゃん、おかえり!」

 と、カヨが喜ぶ。

 太一は川で顔や体を洗い、首に掛けていたタオルで拭いた。

「カヨ、帰るぞ」

「うん。じゃあ、また明日ね」

 と、友達に別れを言って兄の太一に付いて行った。

「お兄ちゃん、お父たちは?」

「今日も残業だ。ご飯は昨日の残りでいいか?」

「うん」

「なぁカヨ、一緒に働いているおじさんが言ってたけど、町では何でも願いを叶えてくれる大仏があるんだってさ」

「へぇー、すごいね」

「カヨなら何をお願いする?」

「うーん。……うち、別に何も困ってないよ」

「それを言ったら、お兄ちゃんは何も言えないだろ?」

「だってカヨ、今、幸せだよ」

 妹の純粋な言葉に、太一は大金持ちになってお城のような家が欲しいと思った自分を、心の奥へと閉じ込めた。

「お兄ちゃんもカヨと同じ気持ちだぞ」

 と、満面の笑みを作って答えた。

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