第120話 不和の女王
9月5日。
私の28歳の誕生日の2日前に、メアリー女王とボスウェル伯の、陰鬱な結婚式が挙行された。
スコットランド女王が招待した各国の大使や、国の主だった貴族達は誰1人現れず、門には周囲の住民達による中傷が書き込まれた式場で、まるで犯罪のように行われた結婚式は、世間が彼らを見る目と同様に陰気に、寒々しく遂行されたという。
そして挙式の後、メアリーは自ら妊娠していることを発表した。
正式な夫となったボスウェル伯の子で、その子が生まれた暁には、長男のジェームズに次ぐ王位継承順位を認めるよう議会に要求したのだ。
ダーンリー卿が死んでから、僅か2ヶ月。
寡婦となってから出来た子だと本人が主張するのは自由だが、それを周囲が信じるかどうかはまた別の話だ。
不義の子供に王位継承権を与えるため、愛人と共謀して夫を殺害した女――
そうセンセーショナルに喧伝されることは避けられるわけもなく、世論はますます新しい女王夫妻に逆行した。
「ほんとに何やってんだ! あいつは!」
ボスッと、ストレス発散に手近な枕を殴ると、傍らで丸まっていたフランシスが驚いて寝台を飛び降りた。
キャットの膝の上に避難する黒猫を視界の端に捕らえながら、枕を羽交い締めにして抱きかかえ、爪を噛む。
先走る悪意あるゴシップを、払拭するどころか証拠付けていくような悪手の連発に、他にやりようはなかったのかと憤りを感じずにはいられない。
止められぬ想いもあったかもしれない。
だが、「起こってしまったこと」への対処が悪すぎる。
元来欲望に忠実で、政治的な見通しが皆無だったメアリーはもとより、過剰な自信と野心が目を曇らせているのか、軍人としては有能だったボスウェル伯も、策士としては無能としか言いようがない。
こうも最悪の事態を自ら招くような道を突き進まれては、こちらとしては何も出来ることはなかった。
それどころか、現実はそれ以上に、彼らに対して非情だ。
「スコットランド貴族の反乱に荷担しろって言うの?」
人払いをした私室に持ち込まれた非公式の上奏に、私は椅子を立ってセシルを睨みつけた。
「メアリー・スチュアートとボスウェル伯は犯罪者です。いまや大義と世論は、貴族達の方にある」
「戦争はしません!」
「戦争ではなく、対抗勢力への支援です」
慎重で慎み深いセシルが、厳しい調子でグレーゾーンを漂うメアリーを『犯罪者』と断定したことは衝撃だったが、続く言葉はさらに衝撃だった。
「正直に申し上げますと、陛下を王位簒奪者と主張し、イングランド王位への野心を隠さないメアリーを失脚させるには、これ以上ない機会かと」
「そんなこと……!」
「陛下、国益と大義が一致した時こそ、動く時です」
セシルは、冷ややかな声で隣国の女王を断じた。
「メアリー・スチュアートは危険です。あの女性の存在は、我が国の在り方そのものを脅かす」
「…………」
そもそも王という立場である彼女に、こちらから直接手を下すことは出来ない。
だが、潜在的に国を脅かす危険な存在である以上、相手の方から排除するに足る理由を背負って転がり落ちてきたのならば、躊躇うべきではない――
一切の情けを持ち合わせずに判断するならば、それは、確かにこれ以上ない機会なのだろう。
だが……
「兵を貸すことは許しません」
「陛下!」
「隣国の事情です。我々が関与するべき事ではありません」
こればかりは、セシルの意見といえど、飲むわけにはいかなかった。
「それに、いかにメアリーが反感を買っているとはいえ、彼女は聖別された女王です。君主を陥れる手助けを、この君主国家の頭たる私が行うことはできません。その行動が、私の保身のための利己的な行動であると受け取られれば、各国の君主達の批判は私に向かうでしょう」
「…………」
私の慎重論に、セシルが押し黙る。
咄嗟に絞り出した建前ではあったが、これは使える。
この時代、聖別された君主というのは、『神から選ばれた特別な人間』であると広く信じられている。
絶対君主にとって、その王権の根拠となる神性を損なうことは、自らのアイデンティティの喪失にも等しく、やがて王位の転覆にも繋がりかねない、危険を孕んだものだ。
外国の君主が、その国の民衆によって傷つけられることは、己の威信が傷付けられることと同等の、看過できない事態だと、彼らは捉えるだろう。
それは、庶民出のセシルたちの視点では持ち得ない、『君主の理論』だ。
実際、私の知る歴史では、18世紀のフランス革命に代表されるように、いずれ王権の絶対性は失われ、絶対君主制の時代は終焉を迎えるのだが――それは、『今』ではない。
「セシル、もう1度言います。スコットランドの反乱に荷担することは許しません。これは女王命令です」
「……御意」
頭を下げ、受け入れたセシルが辞去するのを見送り、私は大きく息をついて椅子に座り直した。
疲れる……
なんでマリコを守るために、セシルとやり合わなけりゃならんのか。
愚痴の1つも言いたくなるが、さすがにここで兵を出して彼女を追い詰めるほど、非情にはなれない。
セシルの立場からすれば、メアリーは危険人物以外何者でもないので、気持ちは分かるが、かといって受け入れられないこともある。
そんな板挟みの苦しみを味わう私の気も知らずに、スコットランド情勢は、怒涛のごとく変転していった。
※
世界を敵に回した結婚から3週間目。
9月26日、ついにスコットランド国内で、反乱が起こった。
首都エディンバラを遁走したボスウェル伯とメアリーは一旦ダンバー城に立てこもったが、反乱軍に城を包囲され、思いもかけない発想と思い切りを見せる。
メアリーが男装して人目を誤魔化し、闇夜に紛れて包囲網を突っ切ったのだ。
だが、結局戦力差は覆せず、カーベリー・ヒルでの対決で敗れ、ボスウェルは逃亡、メアリーは捕まった。
それが、世間を振り回して辿り着いた結婚の結末だった。
その数日後、メアリーは湖上のロッフレーヴェン城へと移された。
舟以外では入ることも出ることもできない堅牢な城は、国民に『失格』の烙印を押された女王を捕らえる檻となった。
「スコットランド貴族たちは、メアリー・スチュアートを『君臨不適格者』と見なし、王位の剥奪、および息子のジェームズの即位を目論んでいます。女王軍に対する勝利が確定した今、貴族たちの争点は、生後5か月のジェームズ王の摂政に誰がつくかという点に移っているようです」
「そう……」
私室で聞いたセシルの報告に、私は沈んだ相槌を打った。
最新のニュースを携えて訪れた彼の後ろには、ウォルシンガムが控えており、うなだれた私の内心を見透かすような黒い眼差しで、黙ってこちらを見つめていた。
イングランドが手を出さずとも、結局メアリーの凋落は止められなかった。
こうなってくると、大義の裏の利己的な面の方が強調され出し、1度はボスウェル伯の専制を前に結託した貴族も、あっという間に離散し、権力争いでいがみ合いに入った。
メアリーの王位剥奪計画についても、世論に乗っかった政治都合でしかない。
彼らにとっては、自分たちに都合の良いよう頭をすげ替えたいというだけの話だ。
自我を持った成人女性より、生後数ヶ月の赤子の方が扱いやすいに決まっている。
「ああ、もう!」
脱力しそうになる自分を奮い立たせ、私はテーブルに手をつき立ち上がった。
これはあれか? 歴史か。歴史通りなのか?
メアリー・スチュアートって確か、恋のため王位を捨てて国を追われたとか、そういう女性だったような気がするけど……いや、もう本当にうろ覚えで、自信ないけど……今のところは、国を追われるというよりは、逆に囚われている状況だ。
これからどうなるんだ?
そもそもエリザベス1世に処刑されるのも、イングランドに囚われていたメアリーがエリザベスの暗殺を企てたからだったはずだが、どういう経緯を辿ってイングランドの捕虜となったのか。
ぶっちゃけ、メアリー・スチュアートに大して興味がなかったので、聞きかじりの中途半端な知識のつなぎ合わせでは、そのあたりの細かい経緯がすっぽり抜けてる。
まだ一波乱あるのか?
ここからメアリーが、イングランドに囚われることになる理由が、いまいち想像つかない。
戦争でも起こらない限り、隣国の女王を捕虜にする機会などないはずだ。
というか、別に私はメアリーを捕まえたくなんてないし。
出来たら関わりたくないというか、イングランド国内に入れたくないというか。
……あれ。
これ私が、メアリーがスコットランド国内に留まれるように計らえば、もしかして処刑ルート回避できないか?
考えているうちに、そんな希望がもたげる。
「確か、フランス大使のスロックモートンは、メアリーと懇意だったわね?」
かすかに瞬いた希望に飛びつき、私はセシルに確認した。
「フランス王妃時代からの間柄ではあったと思いますが、それが?」
「スロックモートンを呼び戻して、調停役としてスコットランドに派遣します」
「それは……!」
セシルが目を見開く。だが、反論を聞く前に私が畳みかけた。
「同じ君主として、これ以上の暴挙は見ていられません。確かにメアリーは君主として相応しくない振る舞いをしました。これでは、臣下の離反もやむを得ないことでしょう。けれど、彼女は神の御心により王位につき、聖別をされた紛れもない君主です。聖書のどこに、君主を臣下が廃して良いと記している箇所がありますか?」
さすがに、この状況で力ずくで反乱貴族を押さえ込み、メアリーを擁護するような真似は出来ない。
だが、イングランド女王から圧力をかけて、和解へと持ち込むよう誘導することくらいは出来る……かもしれない。
逆に言えば、それくらいしか打てる手はないのだが。
私の意図を汲み、セシルが苦い顔をした。
傍らから、援護射撃のように、ウォルシンガムが意見する。
「ですが、陛下。いまやスコットランドでは、誰もあの女を王として認めていません。あの女の治世下で、政府が機能するよう求めるのは不可能に近い」
「そうね……」
同じく王に仕える臣下の立場からの苦々しい言葉には、現実味があった。
彼らは奴隷ではない。これだけ求心力の低下したトップの下で働けと言うのは、無茶な話だ。
「実際には、メアリーには自主的にジェームズに王位を移譲することを求め、貴族側には、メアリーを母后として尊重し、権力から遠ざけて静かに暮らす権利を求める――というのが、落としどころとしてはせいぜいでしょうね」
女王側と貴族側双方に、極力平和的な手段で和解するように説得するが関の山だ。
メアリーが大人しく王位を明け渡すかは甚だ疑問だが、もはや周りに味方がいない以上、現実的に女王に復帰するのは不可能に近いし、下手に抗い続ければ殺されかけない。暗殺という手段は、いつだって残っている。
「貴族たちの怒りは分かりますが、君主を臣下が強引に廃したとなれば、今度は大陸中の君主から、彼らが非難を受けることになります。同じブリテン島内の国家が大陸からの干渉を受ける可能性を極力排除する努力は、我が国の安全のためには有益でしょう。同時に、諸外国とスコットランド国民にも、イングランドの懐の深さを見せつけられるはず」
この、イングランドが調停役として、平和的な解決を求めるという私の案には、セシルもウォルシンガムも渋々賛同した。
「セシル、至急スロックモートンを呼び戻すように手配をお願い。調停の落としどころはさっき述べた通りだけど、そこに至るまでの交渉の方法は、いくつかパターンを考えて提出して下さい。後日スロックモートンも交えて相談しましょう」
「はっ……」
セシルに指示を出した後、私はこめかみを指で押さえて、深い溜息をついた。
頭が痛い。
「少し……寝室に下がります」
その言葉に、黙って礼をする彼らを尻目に、私は早足に部屋を出た。
~その頃、秘密枢密院は……
「まったく……我らの女王は、年を追うごとに聡明さを増しておられる」
血の気の引いた顔で部屋を出た女王の背を見送った後、ウォルシンガムが皮肉混じりのぼやきを口にした。
女王のいない私室に用はないので、2人で足並みを揃えて部屋を出る。
額面通りに受け取れば賞賛に聞こえるその台詞に、不機嫌な揶揄が混じっているのは、彼がセシルと同様、女王の本心に気付いているからだろう。
「以前から理性的で弁の立つ女性であるとは感じていましたが、この世界の知識を得、国政に携わる経験を積む中で、確かな成長を見せていらっしゃいますね。なかなか手強いです」
廊下をゆっくりと歩きながら、セシルは苦笑混じりに同調した。
メアリーを擁護したいという個人的な感情目的を、バランサーとして隣国の内紛の調停役を買って出ることで、全方向にイングランド女王の善良さを見せつけるという方策に転化した論陣は見事なもので、改めて彼女の政治的才能を感じずにはいられない。
元々セシルとは政策で同調することが多い女王が、ここまで明確に対立するのは、ことメアリーに関する事案くらいだ。
目の前で稀有なる女君主の采配を見せつけられるほど、翻って隣国の女王の愚行に失望の念が湧き、セシルは小さく息をついた。
「女性とは時折、想像もつかないような愚行をしでかすものですね……」
ダーンリー卿のあの性格では、スコットランド女王と折り合わず、すぐに夫婦生活が破綻して国政に不和をもたらすだろう――というところまでは、セシルもある程度は予想していた。予想した上で、泳がしていた部分もある。
だがまさか、一国の君主ともあろう人間が、夫の殺害をもくろみ愛人と逃避行に走るとまでは、思いもよらなかった。
ウォルシンガムが不機嫌に鼻を鳴らした。
「恐らく誰1人として、一国の女王がこれほどの愚行を犯すとは想像もつかなかったでしょう。あれほど愚かな女が王冠を戴くことになるとは、神のご意思を疑いたくもなる」
「そうですね……」
その悪態に同意したところで、ふと思い至る。
あるいは、これが神のご意志そのものではないのか、と。
これでカトリックの女王は完全に失墜し、後にはプロテスタント貴族の手に渡った、生まれたばかりの次の国王が残る――
あの赤子がプロテスタントとして育てられ、王位を継げば、もう2度と、スコットランドがカトリックの王を戴くことはないだろう。
王の前代未聞の醜悪なスキャンダルと、それに伴う内紛で四分五裂したスコットランドの政府は崩壊寸前で、イングランドがこれまで密やかに飼い慣らしてきた親英派の貴族が政権を握りさえすれば、スコットランドは紛れもなくプロテスタント国家となり、イングランドとの友好は保障される。
女王は極力、メアリーの地位と生命の安全を保障した形で問題を解決したいようだが、いっそこのままメアリーが獄死するか、暗殺者の手にかかって遁死すれば、イングランド女王の王位をおびやかす不和も消える。
思わぬ形で、理想的な未来像が出来上がりつつあった。
だが、女という生き物は、時に、男の貧困な想像力を裏切るほどの、執念と行動力を見せるものだ。
この時、セシルが描いたごく妥当な未来図を、現実はせせら笑うかのように、イングランドを追い込んでいくことになる。




