第183話 運命は、変えられるか
1度会ってしまうと、タイミングとは重なるもので、それからは毎日のようにレイと鉢合わせた。
……と言いつつ、ちょっとだけ期待して、朝部屋を出る時間を少し遅くしたり、教室から出るのを少し遅くしたりしたのは内緒だ。
「よぅ」
「また会ったねー」
休憩時間の帰りのエレベーターで、今日もレイと鉢合った。
朝のバスでも会ってしまったので、本日2回目だ。
「またそれ食ってんの?」
飽きもせずに、いつものように真っ白なチーズケーキを手に載せている私に、レイが笑いかけてくる。
「だって美味しいんだもん。レイ、食べてみた?」
「食った食った。美味かった。見た目もいいよな、白くてキレイし」
お。本当に食べたんだ。なんか嬉しい。
「甘過ぎなくて、俺でも食えた」
俺でもって……
付け足された言葉に、つい深読みする。
甘いの得意じゃないのに、わざわざ食べてくれたってことだろうか、とか……
いやいや。それは深読みしすぎか。
ありがとう、っていうのも変なので口には出さなかったけど、気持ちはそんな感じだった。
頭の中で色々考えすぎて、黙ってしまった私を、レイが上から下まで眺めた。
「つか、白っ」
10月になるともはやコートが必要になる気候で、私はこちらで買った白いロングコートを着込んでいた。
真っ白のコートに真っ白のケーキって、確かに、どんだけ白が好きなんだって感じだ。好きだけど。
レイの突っ込みに、私は言い訳がてらに説明した。
「冬って白着たくなるのよね。ほら、暗い色の服の人が多くなって、何となく街が沈むから、パッとした色が着たくなるっていうか」
かといって真っ赤とかを着るような勇気はないので、毎年冬になると、スノーホワイトのコートを着るのがお決まりになっていた。
「いいよな、似合うから」
「え……うん……ありがとう」
サラッと褒められてしまった。
全く予想外だったので、面食らってしまって全然可愛い返しが出来なかった。
しまった、これではまるで喜んでないみたいではないか……!
こういう時、どう返したら可愛げがあるのだろう。今までどうしてたっけ? あんまりそういうこと意識したことないかも。というか、意識してない方が自然と喜べた気がする。
内心舞い上がっているくせに、反比例して顔には出せない私に、レイが最初に会った時のような、子どもっぽい笑顔を見せた。
「ニューヨークチーズケーキみたい」
そう言ってレイが笑いかけてきたから、どうしても、スノーホワイトのコートが手放せなくなった。
※※※
10月に入ると、アンはメイド・オブ・オナーの仕事に復帰した。
レイの治療の下、アンは日々回復していき、最初は生々しかった天然痘の痕も、薄皮をはぐように薄れて、月を越す頃にはほとんど分からなくなっていた。
女の子の顔に一生ものの痕が残るのは、あまりに可哀想なので、その点でも幸運に感謝する。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、陛下」
仕事を終えて寝室に戻ると、レディ・メアリーが笑顔で迎えてくれた。
宮殿自体が女王の所有物ではあるが、やっぱりここに戻ると、家に帰ったような安心感がある。
そんな私の足元に、するりと黒猫が寄ってきた。
「フランシス。にゃーん」
「みぎゃー」
鳴き真似をすると、挨拶のような返事が返ってきた。
「みゃーう?」
「みぎゃー」
「にゃあにゃあ」
「みぎゃー」
うむうむ、なるほど。
「ふふっ。陛下、フランシスと何をお話されてますの?」
私とフランシスの会話(?)のキャッチボールを微笑ましく見ていたレディ・メアリーが、茶目っ気たっぷりに聞いてきた。
「『何か変わったことはあった?』って聞いたら、『今日も1日平和でありました!』だってさ。よしよし、フランシスは働き者ねー。お仕事ご苦労さま」
しゃがんで手を伸ばすと、フランシスの方から小さな額を擦りつけてきた。ゴロゴロ喉を鳴らす黒猫を抱き上げて、広い部屋を見渡す。
奥のテーブルに、椅子に座る少女の後ろ姿と、隣に座る白衣の男の背中を発見した。
「アンはお勉強中?」
いつもならフランシスより早く出迎えに登場するアンだが、集中しているのか、気付いていないようだ。
「ドクター・バーコットが作った、暗号パズルのようなものを解いているようです。最近は休憩の間もこれにかかりっきりで、夜も早く寝るように言っているのに、こっそり蠟燭に火を入れて起きて取りかかっていたり、すっかり夢中になっているようですの」
レディ・メアリーが頬に手を当て、困り顔で答えてくる。
意識が回復した後も、長く隔離生活が続いた可哀想なアンの気を紛らわすために、レイが遊び道具にと与えたゲームに、すっかりハマったらしい。
アンはまだ、パズルに集中していて私の帰りに気付いていないようなので、レディ・メアリーに人差し指を立てて合図してから、ゆっくりと足音を忍ばせて近付いてやる。
その間に、うつむいていた少女の頭がピコンと上がり、隣の男の方を向いた。
「レイ」
「お、出来たか?」
「できた!」
答案をレイの前に差し出すアンは元気いっぱいだ。
最初のうち、アンはドクター・バーコットと呼んでいたのだが、本人がレイでいいと許可したため、今はそう呼んでいた。宮廷で彼をレイと呼ぶのは、私とアンだけだ。
子どもが嫌いだと言っていたレイも、お行儀がよく物分かりのいいアンは割と気に入っているらしく、気が向いたら夜に私の寝室で、勉強熱心なアンに請われて数学やドイツ語を教えていた。
「お、全問正解。やるなお前」
「へへへ」
レイに褒められ、アンが誇らしげに笑う。
そのタイミングで、私も後ろから会話に参加した。
「さすが私の娘だわ」
「陛下!」
「お」
飛び上がるほど驚いたアンが、椅子から立ち上がり、すぐさま礼をとる。
「もうしわけありませんっ、気付かずに……」
「いいのよ、集中していたようだから。興味あるから、私もそこで見てていい?」
「んじゃ、次これなー」
慌てて立ち上がったアンとは対照的に、レイは軽く振り返って私を確認した後は、あっさり問題に戻った。
私も気にせず、抱いていたフランシスを床に放すと、彼らの向いの席に座り、頬杖をつきながら2人を眺めた。
レイが作った問題には、数字の振られた枡目が書かれていて、そこをアンがアルファベットで埋めている。
クロスワードパズルみたいなやつだろうか。
真剣な顔で問題と向き合うアンの隣で、自室でだらけた大学生よろしく前髪をちょんまげにしたレイが、こちらも頬杖をつきながら、生徒を眺めている。
微笑ましい光景ではあるのだが、なんだか違和感を感じた。
「なんか、レイって子ども似合わないわよね……」
正直な感想を口にする。
お互い知り合ったのが学生時代ということもあるが、所帯臭さとは縁遠いイメージのレイが、子供の面倒を見ているのは、なんとも不思議な光景に見えた。
すると、レイも反論してきた。
「お前だって、養子もらって育ててる姿なんて、まったく想像つかなかったぞ」
もちろん私も全く想像していなかったけども。
「でも、よく考えたら、別に日本でも、結婚してアンくらいの子どもがいてもおかしくない年なのよねー」
「……そうだな」
時の流れを感じ、アンを眺めながらため息交じりに呟くと、レイが微妙な沈黙のあと同意した。彼にも思うところはあるのだろう。
そんな時、軽い音と共に、黒い影が目の前に現れた。
フランシスが、3人が集まっているテーブルに飛び乗ってきたのだ。
かと思うと、アンが机に広げていた問題用紙の上に、何食わぬ顔で座り込む。
こらこら。
「フランシス。邪魔しちゃだめよ」
人が机に広げている紙の上に乗りたがるのは、古今東西、猫の習性らしい。
「なぁにフランシス、遊んでほしいの?」
目と鼻の先に座って、無言で自己主張してきた愛猫を、アンが嬉しそうに撫で回した。
すっかりアンの注意がそちらに向かってしまって、パズルが放置されている間、レイは隣で興味なさそうに猫を眺めていた。
「なんでフランシス?」
「黒いから……?」
「ふーん……?」
名前の由来を聞いてきたレイに答えると、彼は首をひねりつつ相槌を打った。多分意味は分かってないだろうが、それ以上突っ込まないところを見ると、なんとなく聞いてみただけらしい。
そんなレイが、少女に撫でられ喉を鳴らしている黒猫に手を伸ばした。
「あっ、逃げた」
しかし、なにげなく伸ばされた手を、敏感に察知したフランシスが嫌がるようにサッと避け、テーブルを飛び降りて逃げて行ってしまった。そのまま、少し離れた所にあるソファの背の上に乗って、ジッとこちらの様子を見つめてくる。
「レイ嫌われてる~」
「……別にいいし」
からかうと、レイが憮然とした顔で強がった。
「陛下、お風呂はどうなさいますか?」
「あっ、忘れてた! 入る!」
レイとアンに気を取られ、すっかり私が忘れていることを察したらしいレディ・メアリーが促してくる。
「では浴室を確認してまいりますので、しばらくお待ちくださいませ」
そう言い残して、姿勢よく背筋を伸ばし、しずしず去っていく女官の後姿を見送る。
その長身で、骨格のしっかりしたプロポーションは、どんな服でも着こなせそうだ。ドレスも勿論似合うが、男っぽい格好をしても似合うだろうな、と妄想する。
レイは、レディ・メアリーの退室をわざわざ振り返って見送り、姿を消してからもなお扉口を見つめていた。
「レイって、レディ・メアリーのこと気にしてるわよね?」
実は、背の高い女性が好みだったりするんだろうか。
宮廷の人間に対してはあまり興味を示さない男の、普段と違う視線に、私は一応忠告しておくことにした。
「好みとか? でも旦那もお子さんもいるわよ彼女」
「は?」
寝室の扉口をぼんやりと眺めていたレイが、心外という風に振り向いた。
「違ぇよ。ただ……変えられるもんなんだなって思ってな」
「何を?」
「んー……運命?」
「運命? 誰の? レディ・メアリーの?」
「あの女は、天然痘にかかった女王を献身的に看病した結果、自分も天然痘に罹患した」
「え……」
予想外の話に、私は息を飲み、1度向かいに座る少女を確認したが、アンはパズルを解くことに集中していて、あまり聞いていないようだった。
「それで……どうなったの? まさか――」
「命は助かったが、顔中醜い痘痕だらけになったことを恥じて、官職を辞した。宮廷で晒し者になるのを恐れて、ロンドンを離れ、田舎に隠れ住んで生涯を終えた――それが、ああやって普通に働いてるから、やっぱり変わるもんなんだなって、思っただけだ」
そういえば、最初にアンを診察した時も、レイはレディ・メアリー・シドニーを名指ししていた。
彼女には、そんな未来が待っていたのだ。
「そうだったんだ……良かった」
定められていたはずの、1人の女性の不遇な人生が救われたことを知り、胸が熱くなる。
今度、機会がある時に、ロバートにも教えてあげよう。大切な姉が救われたことを知れば、少しはレイに対する敵意もやわらぐかもしれない。
「助けてくれてありがとう、レイ」
「……別に」
無愛想に返した男がそっぽ向く。
私がその横顔をにまにま眺めていると、レイが話を変えた。
「しかし、この国は平和だな。つか、宮廷が平和だ」
「そう?」
これでも、セシルの暗殺未遂事件や、私を狙った陰謀の噂が飛び交って、ギスギスしていたこともある。
「フランス宮廷はもっとドロドロしてて、権力者の足の引っ張り合いも凄まじかったからな」
「レイの目から見て、フランス宮廷ってどんな感じだった?」
価値観の近い21世紀人が目の当たりにした、海を挟んだ隣の国の様子を知りたくて聞くと、レイは一言で表現した。
「玩具の奪い合いだな」
「玩具の……?」
「権力も、民衆も、あいつらにとっては玩具だ。国民に対する意識というのは全く感じない。権力欲、名誉欲、目先の利益……そういうもんが判断基準だ。そのために玩具の兵隊がいくら壊れようが、やつらにとってはかき集めて足せばいいだけの話だ」
随分と辛辣だが、それが、人権意識の芽生えた社会に生まれ育った人間から見た率直な感想だとしたら、ぞっとするような現実だった。
「この時代の支配者なんて、そんなもんなのかもしれねぇが、人を人と思ってない人間に仕えるってのは、胸糞悪いのは確かだ」
「そうよね。そりゃそうよね」
全力で同意を込め、何度も頷く。
同時に、彼らと同じだけの権力を握っている私は、ちゃんと出来ているだろうかと心配になった。
「……お前、顔色悪くねぇ?」
「えっ、そ、そんなことないと思うけどっ」
脳裏をかすめた不安が顔に出てしまっただろうか。慌てて否定し、首を振った。
「どっか具合悪いなら診るぞ」
「ううん。大丈夫。疲れてるだけ。お風呂入ったら治る!」
「――陛下、ご入浴の準備が整いましたので、おいでくださいませ」
私が言い切って立ち上がったタイミングで、レディ・メアリーが戻ってきた。