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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第9章 スコットランド動乱編・後編
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第119話 王の殺害者


 それから1ヶ月の間に、事態はより最悪な方へと転がり続けた。



 事件発生から半月後の、7月25日。

 ダーンリー卿暗殺の実行犯に、自らの愛人と噂される男が槍玉に挙がっている中、ただ無為に時を過ごす女王に、ついに異母兄のモレー伯が、見切りをつけるようにスコットランドを発った。


 それは、事の成り行きを呆然と見守るしか出来ない人々の目には、嵐を前にして船を下りる賢い人間のように映り、彼に取り残されたスコットランドに降り注ぐ災難を、不気味に予感させた。



 そうして政敵であるモレー伯が姿を消したことで、スコットランド宮廷は、女王の寵を笠に着て、独裁者として振る舞うボスウェル伯の天下となった。


「スコットランド女王は一体何をしているのか――と、各国から非難の声が上がっています」


 執務室で聞くウォルシンガムの非公式な外交情報は、貴重な情報源だったが、ここしばらくのニュースはスコットランドに対する各国の動向一色だ。


 それだけ、全世界がブリテン島の片田舎で起こった事件に注目していた。


「これまでメアリーに友好的だったカトリック国家、ローマ教皇すらも、一連の事態の責任を問い、メアリーに弁明を求めています」

「……そりゃそうよね。君主国家のトップ達から見れば、自らの同胞である『国王』がむごたらしく暗殺されて、その下手人とおぼしき人間が、我が物顔で国を動かしているのだもの。絶対君主の威信に関わる大問題だわ」

「陛下、この状況で、メアリーを擁護するなど仰いませぬよう」

「分かってるわよ。いくらなんでも、そんな馬鹿なことはしません」


 ウォルシンガムの余計な心配を、ピシャリと跳ねつける。

 この状態で彼女を擁護すれば、私にまであらぬ疑いがかけられる。ただでさえ、女君主自体への風当たりが強くなっているのだ。


 ボスウェル伯に関わるメアリーの行動に関しては、再三手紙で警鐘を鳴らしているが、返信はない。


「けれど、状況がどう転ぶかわからない以上、安易に隣国の従姉妹を非難するような立ち位置にも回りません。しばらくは様子を見ます」



 だが、世界中の非難と注目を浴びる中――また1つ、耳を疑うような事件が起こった。


 ボスウェル伯が、メアリー女王を誘拐したのだ。


 メアリーが急に思い立ち、少数の側近だけを連れてお忍びで、ジェームズ王子を匿っているスターリング城へと赴いた翌日、エディンバラへと戻る帰り道で、示し合わせたように兵を率いてきたボスウェル伯によって、女王が攫われた。


 事件発生後、女王はボスウェル伯によってダンバー城に監禁されたとの報がイングランド宮廷にも届いたが、その誘拐劇を、額面通り受け取る人間は誰もいなかった。


 誰の目にもそれは、邪魔な夫を殺害した妻と愛人による、逃避行としか映らなかった。


 そして、周囲の憶測を裏付けるように、ボスウェル伯が妻との離縁を済ませた途端、2人は急ぐように結婚式を挙げることにしたのだ。


「結婚式に出てくれって……」


 イングランド女王宛に届いた結婚式の招待状を、私は怒りに震える手でテーブルに叩き付けた。


「そんなこと出来るわけないでしょ!?」


 秘密枢密院会議の場で声を荒げた私に、その場にいる全員が、剣呑な眼差しで叩き付けられた招待状を見据えていた。


  すでにその手紙自体が、何か忌まわしく汚らわしいものであるような、そんな顔だった。


 賭けてもいい。この結婚式には、1人の外国大使も来ない。


 そんなことをすれば、『国王殺し』の罪に荷担した疑いを持たれかねない状況だ。


 世界中のどの国も、カトリックもプロテスタントも、この結婚を祝福することはない。


「これほど悪魔に魅入られた結婚もないでしょう」


 全員の気持ちを代弁し、セシルが不快感も顕わに断じる。


「……こんな恥知らずな茶番は聞いたことがない!」


 嫌悪感を滲ませ吐き捨てたウォルシンガムの隣で、ハットンが憂いと戸惑いを含んだ表情で疑問を口にした。


「どうして、こんな無茶なことを……何を、そこまで焦ることがあるのでしょう」


 その疑問は、ある意味当然のものだった。

 あまりに強引で、性急に過ぎる。


 何が、彼らをそこまで駆り立てるのか。


 宙に浮かんだ疑惑に、不機嫌なウォルシンガムの声が答えた。


「これだけ急いでいるのは、メアリーが、ボスウェル伯との不倫の子を宿しているからではないかと。姦通罪は死罪。子供は非嫡出子で、王位継承権は与えられません。メアリーには、どんな手を使ってでも、子供が生まれる前にボスウェル伯と結婚しなければならない理由がある」

「憶測でものを言わないで」


 ウォルシンガムの推測に対して私が放った言葉は、自分で思っているよりも鋭く響いた。


「憶測が全て事実なら、私の尊厳はとっくに泥にまみれています」


 その台詞に、ウォルシンガムは顔色を変えたが、何も言わずに頭を下げた。


 だが、そう言いながらも、私とて、その可能性を真っ向から否定出来るわけではない。


 同じ女として、確たる証拠がないまま、これ以上彼女を貶める気になれなかっただけだ。


 配偶者を殺した愛人と結婚する女王――

 どこかで聞いた話だ。


 ロバートとの間に散々そんな噂を立てられ、そんな馬鹿なことをする人間がいるわけない、と憤った私だが……


 本当にいたのだから、私はもっと人間研究が必要だろう。


 呆れも怒りも通り越して失望してしまい、私はがっくりと会議テーブルにうなだれた。


「陛下、顔色が……」

「うん、ごめん、ちょっと気持ち悪くなった……」


 心配するロバートに答え、私は額に手を押しあて、2、3度息を吸い込んだ。


 もやもやする。


 失望が1回転したところで、ふと、新たな価値観に気付く。


 ああ、でもそうだ。あの子はそういう子だ。


 恋をしたら、周りにどう思われようが関係ない。誰を傷つけても、どんな手段を使ってでも欲しいものを手に入れようとする。


 私が彼女に決して勝てないのは、そういうところだ。







 その日の夜、私は枕を抱いてベッドの上に座ったまま、ぼんやりと寝室に置かれた机を眺めていた。

 正確には、その机の引き出しを。


 マリコからもらった、毎日のように届いた手紙は、全てその中に取ってある。


 だが、もう見返すこともないだろう。


 ほんの1年前、花咲いた恋を眩しく語っていた証拠は、虚しいほどの残酷さで、人の心がこうも豹変してしまう怖ろしさを突きつけていた。


 この歯車は、どこかで止めようがなかったのか。


 マリコが復讐のためにボスウェル伯を利用したのか、ボスウェル伯が野心のためにメアリーを利用したのか――本当のところは誰にも分からないが、仮に2人が共謀したとして、マリコの性格からすると、政治的な駆け引きは全てボズウェル伯に任せたのだろう。


 だからと言って、それを許したマリコの行いが許されるわけではないが、ボスウェル伯もボスウェル伯だ。


 どこまで自分に自信があるのか知らないが、そんな方法でついた王位が、長持ちするはずがない。


 周囲の反感を買い、反乱を起こされるか暗殺されるのが落ちだ。


 それとも、本当に結婚することだけが目的だったのだろうか?

 王になれば全てが上手くいくと思っているのだろうか?


 野望を達成したその先について、どこまで楽観的な未来を描いているのだろう。


 理屈では到底理解できない彼らの行動に、理性を失った者たちの狂気を感じたが、これは当事者たちの視点に立てば、ドラマティックな愛の物語なのだろうか。


 それを理解出来ない私の方がおかしいのだろうか?


 混乱している。


 思考停止と一途の差すら、一時分からなくなり、私は枕に頭を乗せながら零れた涙を拭って、眠った。







~その頃、秘密枢密院は……

 


 この時間に彼らが起きていること自体は、別段珍しくはないが、2人で顔を付き合わせているのは、さすがに珍しかった。


 サー・ウィリアム・セシルの白い貌が、揺らめく蝋燭の炎に照らされて浮かび上がる。

 その顔色が悪く見えるのは、覚束ない灯りのせいだけではないはずだ。


 ウォルシンガムが独自の情報網で収集した秘密情報と、セシルが国務大臣の立場から得る公の情報を付き合わせ、隣国の今後の動向を予測する作業は、実に不快な作業だった。


「近々、スコットランドでは反乱が起こるでしょう」


 ウォルシンガムの予想に、セシルが怜悧な表情を崩さぬまま耳を傾ける。


「身勝手な女王の行動に、国民は怒り狂っています。この上、挙式まで挙げてしまっては、反乱は必然。スコットランド貴族は、ボスウェル伯を葬るために、ダーンリー卿――故ヘンリー王の仇討ちを名目に、力を結集し出しています」


『不浄の女』『淫乱な人魚』『最悪の売女』――苛烈を極める批判が綴られたパンフレットが街に溢れ、国民は王位に相応しくない女から王冠を剥奪することを、強烈に要求していた。


 国を混乱に陥れる女王を廃し、生まれたばかりのジェームズ王子を次の王位につけることで、実質的な権力を握りたい貴族達にとっては、この機運は何よりも望ましいものだろう。


 あれほど憎んだヘンリー王を結束のシンボルとして担ぎ上げようとしているのだから現金な話だが、彼らにとって大義などは、野心を達成するための言い訳に過ぎない。


 セシルがようやく口を開いた。


「挙式は9月5日――彼らが兵を挙げるとしたら、その後でしょう。ウォルシンガム、反乱軍と、ボスウェル伯が集められる軍勢の規模、挙兵の正確な時期を掴めますか?」

「善処しましょう」

「さて、予想される戦いについて、我々がどう動くべきか、というところですが――」

「陛下は、断固反対なさると思いますが」


 先読みしたウォルシンガムの指摘に、セシルが黙って微笑んだ。十分に理解している笑みだった。


 これから起こると予想される戦いで、反乱軍側が勝利し、女王の退位を実現すれば、スコットランドは、赤子のジェームズ王を戴いた、プロテスタント貴族達の天下になるだろう。


 それは、イングランドの現状からすれば望ましいことだ。


 セシルが今回の軍勢の把握を望んだのは、場合によっては、反乱軍側の勝利を確たるものにするため、イングランドからの支援も辞さぬ意志があるからだ。


 だが、それについては、彼らの主人である女王の支持を得るのは難しいだろう。


「陛下は、あの女に肩入れし過ぎている」

「そうですね……メアリー・スチュアートの存在は、容易にあの方の心を乱す」


 昼間、メアリーを扱き下ろし、女王の不興を買ったウォルシンガムがぼやくと、セシルもこの場では同意した。


 実に不可解な感情ではあるが、彼らの女王は、渦中の女性に対し、好意ではないにしろ、ある種の特別な情を抱いているように思えた。


 彼女の、メアリー・スチュアートに対するこれまでの言動から総合的に判断するならば、そこには一種の親近感や共感――あるいは羨望に近い感情が透けて見える。


 以前、彼女は、『自分には出来ない事をする女性が羨ましい』と、話したことがある。


『理性に生きること愛に生きることと、どちらが後悔しないのか』とも。


 メアリー・スチュアートという存在――その人間性は、彼らが仕える君主とは真逆の性質を持つものだ。


 為政者としては足手まといになると彼女が切り捨てた、『女』の弱さや愚かさは、時に彼らの女王の、女性としての共感や羨望を誘うのか。


 彼女の、王として何よりも尊い美徳を、女の不幸であるかのように踏みにじる存在が疎ましく、顔をしかめたウォルシンガムに、セシルが冷ややかな――彼にしては冷ややかに過ぎる声で伝えた。


「今日、私宛に手紙が届きました。ボスウェル伯とメアリーの連名で」

「……それは、どのような」

「女王の頑なな心を溶かしてくれるよう私に説得するようにと、長々とした懇願の手紙が」

「…………」

「私としたことが、思わず手紙を破り捨ててしまいそうになりました」


 不快感から押し黙ったウォルシンガムに、セシルが穏やかな微笑を見せる。


「何を勘違いしているのか。この世界で、女王以上にあの女に同情している人間はいません」


 その手紙の内容までは口にしなかったが、静かな怒りを包んだその微笑みから――あの厚顔無恥な2人が、彼らの冒した愚行と同等、あるいはそれ以上に――この宰相の逆鱗に触れたことは疑いなかった。



 すでに彼らは、イングランドで最も恐ろしい男を敵に回してしまったのだ。



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