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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第6章 メアリー・スチュアート帰国編
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第80話 恋愛ってめんどくさい!


 眠れん……!



 夜、ベッドに横になりながら、私は何度目かの寝返りを打った。


 窓の外からフクロウの鳴き声が聞こえてくる、静かな夜だ。


 早めに切り上げて部屋に戻ってきたので、後がどうなったかは知らないが、さすがに舞踏会もとっくに終わっているだろう。


 昼間の話からすれば、ロバートがマリコのダンスのお相手をしたのだろうか。


 明日にでも首尾を聞きたいところだが、外面に限って言えば、ロバートはどこに出しても恥ずかしくない子なので安心である。


 そういえば……マリコ、ウォルシンガムには声かけたんだろうか。


 ふと、そんなことを思う。


 あんなこと言ってたしな……


 ウォルシンガムが、人前でダンスを踊るのを喜ぶようにもあまり思わなかったが、公衆の面前で隣国の女王から所望されて、断るという選択はさすがにないだろう。


 うーん……


 気になって仕方がない。


 いや、気になるならエスケープするなって話なんですけどね!


 にしても、昼のマリコの話は、ウォルシンガムに伝えておいた方がいいのだろうか?


 それもなぁ……「あんたメアリー女王に狙われてるみたいだから気を付けなさいよ」って? 何言ってんだこいつとか思われそうなんだけど。


 さすがに女の子だったら注意喚起もするけど、男だしなぁ……その辺は自己責任というか自己判断というか……でも臣下だし……でも恋人ではないし……


 臣下の色恋沙汰にどこまで口を出していいのかというのは、線引きが難しい。

 女性で王侯に近いグレート・レディーズなら、立場上私が管理しなきゃいけないが、男のしかも庶民となると普通はどうぞご自由にというところだろう。


「身分違いだからやめとけ」って言っといた方がいいのだろうか? 

 でも、それこそ、わざわざ言われなくても分かってることだしな……そこ気にするなら自分で歯止め掛けるだろうし。


 臣下は私の所有物じゃないんだから、色恋事にまで口出しするのは厚かましい気がしてならない。

 我が物顔で嫉妬してると思われても、何かヤだし……


 別に不倫しているわけじゃないのなら、メアリーの言う通り、双方に合意があれば、もういい大人なんだからバレない程度に遊びで付き合うというのも……まぁ、考え方の1つとしてはありなのだろう。

 フランス宮廷ではそんな感じだったのかもしれない。


 その辺は個人の価値観の違いなので、あまり一方的にこちらの倫理観を押しつけるのもどうかと思ってしまう部分はある。

 結局、色恋事は「本人たちがそれでいいなら、それでいいんじゃないの」という究極の結論に達してしまったらそれまでだ。


 でも、周囲の人間からすると、そうもいかない部分もあるわけで……しかも女王ともなると迷惑がかかる範囲が……


 あああ分からん!


 こういう結論の出ない問題を考えるのは苦手だ。



 恋愛ってめんどくさい!!



 こうやって、ぐだぐだ理屈をこねて悩むこと自体が、干物が干物たる理由なような気もしないではないが、熟考せずに動くなど恐ろしくて出来たものではない。


 そんなことをぐるぐる考えていると一向に眠れず、私はその夜何度もベッドの中で寝返りを打った。







~その頃、秘密枢密院は……



 フクロウの鳴く声が低く交錯する夜半。


 寝静まった城で、蝋燭の明かりを頼りに筆を取っていたウォルシンガムは、ランプの隣りに置いた懐中時計の指し示す時間を見て手を止めた。


「…………」


 フランスの『知人』宛てに綴った手紙を折りたたみ、厳重に蝋で封をする。


 影のような静けさで椅子を立ち、ランプの灯を消して床に就こうと寝台に腰かけた時、人の気配を感じた。

 瞬時に机の上に目を走らせ、短剣の所在を確認する。


「何者だ」


 警戒し、低い声で誰何したウォルシンガムに、静かに部屋の扉が開かれた。


「驚いた。どうして分かったのかしら、まだノックもしてないのに」


 多分に媚びた艶を含んだ声が返り、扉の隙間から滑り込むようにして、ドレス姿の貴婦人が現れる。


「でもそういうところも、出来る男って感じがして素敵かも」


 月明かりだけが頼りの薄暗い部屋でも分かる、白い肌に差した赤い唇が弧を描いた。


「ね、クマさん」


 その呼び名で呼ばれ、表情こそ変えなかったものの、ウォルシンガムはわずかに頬をひきつらせた。


 突然の訪問者は、部屋の主に構いもせずに奥へと足を進めた。元より、彼女は誰かに断りを入れるような身分になかったので、その振る舞い自体は不自然なものではない。


 庶民出身の家臣相手に、些細なことで――それこそ、王の立場からすれば取るに足りないようなことで――謝ってくる彼の主人が、この時代の絶対君主の枠から外れた例外なだけだ。


「このような時間に、どうかなさいましたか?」


 招かざる客を迎え入れる気もなかったが、最低限礼を失しないように立ち上がり、慎重に尋ねる。


 若い女性が無断で、夜半に男の部屋を訪れること自体非常識なものだったが、相手が王である以上、それを糾弾する資格はウォルシンガムにはなかった。


 ……もっとも、彼自身の主人は臣下にその資格を与えているので、この部分でも例外ではあるが。


 目の前まで来た女王は、胸の前で腕を組み、ウォルシンガムを見上げて妖しく笑んだ。

 年齢以上の貫録を醸し出すその姿から、やはり最初の会見で見せた幼さが、演技であったことを確信する。


「私のクマさん――だなんて、あの子もあざとい手使うじゃない」

「手……?」


 さすがに眉をひそめたウォルシンガムの胸に、メアリーの手が伸びた。


「ねぇクマさん。アナタ、あの子のことどこまで知ってるの? もし、知らないことがあるなら教えてあげましょうか。例えば――」

「失礼ですが、陛下は私の主君ではありませんので、そのように呼ばれるのには違和感を覚えます」


 会話を無視して、呼称に異議を申し立てると、相手が驚いたように目を見開く。


「言うわね。一国の女王に対して口答え?」

「…………」

「アナタ、庶民なんですって? 意外。品もあるし、威厳もあるし……色気もあるし」


 服の上から這い上がった指先が、喉元を滑り、髭を撫でる。

 冷めた目で見下ろすウォルシンガムを挑発するように、メアリーが微笑を湛えたままその目を覗き込んだ。


「この時代に、庶民が王族に逆らう法があるのかしら?」

「…………」

「アタシを抱きなさい」


 はっきりした命令口調で言い放たれた内容は、到底理解の範疇を超えたものだったが、絡みつく腕を振り払わないだけの理性はあった。


「……恐れながら陛下。臣下が自らの君主以外の命令に従う法は、この国にはありません」


 模範的な解答で断ったウォルシンガムに、唇に触れそうな距離にまで迫った顔が、つまらなそうに離れた。


「なーんだ。思った以上に堅いわねアナタ」


 身体を離し、興が覚めたように軽い調子で嘆く。


「穴が開きそうなくらい熱心な目で見てくるものだから、その気があるものだと思ったけど」

「…………」


 彼女を観察していたのは明確な意図があってのものだが、この場でそれを説明してやる必要はなかった。


「……アイツのお気に入り取ってやろうと思ったのに」


 言い訳すら口にしない男を横目に見ながら、呟く。


 誘いを断られたことに、女王が無様に取り乱すことはなかったが、腹いせのつもりか、最後に、わざとらしく肉体を押しつけてきて囁いた。


「アナタみたいな人ほど激しいものだけど……いったいどれくらい我慢してるのかしら……? いいわ、また機会があったら誘ってあげる」


 熱っぽい囁きを残し、身を離した女王が妖艶な笑みを浮かべて手を振った。


「じゃあね、クマさん」


 薄暗い部屋を渡って、しなやかに身を翻して退室する女の後姿を見送り、ウォルシンガムは乱暴に寝台に腰を下ろした。


「……何だあの女は……!」


 憤懣やるかたない思いで吐き捨てる。


 あれが『王』であるということに――全ての秩序の頂点に立つ存在であるという現実に、怖気が走る。


 メアリー・スチュアートの不品行については、フランス宮廷にいた時からウォルシンガムの耳には入っていた。

 特に王妃となってからは、宮廷内で堂々とイングランド女王を名乗るなど高慢な態度が目立ち、淫蕩な噂――これは、フランス宮廷自体の風紀の乱れもあるのだが――も絶えない。


 女がつつましやかでいられるのは、男の圧力のもと屈従しているからだ。

 いったん権力を得てその圧力から解放された女の本性は、感情的で自己中心的で、自らを理性によって律する術を持たない。


 その強迫観念があったからこそ、ヘンリー8世は国の構造を一変させてまで、男児の後継者を得ようと必死になった。

 彼の生前の横暴はある意味、国家の安定と繁栄のための、捨て身の努力だったとも言える。


『女はとかく胃袋ばかり大きく、忍耐力がなく、おしゃべりで、何事においても極端に走り、中庸さはなく、愛しすぎ、憎みすぎ、心変わりしやすく、愚かで、残酷で、他人を導いたり管理する能力に欠けている』


 それは当時の大方の人びとの認識を表した言葉だが、ウォルシンガムも当然、その常識の中に生きていた。


「……これだから、女の王など碌なことにならないというのだ……!」





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