3
夜になり月の光が、家々を照らす。
その中のひとつの家で、太一とカヨは寄り添って寝ていた。六畳一間の何もない借家だった。
玄関が開き両親が帰って来る。太一が目を覚ます。カヨの乱れた布団に気づき、整えてやる。
太一は起き上がって、
「お父、風呂沸いてるから入れるぞ」
「おお、すまん……」
父、敬三の疲れきった声が返ってくる。後から、母、絹代の姿も見える。
両親が風呂に入っている間に太一は、食事の支度をする。
人のいい敬三は友達の保証人になり、多額の借金を背負わされてしまった。自分の家を売っても借金は足らなかった。
仕方なく働いていた大工を辞め、少しでも収入の高い職を求めて4年前にこの鉱山へ家族を連れて移住した。カヨはその年に生まれた。
両親が食事を始めると太一が寝床へと戻る。
「じゃあ、俺もう寝るから」
「おい、太一」
敬三が呼び止める。
「何?」
「お前、学校行きたくないか?」
「何言ってんだ。そんな余裕ないだろ」
「それがな、お父たちの頑張りが評価されて、来月から給料を上げてもらえるんだ」
「ほんとか?」
驚く太一。傍にいた絹代も話しかけてくる。
「ええ、そうよ。だからあんたまで働かなくていいの。お母さんたち明日も仕事だから、あんたが学校へ行って手続きをしてきなさい」
「やったぁ。お父、お母、ありがとう!」
と、喜ぶ太一。
「分かったら、早よ寝ろ」
「うん、おやすみ」
太一は興奮しながら笑顔で布団に入った。うれしくて、うれしくてたまらなかった。寝相の悪いカヨは、またお腹を出して寝ていた。
絹代が寝相の悪いカヨの体に布団を掛けてやる。
「あなた、これで良かったんですよね?」
「ああ、太一にも未来がある。勉強させて色んな人生を選択させてやりたいからな」
「ええ……」
太一たちを見つめる絹代の目はとても悲しそうだった。
次の日、カヨが起きると、太一がお父たちの朝ご飯を片付けていた。それはいつも、カヨの仕事だった。
「何でお兄ちゃんいるの?仕事はお休みなの?」
「お兄ちゃんな、学校に行くんだ」
「すごいねー。カヨも行く」
「お前はまだ早いよ。でも、学校から帰ったらお兄ちゃんが勉強教えてやるからな」
「うん」
勉強の意味すら分からず、カヨは喜んで返事をした。
「顔洗って、早くご飯食べろ」
「うん」
いつもこの時間からカヨは一人だった。太一がいるだけでうれしかった。
家から歩いて30分位の所に炭鉱の仕事場があった。広場では点呼が取られ、いくつかある現場ごとに振り分けられたくさんの人が整列していた。
「では、四号の班。行くぞ!」
班長が声を上げ、労働者を引き連れ歩いて行く。その中に太一の両親、敬三と絹代の姿もあった。
他の班の話し声が聞こえてくる。
「見ろよ。四号だぜ」
「今日からまた採掘が始まんだな」
「お前は行かないのかよ。募集にも給料いいって書いてあったろ」
「誰が行くかよ。あんな地盤が緩いとこで仕事なんかするのは、自殺行為だよ。あそこで働く奴らはよっぽど金に困ってる連中だけだろ」
「だよな、今まで何回も崩落してんのに、ブツがたくさん取れるからってすぐ再開しちまう。まったく欲ぶけえ会社だな」
穴に入って行く四号班を見ながらみんなが笑っていた。
太一はカヨを連れて、大森小学校へ来ていた。板張りの廊下がギシギシと鳴る。
たくさんの子供たちが教室で勉強しているのを横目に、太一は自分もここで勉強するんだとわくわくしながら歩いた。職員室のドアを開け、大きな声で叫んだ。
「失礼します。僕は楠木太一といいます。入学届けを頂きに参りました」
と、太一が一礼。そして、横にいたカヨも一礼した。
「おーい、飯にするぞ」
班長がみんなに昼休みを知らせる。敬三たちは作業を止め、ふらふらの体を動かして外へと向かった。
その時、小さな地響きが起こる。ざわめく作業者たち。揺れはすぐに止んだが、怖がりの絹代は自然とみんなより足が早くなる。
絹代が敬三の方へ振り返ると、他の者たちとしゃべりながらのんびりと歩いていた。
「あんた、早よ行こう」
「大丈夫、大丈夫。心配するな」
と言った直後に、再び強い揺れと地響きが起こり、絹代の目の前で敬三たちの天井が崩れ落ちた。
狂乱した絹代が叫びまくる。
「あんたー、あんたー」
そして、絹代のいる天井まで崩落したのだった。
四号の穴の入り口から物凄い量の地煙が吹き出てくる。異常事態を察知し、外にいた作業者たちが慌て出した。
すぐさま採掘場にサイレンが鳴り響いた。
サイレンは村にまで響いた。学校から書類を持って、太一はカヨと家に向かっていた。いつもと違うその音に太一は胸騒ぎを感じた。
「山で何かあったな」
家々から飛び出す人々。畑を放って走って行く人。自分の家族に何かあったのかとみんな山へと向かった。
「太一!」
近所のおばちゃんが太一を見つけ、叫んだ。
「お前とこのお父とお母が、大変だぞ!」
それを聞いた太一は学校の書類を投げ捨て、カヨを置き去りにし、全速力で山へと向かって走って行った。
「お兄ちゃん、待って!」
カヨも急いで後を追いかけたが、もう太一の姿は小さくなっていた。
カヨが着いた時、炭鉱の現場は人でいっぱいだった。人々のざわめきの中、スピーカーの声が断片的に入ってくる。
「先ほどもお話したように、中はほとんど埋まってしまっていて入れません。ご家族の方の悲しみも分かりますが、こちらもどうすることも出来ないんです」
カヨには、何の話をしているのか分からない。人込みを掻き分け太一が出て来た。
「カヨ、帰ろう。ここに居てもどうしようもない」
「お父は?お母は?」
太一は何も応えず、カヨの手を引いて家へと帰った。
その夜、太一が何度説明しても、まだ4歳のカヨには理解できない現実だった。朝は、カヨが寝ている時に仕事へ出かけ、夜は、カヨが寝ている時に帰って来る。仕事が休みの日は、二人とも疲れ切って一日中寝ている。家族で出かけたことなど一度もない。カヨには両親と一緒に過ごした時間がほとんどなかった。親の温もりをまだ知らない。それでもカヨは、布団の中に入って一晩中泣いた。
太一がそっと家の外へ出て行く。満月の明るいきれいな夜だった。カヨの泣き声を背にして歩いて行く。太一の心の中は、押し寄せる未来への不安でいっぱいだった。
これからどうすればいいんだろう……。妹の面倒を自分が見ないといけない……。
もう、学校どころではなくなっていた。7歳の男の子に課せられた運命は、とても重く伸しかかって来た。
カヨの泣き声が聞こえなくなるくらい歩くと、近くの木に凭れてしゃがみ込み、ひとり寂しく泣いた。
「お父……、お母……」
今はただ、両親の死を悲しんだ。
次の日、会社の人間だと言う大人が家に来た。背広を着て裕福そうな人だった。弁護士と書いてある名刺を渡され、感情のない表情で業務的な言葉を並べて何かを話している。
太一にお堅い日本語は理解できなかったが、どうやら自分たちはお母さんの親戚の家に預けられるらしい。こういう時の為の身元引受人がいるのだ。二人は急いで荷物をまとめさせられ、車に乗って出発した。
太一たちの気持ちとは関係なく物事が進んでいく。自分たちの家が小さくなっていく。カヨが生まれた故郷が小さくなっていく。お父とお母が眠っている山が小さくなっていく。
その車は、太一たちの人生を全く別の方向へと運んでいく。逆らう術を知らない太一たちは、ただ、小さくなっていく4年間の思い出を視界から消えるまで後ろ窓から見ることしか出来なかった。
そして、ここへは二度と帰ることはないのだろうと感じた。
何時間も車に揺られ、親戚の家に着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。
太一は寝ていたカヨを起こして車を降りた。目の前には二階建ての大きな木造の家。中から母、絹代の妹、田沼サト子が出て来た。農家に嫁いで7人の子持ちである。
弁護士は太一たちの紹介を済ませると、サッサッと車に乗って帰って行った。
残された太一とカヨ。カヨは太一の腕にしがみ付き、うつむいて立っている。
サト子がため息をついた。
「まったく、面倒な話だよ。いいかい、ただで飯を食わせる気はないからね。二人共しっかり働いてもらうよ」
「はい」
と、返事をする太一。不安でいっぱいのカヨは、太一の手をギュウと握った。口をとがらせ、今にも泣きそうな表情でモジモジしている。
「カヨ、大丈夫だ。お兄ちゃんが付いてるから心配すんな」
と、太一はカヨをやさしく励ました。
サト子に付いて玄関を入って土間を通って行く。
座敷にいる子供たちが目の前を歩いて行く太一たちを物珍しそうにジロジロと覗き見る。
「お前たちまだ起てるのかい!早く寝な」
サト子の一喝で子供たちは部屋へと散った。
サト子は家の裏口から外へ出て、太一たちを牛小屋へ案内した。与えられた部屋は、その牛小屋の屋根裏だった。
梯子で上がってみると、そこは壊れた農具が置きっぱなしのただの物置。電気もなかったが、窓から月明かりが差し込んで明るかった。
隅にボロボロの布団が用意されている。糞の臭いがキツく、四頭いる牛の鳴き声もやかましかった。
「太一、お前はあしたから、うちの旦那と田んぼで働いてもらうからね」
「はい」
「カヨは、まだ小さい菊蔵とトキの面倒と家事をするんだ。いいね?」
「……」
「何だい。お前は返事も出来ないのかい!」
「妹は、何時間も車に乗せられていたから、疲れているんです。俺からちゃんと言っておきます」
「ふん。じゃあ、あしたからしてもらうから、今日はもう寝な!」
「あの……、俺たちまだ何も食べてないです」
「うちの夕食はもう済んだんだ。一日、二日食べなくても死なないよ」
そう言って、サト子は部屋へと戻って行った。
「お兄ちゃん……お腹すいた」
困ってしまう太一だが、カヨの目線まで腰を落とし、笑顔を見せた。
「カヨ。ちょっと、待ってな」
太一は、牛小屋を出て母屋の裏口に向い、静かに中へ入った。暗くて何がどこにあるか分からなかった。釜の中を探ってみる。残っているご飯をかき集めても、小さなおにぎりがひとつしか作れなかった。
その時、奥の部屋からサト子の声が漏れてきた。
「絹代姉さんもツイてないね。農家に嫁げば食いっぱくれることはないのに……」
「いつの時代も土地を持っとる者が強いからのう」
と、この家の主、彦助の声。
「そうでなれけば、こんなに子供作らないでしょ」
「どうだ?8人目でも作らんか」
「何言ってんのよ、もう……子供らに聞こえるでしょ」
太一は気づかれないように、牛小屋へ戻った。
カヨにおにぎりを渡すと、寝床の準備をした。
「お兄ちゃんのご飯は?」
「さっき、つまみ食いしたから、カヨが食べな」
と言った太一のお腹が「グー」と鳴る。
カヨが近づいて来て、おにぎりを二つに割った。
「はい、お兄ちゃんと半分こ」
と、割ったおにぎりを差し出す。
「カヨ、ありがと。あしたからお兄ちゃん、がんばるからな」
「カヨもがんばる」
太一は、その言葉につい微笑んでしまう。
「うん、二人でがんばろうな」
そして、山の家で寝ていたように二人寄り添って眠りに付いた。




