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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第6章 メアリー・スチュアート帰国編
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第82話 しんどいゲーム


 その日の朝、ウォルシンガムと交わした会話は、私が『女である前に王』なのだということを、改めて自覚させた。


 マリコと出会い、昔の自分を思い出して、どこか浮ついた気持ちでいた己を戒める。



 私は女王……私は女王……



 部屋の姿見の鏡の前に立ち、胸の内で念じる。


 舞台で、上手く役に入れない時によく使う自己暗示だ。

 煌びやかな衣装を身にまとった鏡の中の『女王』に、イマジネーションを膨らませる。


 エリザベス女王として歴史の舞台に立つ、自分を。


「――私は、女王」


 無表情に鏡を睨みつけ、平坦に呟いた私の声を、その時、髪留めの位置を直していたキャットだけは聞き届けただろう。


 何も言わずにつき従う彼女を率いて、部屋を出ると、すでにそこには重臣たちが控えていた。


「行きましょう」


 背筋を伸ばし、彼らの先頭に立った私は、メアリーの待つ大広間へと向かった。





 重々しい音を立て、両開きの大扉が目の前で開いた。


 開けた視界が不自然な静寂のうちに包まれ、複数の視線が突き刺さる。

 それらの視線に物怖じせず、私はゆっくりと(こうべ)を巡らした。


 広間の中は、予想以上の数の人で賑わっていた。


 もとよりこちらが引き連れている人数は知れているのだが、メアリー側が立会人に、随行させた家来のうち、貴族や官職にある者を軒並み揃えたような盛況ぶりだ。


 会談の内容を記録しようと筆と紙を持つ者も多く、そこには、この場で言及された事柄を多くの耳目に残そうという意図が感じられ、彼女が、己に都合のいい条件を引き出せることを期待しているのが見てとれた。


 悪いが……


 こちらは、その期待に添えるようなシナリオは用意していない。


 互いに引けぬ部分があるのならば仕方がない。

 譲れぬ部分まで譲っての和合は迎合でしかないため、私はこの時には、『現時点では』はっきり決裂する覚悟を決めていた。


 時世により状況が変われば、また再び交渉の機会を持つ余地もあるかもしれない。


 後はいかにこちらの意志を伝え、舐められないように、刺激しないように、彼女とその周囲の人間の行動を牽制するか。


 女として、個人的な知り合いとして、舐めてもらう分には一向に構わないが、政治家として、公の場で舐められることだけは絶対にあってはならない。


 切り替えて挑んだ私は、紫のビロードと黒のサテン生地に、金の刺繍をあしらった絢爛な衣装に身を包み、大広間へと足を踏み入れた。


 進み出たイングランド女王の姿に、圧されたように広間にかすかなざわめきの波紋が広がる。


 対するメアリー女王は、今日は喪服のような黒一色のドレスだった。

 それでも、広く開いた襟ぐりや袖から覗く白い肌が艶めかしく輝き、彼女の美貌を引き立てている。


 夫を亡くしてまだ4カ月。敬虔で貞淑な未亡人の印象を与えようという腹だろうか。


 公の場では、衣装1つとっても書記の手によって書きとめられ、公文書として世に残る。

 政治が舞台である以上、身にまとうドレスにも演出の意図が込められる。


 華やかな対峙の裏に、それぞれの思惑を隠し、私たちは視線を絡ませた。


「本日、この城を発つので、出発の挨拶に参りました」


 相手の女王に敬意を表し、膝を折って一礼をした後、私は広間に響く声で告げた。


「短い間だけど、会えて嬉しかったわ。私の妹」

「お姉様と過ごしたこの3日間は、わたくしの人生の中で忘れ得ぬ、かけがえのない時間となるでしょう」


 膝をつき、祈るように両手を組んだメアリーの細い顎が上がる。

 上目遣いに見上げてくる濡れた褐色の瞳が、蠱惑的な煌めきを見せた。


「わたくしは愛しいお姉様の健やかなる健康と、穏やかで永い治世を心より祈る者ですが、イングランド王国にとっても、不測の事態に備えた後継者の指名は、早急の懸案でございましょう」


 予想通り、メアリーはさっそくその話題に入った。


「こうして陛下のご厚意に与り、かけがえのない時間を共有した姉妹として、お願い申し上げます。貴女様の妹は、必ずやイングランドの『国家の国民のために』なる王となるでしょう」


 その一言に、おぉ……と、感じ入ったように聴衆が息を飲む気配が伝わる。

 2日前、彼女がその言葉を笑い飛ばしたことを知る者はごく少数だ。


「どうしてそう思えるの?」


 あえて、私は彼女のその言葉を掘り下げた。

 聞こえのいい台詞を並べることは簡単だ。だが、付け焼刃の『真似』では、説得力のある言葉は生まれてこない。


「神がそう思し召しておられるからです」

「…………」


 黙って見返す私の静かな目に、メアリーは媚びた笑みを作って付け足した。


「もちろん、わたくし自身、陛下の後継者として気に入っていただけるように、あらゆる努力をいたしますわ」


 薄っぺらい、と感じた。


 言葉には力がある。だが、力のこもらない言葉は、人に届く前にぺしゃりと床に落ちる。


 彼女の口から発せられた言葉が、私の足元にすら転がらぬ距離で床に落ちるのを見て、私は小さく息をつき、穏やかに微笑んだ。


「ごめんなさい、メアリー。あなたが気に入らないわけじゃないのだけど……私は、自分の目の前に経帷子をぶら下げるほど愚かな女じゃないの」


 後継者の指名は、現状の私の立場を考えるならば、死に直結する問題だ。


 今、私の後継者候補として取り上げられている人間は何名かいるが、代表的なのはプロテスタント派が担ぎ上げようとしているサーフォーク公爵家のキャサリン・グレイと、カトリック派の希望の星であるこのメアリー・スチュアートだ。


 プロテスタント派のサーフォーク公爵家を指名すれば、ローマ・カトリックへの回帰の望みが絶望的になったカトリック教徒が、暴動やら暗殺やら過激な手段に出るだろうし、メアリーを指名すれば、プロテスタント維持の為なら手段を選ばぬ清教徒(ピューリタン)を刺激する上、カトリック教徒もまた早急な旧教復帰を目指し、より一層私を追い落としにかかってくるだろう。


 両翼に危険分子を抱え、彼らを刺激しないように均衡を保つには、どちらかに偏る未来を決定してしまってはいけない。


 彼らに都合の良い夢を見させながら、先の見通しは立てずに、じわじわと国教会の信仰を国民に浸透させていく。


 それはとても慎重で、気の長い作業だ。


 新しく出来た中庸の国教を、本当の意味で彼らの血と肉にするには、長い歳月が必要になるだろう。


 その間の均衡を保ち、国内の平和を維持するためにも、私はカトリックの後継者もプロテスタントの後継者も指名しないし、同様にどちらの夫も持たない。


 エリザベス1世が未婚を貫いたのは、結局、国家の安定を誰よりも理性的に見極めた上での決断だったのだと、私は今になってはっきりと理解し始めていた。


 ただ単にエリザベス1世がそうしたから、ではない。

 今は、そうすることが英国の為だと、私自身、そう信じていた。


 だから、メアリーの人間性がどうであれ、本心がどこにあれ、私は彼女の希望を聞くことはできない。


「私があなたを後継者に指名することによって、何が変わり、何が動き、何が起こるのか――分かるかしら? 私の置かれた立場も理解してちょうだい」

 

 そう諭され、一瞬、メアリーは明らかに不満そうな顔をしたが、すぐにそれを優美な微笑みの下に隠した。


「もちろんですわ、お姉様。貴女の妹は、いつも陛下が御心安らかであることを祈っております」

「ありがとう、私の妹。同じ女王として、従姉妹として、ブリテン島を分かつ国の統治者として、あなたとは良き友人でいたいと思っているの」


 彼女の言葉の裏側の不満に気付かないふりをして、私もまた鷹揚な笑みを浮かべて応えた。


「お互い、賢い判断をしましょう」





 別れの挨拶を終え、広間を後にした私たちは、すでに出発の準備を整えた一団が待つ正門へと向かった。


 仕事モードに入っている時の癖で、背筋を伸ばして大股に歩く私の後ろを、重臣たちがついてくる。

 早足に廊下を突き進む私の両脇には、セシルとウォルシンガムが1歩引いてつき従っていた。


 閉じた扇子を握りしめ、前を向いたまま言い放つ。


「あれが限界ね」

「限界でしょう。あれ以上の親切心は、こちらの不利益になるかと」


 私の感想に、ウォルシンガムが頷く。その声には、満足も不満足も含まれてはいない。


 リスクを軽んじ、都合のいい青写真にばかり目がいく人間に、軽率な行動を慎ませるのは容易ではない。


 彼女が行おうとしていることが、どういう事態を招くのか、そしてそれを防ぐために、私はどういう行動をとらなければいけないのか――本当は、こういう人間にはハッキリと言ってやった方がいいのだが、私の口から一から十まで彼女に説明してやるわけにはいかなかった。


 それはウォルシンガムの言葉通り、こちらの不利益になる。


 彼女を後継者に指名することの危険性を匂わせて牽制はしつつも、明確にカトリック教徒の反乱を疑っているような言質を取らせてはいけない。 


 あの場にいたほとんどが、私から失言を手に入れたい敵だと思った方がいい。


 だから、多くを語らず、短い言葉で、彼女自身が悟るように促したのだが――正直、メアリーの理解力には不安が残るが、周囲には十分私の決意と警戒が伝わったはずだ。


「セシル、モレー伯とは連絡を取ってるわね?」

「勿論です」

「私の妹をくれぐれもよろしく、と伝えておいて」

「御意。伯もお喜びになるでしょう」


 エディンバラ条約以降、イングランド政府は、一部のプロテスタント貴族を秘密裏に味方につけ、スコットランド議会を監視している。


 スコットランドのプロテスタント派にとっても、国境を接したプロテスタント国家の後ろ盾は心強い。

 間接的にでもイングランド女王の言葉を賜るのは、モレー伯に自信を与えるだろう。


 とはいえ、これ以上、私から彼に何か具体的な指示を与えるようなことはしない。

 そんなことをしなくとも、彼はイングランドの歓心を買うために、自発的に私の望む行動を取るはずだ。


 メアリーが帰国すれば、当然モレー伯は、今回の会談の内容を知るだろうし、私がメアリーに言った言葉の意味も理解するだろう。後は、彼に任せる。


 これまでメアリーには、周囲がうそぶくカトリック側の都合のよい主張しか耳に入っていない。

 今後スコットランドで、彼女と近い距離で関わっていくことになる異母兄のモレー伯こそ、説得役に相応しかった。


 モレー伯がイングランドの意向を汲んで、スコットランド女王を上手く御せば、両国の関係は平穏のうちに保たれる。

 それ以上のことは、私は彼らには望んでいない。後は、彼ら身内での問題だ。


 勿論リスクはある。モレー伯とて、完全に信用できるわけではない。


 何か彼が個人的な野心で問題を起こした際に、こちらまで巻き込まれるようなことがないよう、慎重に配慮しつつ、利用できる部分では利用していく。


 利用し、利用される関係である以上、ギリギリを見極めるのが戦略だ。イレギュラーが起これば、その都度修正しながら、最善の策を選びとっていく他ない。


「また、しんどいゲームが始まったわね……」


 スペイン、フランス、ハプスブルク家、ローマ・カトリック、プロテスタント……駆け引きの糸に、また1つ厄介な存在が加わる。

 

「それが貴女の仕事です」

「分かってるわよ」


 呟きを聞き咎めたウォルシンガムの無愛想な声に、こちらも愛想なく応える。


「私は、王だから」




第6章 完

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