第81話 神のご意思
……朝が来てしまった。
結局、臣下の男女問題について、君主がどこまで口出しすべきかという昨夜の命題は、結論が出ないまま投げ出された。
途中で寝てしまったのだ。
……また今度考えよう。
例のごとく面倒なことを棚上げし、あくびを噛み殺しながら朝の支度をした私が部屋を出ると、いつものようにロバートが出迎えていた。
「おはようウサギさん、昨日の舞踏会はどうだった?」
恒例の朝一の挨拶に来たロバートに、今朝は私の方から話題を振った。
「やっぱりメアリーと踊っ……」
「陛下! 確かに俺は昨夜メアリー女王と踊りましたが、心は常に貴女の許にありました……!」
急に手を握り、詰め寄ってくるロバートの訴えに目を瞬かせる。
単純に気になっただけで、何も怒るつもりはなかったのだが。
「だからどうか、御心を煩わせないでください」
「大丈夫よ。全然煩わせてないから」
「そうですか……」
気にしてなかったので普通に返すと、ちょっとしょんぼりされてしまう。
むぅ。男心も難しい。
だがそこは形状記憶男、すぐさま立ち直って、握りしめた私の手に唇を落として訴えた。
「陛下。貴女の精霊が、俺を嵌めようとしています。どうか今一度あの悪しき精霊をお諌め下さい」
どうやら昨日はだいぶセシルにいじめられたらしく、告げ口してくる。
実はセシルも、ロバートをいじるの楽しんでるんじゃなかろーか。
「うーん、そうねぇ……」
面白いのでもうしばらく様子を見とこうと思っている私が、曖昧に口を濁していると、護衛隊長のセント・ローがやってきた。
「レスター伯、やはりこちらにおいででしたか。すでに皆集まっておりますので、急いで会議においで下さい」
「あい分かった。だがしばし待たれよ、サー・ウィリアム・セント・ロー。女王陛下へのご挨拶がまだ……」
「長くなるから連れて行っていいわよ、セント・ロー」
「御意」
「忙しいのに悪いわね」
「これも仕事ですから」
ロバートが不在の間、代わりに女王の身辺警護を指揮していた護衛隊長が、諦観じみた返答を残して敬礼し、遠慮なく上司を引きずっていく。
「陛下! 会議が終わればまた参ります!」
「いーから仕事頑張りなさい」
人数が少ない分、警備の仕事が忙しいはずの守馬頭は、名残惜しそうにしながらも、渋々部下に連れられて去っていった。
「さて……」
その背を見送った後、私は侍女を1人つれて歩き出した。
今日はコルチェスター城滞在最終日だ。
メアリー一行には、船の修繕が済むまではここに逗留してもらうことになるが、私たちは午後にはこの城を出る。
出発前の挨拶が、最後の交渉の機会になる。
初日は、予想外のキャラクターに当惑し、相手のペースに飲まれてしまった感がある。
更に相手がマリコと判明してからは、完全に彼女に振り回されっぱなしだ。
いくら苦手意識がつきまとっているとはいえ、これはよろしくない。
相手はあのメアリー・スチュアートだ。
政治的にはすこぶる微妙な関係性にある相手な以上、上手く立ち回らなければ――下手をすれば、私の命と、国家の存亡が関わってくる。大げさな意味でなく。
そういう意味では、ウォルシンガムが神経質になるのも仕方がないのだが、極力ことを荒立てない方向で行きたいという私の方針は変わっていない。
マリコは、つい感情任せの行動に出やすいタイプだ。
変に機嫌を損ねて、戦争でもふっかけられてはたまらない。恐ろしいことに、女王にはその権限がある。
かといって、相手を図に乗らすのは余計に命取りだった。
相手はイングランド王位に欲を出しており、ローマ教皇も国教会と対立している立場から、メアリー・スチュアートの王位の正統性を支持している。
ローマ教皇が支持しているということは、とりもなおさず全カトリック教徒に支持され得るということだ。
今のところは、イングランド国内のカトリック教徒は、不穏な動きを見せつつも、大規模な反体制運動は起こしていない。
だが、メアリー・スチュアートの存在は、今は分散している反エリザベスの不満分子を一旗の下に集めうる危険性を秘めていた。
さぁ、どう扱うか。
「はぁ……」
ここ2日ほどで個人的に受けたダメージが回復しておらず、午後の会談に向け今ひとつモチベーションが上がらない私が溜息をつくと、合流したウォルシンガムが見下ろしてきた。
「ご気分が優れぬご様子ですが」
彼の顔を見上げ、もう1つの気がかりを思い出す。
「大丈夫。寝不足で頭がぼんやりしてるだけ。散歩してたら覚めると思う」
「では、また蛇と遭遇しますか」
「絶対嫌」
確かに一発で目が覚めそうだが、とんだ荒療治だ。
昨日の恐怖を思い出し、顔をしかめて即答すると、私は侍女を留め置き、早足に宮殿の表へと向かった。
この方が頭が冴えるのだが、ゆっくり歩くのが優雅というのが宮廷の作法なので、女性でこのスピードについてこられる者はいない。
さすがにコンパスの差か、私がかなり競歩で歩いても、ウォルシンガムは悠々と横についていた。
朝の散歩は昨日の反省を踏まえ、表の美しく整備された広場を歩くに留めた。
「舞踏会はどうだった?」
昨日のマリコの発言が気になってしょうがなかったので、遠回しに聞いてみると、無表情に返された。
「存じ上げません。陛下が退席された後、私も部屋に戻りましたので」
「え……そうなの。なんで?」
「主君のいない舞踏会に顔を出す必要がありますか?」
必要あるかどうかと言われると、厳密にはないような気もするが……
他国の女王がいる場だし、普通は命令がなければ、気を使って残ったりしそうだが、まぁ、その辺はウォルシンガムだしな。
その回答になんとなくホッとして、私は話題を今日の会談に移し、色々迷いながらも練っていた作戦を打ち明けた。
「今日のことだけど、メアリー側は、この機に私に後継者指名の確約の言質を取ろうとすると思うの。残念だけど、この2日間で彼女を説得するには至らなかったし……こっちとしては、こちらの意志をはっきり伝えた上で、強硬な手段に出ないように少しは希望を持たせた方が……」
言いながら、顔を上げた先に予想していた黒い双眸はなく、ウォルシンガムは遠くを眺めるように、視線を前方に投げかけていた。
「クマさん?」
呼びかけると、ようやく気付いたように目線が降りてくる。
「ああ、失礼。何ですか?」
聞き返されて驚愕する。
ウォルシンガムが私の話を聞き逃すなど、未だかつてあっただろうか。普段、聞かなくていいことまで聞いているくせに。
なんか、今日のウォルシンガム変……?
「考え事?」
「…………」
どう見てもぼんやりしている相手を見上げて聞くと、珍しくウォルシンガムの方が視線を外し、やはり遠くを見ながら、どこか着地点の見えない声で答えた。
「……貴女が、なぜ女性であるのかを考えていました」
「は?」
「神がなぜこのイングランドに、貴女を女の王としてお遣わしになったのか……貴女が女性である必要はあったのか……」
「何言ってんのか分からないけど……」
聞いたのは私だが、こんなとりとめのないことを口に出すこと自体、今日のウォルシンガムはやっぱり何かおかしい。
「何よウォルシンガム。あなたは、私が女で残念だったって言いたいの?」
「いえ、そういうわけではありませんが」
私にはそう言っているようにしか聞こえなかったのだが、ウォルシンガムは、思いもよらぬ言葉を聞いたというように、きょとんとして見返してきた。
「むしろ……」
そう口にしかけた言葉を取りやめ、ウォルシンガムはわずかに顔をしかめた。
だがそれよりもさっきの台詞の方が気になり、私はこれを機に以前から引っかかっていたことを聞いた。
「でも、女の君主が嫌で大陸に渡ったんでしょう?」
「どこからそれを」
ウォルシンガムが目を見開く。
「ケンブリッジで会った時に、ロジャー・アスカムが言ってた」
「あの方の口の軽さは女性並みか……」
目を逸らし、苦々しい顔で師に毒づく。
だが、すぐにウォルシンガムは開き直ったように私を見据えた。
「それだけではありませんが、理由の1つではあります。多くの場合、女性に統治能力を求めるのは無理がある」
「じゃあ、私は……」
「何事にも例外はつきものです。我が君主が稀なるその例外であったと、ただそれだけのことでしょう」
ややもすれば不機嫌とも取れる口調で言われ、私は言葉を飲み込んだ。
なんだろうこれは。
たまに失礼なくらいズケズケと物を言うこの男を、いつか認めさせてやりたいという気持ちがあったのは確かだ。
今の発言は、遠回しではあるが、今のところ及第点をもらっているということでいいのだろうか。けど、これはこれで「お前は女じゃない」と言われてるようで、複雑なような……
同時に、プレッシャーを感じた。
いつか女としての私が、ウォルシンガムの期待を裏切ってしまうんじゃないか。
そんな思いが過ぎり、どんな感情を表に出せばいいのか分からなくなる。
結局曖昧な顔のまま視線を落としたところで、やたらと王の性別にこだわるウォルシンガムに、ふと、嫌な予感を覚えた。
「クマさん、メアリーとなんかあった……?」
「…………」
気持ち尻込みしつつも、勇気を出して聞いてみる。
本当は、あまりこういう探りは入れたくないのだが。
それに、聞いてみたものの、ここで「あった」と言われたところで、どういう反応をするのが『正しい』のだろう。
「神に誓って」
つい口にした質問を、内心ぐずぐずと後悔しだした私に、ウォルシンガムは厳しい表情で、静かに告白した。
「陛下に顔向けできないようなことは何1つございません」
「そう……」
真剣な顔でそう断言されれば、信じないわけにはいかなかったが、つまり、私に顔向け出来ないようなことはなかったが、マリコと何らかの接触はあったのだろう。
マリコの性格を考えると、あそこまで私を煽っておいて、何も手を下さないというのも不自然だ。
だが結局、何があったのかまでは聞き出せなかった。
ウォルシンガムが話したくないことに口を割るわけもなく、私も、これ以上踏み込むのは越権行為のような気がして、気が引けた。




