第180話 女王の黒歴史
朝の謁見を終えた後、セシル、ロバート、ハットン、そしてキャットという、私の秘密を知る人間たちを私室に集めた。
信じる信じないは任せるが、とりあえず落ち着いて聞いて欲しいと前置きをして、私は、レオナルド・バーコット――箱田玲を紹介した。
「彼は箱田玲。21世紀に、私が知り合った人です」
全員が注目する中、奇妙な緊張感を持って紹介すると、セシルからも、どことなく慎重な問いが飛んだ。
「どういうご関係で」
「――友人よ。知っての通り、私は王族でも貴族でもなく、ごく普通の庶民の生活をしていたの。学生時代に知り合った友人が、親しく言葉を交わし合うことには、何の不思議もないでしょう」
「ならば、今後もその男の無礼な振る舞いを許すと?」
これはロバートだ。
「……大衆の目があるところでは礼節を守ってもらいたいけど、個人として触れ合う分には問題にはしません。古い友人ですので、その方が私も接しやすいです」
「陛下がそのように仰るのでしたら……」
セシルは大人しく頷いたが、ロバートは渋々と言った顔で引き下がった。
レイは私の傍らで、その様子を黙って眺めている。
21世紀の天童恵梨を知っている人間に、女王としての振る舞いを見られるのは、なんだか恥ずかしい。
「陛下は先程、彼に役割があると仰っていましたが、それはどのような意味でしょうか」
「うん……そうね、説明は難しいんだけど……どこから話そうかしら。レイ、手伝ってくれる?」
私はレイの言葉も借りて、先程2人で話した内容を整理して彼らに伝えることにした。
彼らには特に関係のない話なので、多世界解釈や、私達がいた世界が並行世界である等々は飛ばした。
遠未来の人間による宗教闘争云々というのも、ただの私達の推測だし、彼らの価値観では甚だ冒涜的な内容なので、何か人智を越えた大きな力が働いたのではないか、程度にぼかした。
だが、それらの内容に説得力を持たせるためには、マリコの話を持ち出さざるを得ず、今まで黙っていたメアリー・スチュアートの正体について触れたところで、大クレームを喰らった。
「なぜ、そのようなことを今まで黙っていたのですか」
「だって言いたくなかったんだもん……」
そうとしか言えず、しぶしぶ答える私に、セシルから鋭い指摘が飛んだ。
「……ならば、貴女がメアリー・スチュアートと秘密会談を持ち、初対面でワインをかけられるという侮辱を受けたのは、その前世での何かしらの確執が原因ということですか」
「う……」
出来れば、そこは突っ込まないで欲しかった。
私でも忘れかけている出来事を、どうしてそうきっちり覚えているかなっ。
「お前、そんなことされたのかっ?」
内心冷や汗を流していると、案の定、レイが聞き咎めてくる。嫌な展開になってきた。
あまり話したくなかったが、仕方がないので、視線を泳がせつつ答える。
「いや、まぁ……それは、そんなこともあったかなと……」
「……俺のせいか?」
そうだねっ。君のせいだねっ!
マリコは私のせいでレイと別れる羽目になったと言わんばかりだったが、振られたのはこっちだというのに、理不尽な話である。間の抜けた質問に、私は憮然と答えた。
「……他に何があるっていうの。レイがマリコと別れる口実に、私をダシに使ったから……」
「……っ別に、ダシに使ったわけじゃ……! 俺は、本当に」
レイがマジな顔で詰め寄ってくる。
いかん。泥沼になってきた。
周りの目が気になって視線を走らせると、キャットがセシルにヒソヒソやっていた。
「セシル、わたくしには男女の痴情のもつれのように見えるのですけど」
「そのようですね」
違うーっ。違わないけど違うーっ。
ここはもう、正直に話して次へ行こう。次へ。
何もやましいことはないというのに、下手にごまかしたら余計に怪しまれそうだ。私はレイを押し返し、強引に話をまとめた。
「要するに、簡単に結果だけ言うと、もう大昔の話だけど、その当時、私とマリコがレイを好きで、レイはマリコを選んだんだけど、マリコはその時から私のことが嫌いだった。以上、それだけ! この話はここまで!」
「おい待て、俺に弁明の余地はなしかっ」
「今することじゃないでしょっ。報告に主観はいりません!」
空気を読まず食い下がってくるレイを勢いで黙らせる。私としてはそれで話を終わらせたかったのだが、そうは周りが許さず、ロバートが険しい形相でレイを睨みつけた。
「つ、つまり……メアリー女王と陛下が、前世でこの男を取り合っていたと……!?」
「いや、取り合ってたとかじゃ……そ、そりゃ、はたから見れば、いわゆる三角関係ってやつだったんでしょーけどっ? っていうか、もう昔の話だし、そこあんまり重要じゃないのに、なんでそんなに食いついてんのっ?」
うわああイヤだ。なんで、自分の恋バナを人にしゃべるって、こうこっ恥ずかしいんだろう。しかもこんな真面目な場でとか!
だから言いたくなかったのだ。
予想外に黒歴史を掘り下げられ、ジタバタしながら肯定した私に、ロバートが衝撃を受けたようによろめいた。
「あのようなならず者に、2人の女王が惹かれるほどの価値があると……!?」
その頃は2人とも女王じゃなかったけどね! 普通の大学生だったけどね!
くそぅ、顔が熱い。この部屋こんなに暑かったっけ? 今何月!?
「……まぁ、どちらの女王も、あまり男を見る目があるとは言えませんので……」
セシルのフォローにならないフォローが入る。反論できない。
目の前で散々失礼なことを言われているレイは、もの言いたげな顔でむっつりと黙っていた。なぜ私を睨む。
「と、とにかく、メアリー・スチュアートの中身が、私と同じ21世紀から来た女性だったってことは信じてもらえたかしら。オーケイ? アンダースタンド?」
まぁ、信じてもらえなくても、そのまま話を進めるしかないのだが。
「陛下が、メアリー・スチュアートと手紙で懇意にやり取りをしている姿は拝見しておりましたので、旧知の間柄であるというのなら頷けます」
誰もすぐには答えてくれなかったが、やや沈黙の後に、キャットがそう言ってくれた。優しい。
「メアリー・スチュアートについてはよく存じ上げませんが、僕は、陛下が未来を知る特別な存在でいらっしゃることは知っています。ならば、陛下とメアリーが、かつてのご学友であると互いに認め合っているのならば、それは真実なのだと思います」
ハットンは、私を信じるという前提に立って、論理立ててメアリーの存在を認めた。
ついで、ハットンの言葉に頷いたセシルが、首をかしげて聞いてきた。
「以前お話をうかがった時は、貴女の暮らしていた世界の女性は、皆、男と同様の教育を受け、自立した賢明な女性であるのだと想像していたのですが……」
いやまあ、あの子もある意味、自立していると言うか自己主張しているというか、私とはタイプは真逆だが、到底16世紀では育たなさそうな21世紀女子だ。
「貴女はもしや、450年後でも特殊な性質の女性ですか?」
「えーっと……そうかも……」
でも、とか言われた!
どうやらこの時代の女としては、相当変人だと思われていたらしい。そうでしょうけども。
「安心しました」
私の返答に、セシルはなぜか胸を撫で下ろした。
「貴女のような女性が標準的な世界であれば、男が存在する価値があるのかを心配しなければならないところでしたので」
「そこまで言う?!」
セシルの悪気のない言葉がザクザク刺さる。もしかしたら褒めてるつもりなのかもしれないが、全然褒められている気がしない。
「セシル……21世紀には女子力という評価項目があってね……」
「は?」
しみじみ呟くと、不思議そうに聞き返される。
男の存在価値を侵食する女性が増殖した結果、女性らしさの価値が見直されているのだよ。
話は大いに脱線したが、ともあれ、マリコの存在も含め、1559年1月に起こった異変と、そこから導き出される推論を、簡単に伝えた。
その内容を彼らがどこまで理解し、どこまで信じたかは定かではないが、1559年1月に死んだエリザベス1世とメアリー・スチュアートが未来人の魂を得て生き返ったのは、ブリテン島をフランスやスペインの魔の手、ひいてはローマ・カトリックの支配から護る為の奇蹟だったのではないかという点については、納得したようだった。
それは、彼らの観点から言うと、真の信仰を護る為の『神の所業』ということになるようだが、まぁそれをどう理由付けるかというのは、価値観の違いだろう。
理解の出来ない現象に理屈をつけようとするのが私達なら、理解の出来ない現象を神や悪魔の所業に見出すのが彼らだ。
そして、レイがレオナルド・バーコットに成り代わった理由については――
「つまり、その者は陛下の命を救う定めにあると……?」
「そういうことになるわね」
一通り私達の推論を聞いたセシルが確認してくるのに頷く。
今回、私も種痘を受けたので、効果があれば、無事に天然痘にかかるというイベントを回避できたことになる。
「1562年の10月だ。大丈夫だとは思うが、一応、まだ気は抜けない。外出は控えて、出来るだけ安全を取った方が良い」
レイが口を挟む。アンが倒れた9月上旬から、3週間が経過している。問題の月は、目と鼻の先だ。
セシルは、眼鏡の奥の静かな眼差しを彼に向けていたが、ふと視線を移し、私に確認した。
「そのことを陛下はご存じではなかったと?」
「私は全然……そこまで歴史に詳しくないし」
エリザベスが天然痘で死にかけたと言うこと自体知らなかった。
私の返答に、ロバートは不機嫌にレイを睨みつけた。
「では、その男が適当なホラを吹いている可能性もあるのでは」
「何だと?」
「ちょっとやめなさい」
険悪な雰囲気になった男達に割って入る。
「アンが彼のおかげで救われたのは事実だし、もしあのままアンの病状が悪化して、何も対策が取れなければ、私も感染していた可能性は高いでしょう。そうなれば、助かっていた保証はありません」
「それは、確かに……」
ロバートが渋々納得する。
「彼は、21世紀で医学を学んだ人間です。文字通り、今この世界で最も優れた、信頼できる医師です。彼には宮廷に部屋を与え、私の侍医として側に置くことにします。良いですね?」
私がそう言い切ると、忠臣達は各々に礼を取り、恭順の意を表した。