第四章
昭和二十八年四月、人見芳樹くんは当時十歳の誕生日を迎えたばかり。檜町立北小学校の新四年生であった。北小学校は神之森からそう遠くない場所にあったが、担任の教師は口を酸っぱくして森には近づかないようにと言った。けれど、芳樹君はそういうわけにはいかなかった。というのは彼の家は神之森の入口付近の神之洞にあったからだ。しかも彼は風呂を沸かす薪集めの役をさせられていて、国有林に隣接する人見の山に毎夕這入らねばならなかった。
その四月のある日、いつものように山で薪を拾っていると、不思議な声を聞いた。
「ちつちやいわらはべおーいで。かはゆいわらはべおーいで」
どうやら御隠れの洞の方から聞こえてくる。何だろうと思い、行ってみると、境内の洞の近くで白子のような小人が五六人いて、角力を取っている。洞の前には土俵があって、毎年収穫の季節になると角力の土俵入りが奉納されるのである。白子は芳樹くんを認めるとすぐに駈け寄って、彼の手を引っ張った。
そこは深い森に覆われていて、昼間でも暗いはずなのに、今日は何故か土俵の周りだけは明るかった。白子は角力の相手をしてほしい身振りであった。言葉は話さないが、時々白子は、「きゃっ、きゃっ」というような歓声を上げた。
芳樹くんは白子の取る角力をぼんやり眺めていたけれど、白子たちがあまりに弱そうなので呆れてしまった。それで「弱いなあ」と思わず口に出して言うと、白子の一人が、芳樹くんの手を引っ張って、彼を土俵に誘った。
芳樹くんは痩せてはいたけれど、クラス一背が高く精悍で、当時の大関栃錦の大ファンであった。技もたくさん知っていたし、要するに角力ではクラスに敵う者がいなかった。その彼が、白子と角力を取る。はっきり言って白子など相手ではない。一人目を倒し、二人目を投げ、三人目を寄り切ると、白子はあまりの強さに感嘆した様子で、身振り手振りで稽古をつけてくれと言う。
夕日はとうに沈んでいて、森の中は真っ暗だったのに、土俵周りは未だほっかりと明るかった。というよりも土俵そのものが燐光のような光を放っているようにも見えた。芳樹くんは時間の経つのも忘れていた。と言うか、あまりに辺りが明るいので、まだ昼間なのではないかと錯覚していたのである。もう夕餉の時間はとっくに過ぎていたのに、ちっともお腹が空かなかった。
その頃、神之洞地区の町内会では大騒ぎになっていた。父親は警察に捜索願を出した。翌日より毎日二十名から三十名の人員で一月に亘って本格的な捜索が行われたが、結局、芳樹くんは見つからなかった。神之森は富士山の麓で、熔岩による大穴が至るところにあり、その上に枯れ枝と落葉が降り積もって天然の落とし穴となっていて、これらが捜索班を悩ませた。また、磁石が何の役にも立たないほど磁場が強いので、一人歩きは危険すぎた。実際、迷いかけて穴に落ち、脚を骨折した隊員もいた。捜索班は不明者の身に何が起きたのか、まったく把握できていなかったこともあって、余計捜索範囲を絞りかねた。神之森は恐ろしく広大な樹海である。こんなところでこども一人を捜すなど、砂漠で一粒のダイヤを捜すようなものだ。まるで当人の生きていた痕跡が全て消えてしまったかのようであった。手がかりが何もないのだ。
結局、神之森の行方不明者のリストに、新たな名前が加わった。
「人見芳樹、性別・男、失踪当時十歳」。
現在人見家には芳樹くんの墓はない。が、供養は欠かさなかったと見えて、戒名の書かれた白木の位牌が仏壇の奥に置かれてある。
一方、安曇野月男さんは翌年養老院で息を引き取った。老衰だった。葬儀は簡略に済まされ、遺体は荼毘に付されて、現在遺骨は共同墓地の納骨室に眠っている。そこには命日と「安曇野月男」の名前だけが、マジックで書きこまれている。




