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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第9章 スコットランド動乱編・後編
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第118話 ダーンリー卿暗殺事件


 そうして、しばらく平和な時が続き、油断していた私の全く与り知らぬところで、その事件は起こった。


 

 悲劇の引き金が引かれたのは、その年の7月上旬。

 イングランドでは恒例の夏の行幸が行われ、今年は南西地方へ宮廷が移動している最中のことだ。


 スコットランドから、衝撃的なニュースが届いた。



 7月10日未明。エディンバラのカーク・オ・フィールドという館で、ダーンリー卿が殺害された。


 事件発生の数日後、最速でイングランドに届いたその報に、私は色を失った。


「今月10日未明、ダーンリー卿が滞在していたカーク・オ・フィールド館が深夜に爆発しました。ダーンリー卿の遺体は、その屋敷の庭で発見されています。屋敷の被害状況から、相当数の火薬が仕掛けられていたようですが、遺体には爆発による損傷は認められず、何者かに絞殺された跡があるとのことです」


 朝の散歩で、ウォルシンガムにセシルから報告がある、と聞かされ、赴いた小会議室で知らされた内容は、実際は昨夜の深夜に届いたのだという。


 朝一で非公式に聞かされたのは、内容が内容なだけに、会議よりも先に女王の耳に入れておく必要があるという宰相の判断だ。


 実際、その場にいるのがセシルとウォルシンガムだけだったのは助かった。

 重臣達が居並ぶ会議の場でこの報告を聞いて、動揺を隠せる自信はない。


 すでに一晩、内容を吟味したセシルは、青ざめる私を前に、冷静に報告を続けた。


「これは現場の状況を見た、現地の人間の推測ですが――恐らくは火薬が仕掛けられたことに気付いたダーンリー卿が庭に逃げ出したところを、暗殺を仕掛けた実行犯達が捕らえて、絞殺したのではないか、と」

「犯人は!?」

「捕まっていません。『ヘンリー王』の目に余る乱行ぶりがスコットランド中の憎しみを買っていたのは事実です。動機を考えられる人間は腐るほどいるでしょうが……」


 そこで、不自然な間が開いた。

 報告を躊躇うような沈黙は一瞬だけで、すぐにセシルは変わらぬ調子で続けた。


「注目するべきは、なぜその晩、ダーンリー卿がエディンバラの屋敷にいたかです。彼はほんの10日前まで、病を理由にグラスコー地方にいる父親の元で静養していました」

「このタイミングで、わざわざエディンバラに戻ってきたの?」

「ダーンリー卿がその屋敷に移動したのは、メアリーに呼び出されたからです」

「……!」


 息を飲む。

 嫌な予感がした。とてつもなく、嫌な予感が。

 

「ホリルード宮殿での一件で、1度はダーンリー卿を許すそぶりを見せて味方につけたメアリーですが、エディンバラを取り戻し、事態の解決を見た後は、再び別居状態が続き、夫とは顔を合わせるのも嫌がるほどに嫌悪していたようです」


 それは、ランドルフからの定期報告でも耳にしている。

 マリコから時折送られてくる手紙にも、ダーンリー卿のことに触れる箇所はほとんどなかった。


「それが、急にメアリーの方から和解を求めて、エディンバラでの療養を勧め、わざわざグラスコーまで夫を迎えに行った――」

「…………」


 聞きたくない。だが、聞かなければいけない。


「心身が衰弱していたダーンリー卿は、ようやく妻の怒りが解けたかと喜んで、エディンバラに帰還したようです。そして、10日間の妻の看病を受けた後、彼女が屋敷を離れた翌日明け方、カーク・オ・フィールド館が吹き飛んだ――」


 だが、爆音と共に、何もかもが消し去られることはなかった。

 命からがら逃げ出したダーンリー卿は、明らかに他殺と分かる絞殺死体となって、この暗殺事件を白日の下に晒した。


 誰かが、嫌われ者の王を殺した。

 誰が。


「今回、ランドルフが送ってきた報告書は、事件が発覚したその日に書いたものです。真相の究明にまでは、まだ調査の手が及んでいない段階ですが、彼が書き送ってきた内容は、明らかにある人物の行動を疑っています」

「……偶然かもしれないのよね。メアリーがダーンリー卿を呼び出した時期を狙って、誰かが殺害計画を実行して、たまたま、彼女だけ難を逃れたっていう可能性も……」


 現段階で、この件にメアリーが関与したという証拠はない。


 我ながら苦しいのは自覚していたが、黒でない限りは、極力疑いを持ちたくなかった。


 だが、私の淡い期待は、その1週間後にあっけなく裏切られた。



『暗殺者はボスウェル伯である。女王がこの犯罪を許可したのだ』



 事件の数日後からホリルード宮殿周辺で撒かれ出したという発行者不明のそのビラを、ランドルフが続報と共に1枚同封してきた。


 首謀者はボスウェル伯、犯行教唆がメアリー。

 エディンバラでは、早くもその認識が広まりつつあるとのことだった。


 カーク・オ・フィールド館爆破の直前、現場から去るボスウェル伯の目撃証言があったのだ。


 また、爆発後の犯行現場からも、ボスウェル伯と近しい立場にある貴族や従者達が逃げ散るところを、付近の住民達が目撃していた。

 その上、慌てた貴族の1人が、片方を靴を落としたまま逃げ去り、身元を特定されるなどという、間抜けな不手際まであった。


 一連の状況が、ボスウェル伯が犯人だと明示していたが、事件解決への進展はいっこうに見られなかった。


「エディンバラの治安維持は、ボスウェル伯に一任されています。警察機能が彼に支配されている今、疑わしいあの男の捜査を命じられるのは、女王メアリーだけです。にも関わらず、メアリーは調査を強制的に打ち切らせ、ボスウェル伯の疑惑に対する言及を、一切しようとしない」

「…………」


 起立したセシルの冷ややかな報告を、私はテーブルに肘をつき、両手を口元で組み合わせて聞いていた。


 メアリーが直接、今回の暗殺事件に荷担したという証拠はない。

 状況は、限りなく疑わしいグレーだ。


 だがこうなれば、巷でメアリーが夫殺しの犯人であるという説が、真実として出回るのは避けられない。


「……最近、メアリーに近しい者が、ある言葉を聞いたと証言しています」


 心の奥底では、まだマリコが白であることを信じたい私の胸中を見透かしたように、セシルの眼鏡の奥の眼差しが、私を見下ろす。 


「……ある言葉?」

「『あの男が生きている限り、生きていても楽しくない』と」

「……!」


 その台詞が、決定的な犯行表明のように響き、私はうなだれ、顔の前で組んだ手に額を乗せた。


 ジェームズが生まれて、異常な躁状態になっているところで気付くべきだったのか。


 リッチオを殺害され、自分もまた命の危機に晒された彼女が、その首謀者である夫を、いつまでも置いておくことに我慢が出来るだろうか。



 ――殺したいほどの嫌悪感を飲み込み、彼女は最後の妻の仮面をかぶった。


 久しぶりに妻に優しくされて、すっかり騙されたダーンリーは、無防備にも彼女の勧めに従い、ボスウェル伯が手ぐすね引くエディンバラへと戻った。


 7月1日から、爆破事件が起こる前日の9日までの9日間は、メアリーは、新婚の頃に戻ったような愛情深さを夫に見せたのだという。


 そしてそれは、夫の死期を知る妻の、最後の優しさとなった。



 ――不幸なことに、それで全ての辻褄が合ってしまう。


「そんなに嫌だったなら、離婚って手も……」


 反射的に口を突いて出た台詞を、ウォルシンガムが否定した。


「メアリーがダーンリー卿殺害を謀ったとすれば、それは息子のジェームズが継承権を失わない形で、夫を排除したいと考えたからでしょう」


 プロテスタントとは違い、ローマ・カトリックでは、厳密には1度契りを交わした夫婦の離婚は認められておらず、離婚するには、『結婚を無効にする』という手続きが取られる。


「カトリックの法では、ダーンリー卿との結婚を無効にした際、ダーンリー卿との子であるジェームズは庶子に落とされ、王位継承権を失います」


 それはメアリー自身が、カトリックの法のもと、アン・ブーリンの子であるエリザベスの王位継承権を認めていないのと同じ論法だ。

 だから、似た状況が自らの身に降りかかった時、彼女は離婚という手を使えなくなったのか。


「どうしてボスウェル伯と……」

「お分かりになりませんか」


 そう問われても、察することが出来るほど、今は頭が回っておらず、私は答を求めてウォルシンガムの方を見た。


「スコットランド宮廷内では多くの者が、メアリーとボスウェル伯が愛人関係にあると考えています」

「…………」


 目眩がした。


 そう来るか。


 ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンは、優れた軍人で、モレー伯の反乱や、ホリルード宮殿での事件後のエディンバラ奪還でも、大車輪の活躍を見せた。

 以降、軍事面で女王の信任を得て、スコットランド政界でメキメキ頭角を現した男だ。


 確か年齢は20代後半で、粗野だが男気に富んだ男だと、ランドルフが評価していた。


 私宛の手紙でも、ボスウェル伯のことはニックネームで呼んでいて、信頼しているようには見えたが、かといってダーンリー卿の時のような分かりやすい恋愛感情は微塵も感じられなかった。


 初めから後ろめたいことがあったから、隠していたのか。


「……ボスウェル伯は既婚者よね?」

「ボスウェル伯は、現妻との離婚調停を進めています」

「……何それ」


 メアリーと違い、プロテスタントのボスウェル伯は、離婚は不可能ではない。

 うんざりした私の呟きにも、ウォルシンガムは生真面目に答えた。


「許可さえもぎ取れれば、未亡人となったメアリーと再婚する気です。だが、そんなことをすれば、スコットランドの民の逆鱗に触れるのは必然だ。メアリーを支援していたローマ教皇ですら、そんな不埒な女を許すかどうか」

「そうね……それに、スペインも……フランスも……ヨーロッパ中の君主国家にとっても、許すことの出来ない問題でしょうね」


 これでメアリーが挙式を挙げ、ボスウェル伯が王位につくことがあれば、立派な王位簒奪だ。

 それも、王の妻だった女王が荷担したと疑われる、極めて醜悪な。


「……どうするつもりなの、あの子は……」


 無茶苦茶だ。

 本人達はただ盲目的な恋を突っ走っているだけのつもりかもしれないが、犠牲にするものが大き過ぎる。


「女王陛下、貴女はスコットランド女王に肩入れし過ぎている」


 苦悩する私を見透かしたように、ウォルシンガムが冷めた眼差しで見下ろしてくる。


「冷静に見れば、あれは断罪すべき悪女です。当人にどのような思惑があれ、結果的に国家の安定を揺るがしている。陛下の御心を悩ませる価値もない」

「そんなの……あなたが決めることじゃないでしょ……」


 容赦のない断罪に、そこまで割り切れない私が苛立って言い返すと、ウォルシンガムは1歩身を引き、頭を下げた。


「……失礼、口を差し挟み過ぎました」

「…………」


 頭を抱え、私は苛立ちを抑えて溜息をついた。私も混乱している。


 ウォルシンガムの言うことは分かる。


 仮にメアリーが夫殺しを教唆したとして、それはどの時代であっても、許される行動ではない。

 だが、この時代だからこそ、彼女の立場だからこそ、そこまで追い詰められなければいけなかった面も、確かにあるはずだ。


 考えろ。冷静になれ。


 今の私に何が出来る? どうするのが正しい?


 すでに遠く離れた場所で起こってしまったことに対して、私が出来ることは少ない。


 だが、間違いなく今この時、彼女を弁護できる権力者は、世界中で私だけだった。


 報告を受けたその日に、 私はメアリーに手紙を送った。


 日本語で書く私書ではなく、エリザベス女王として、メアリー女王に宛てた文書だ。



『今回の恐ろしい事件について耳にし、驚き慄いています。

 血の繋がったあの人の死を悼むのは人として当然の行いですが、それ以上に、私はメアリー、貴女に対して憤りと哀しみと心配の気持ちを寄せないわけにはいきません。

 今、私以外の誰が、貴女に名誉を守り抜くよう叱責することが出来るでしょうか。

 誠の従姉として申し上げます。巷では、貴女がこの恐ろしい事件を起こした者を罰することなく、見て見ぬ振りをしていると囁かれているのです。

 あまつさえ、そこに貴女の人格と尊厳が著しく損なわれる疑惑を抱かれています。

 このことを、よく熟慮して下さい。王として正しい目と耳を持ち、貴女が高貴なる女王であることを世間に証明されますよう、心から願っています。

 このように厳しい言葉を持って進言するのは、私が愛する妹を信じ、救いたいという愛情故なのです』



 公になるようにこのような文書を送ったのは、これ以上、メアリーに対する良からぬ疑惑が広がらないようにとの牽制もある。


 今ならまだ間に合う。今回の暗殺事件に対し、厳正な捜査の手を入れ、疑わしきボスウェル伯を徹底的に洗い、有罪であれば公正に罰するのだ。


 彼女自身が無実であるのならば、そのことを声高に、決然と主張しなければならない。


 この場合、沈黙は悪手でしかない。人々はそれを都合の悪さを隠す沈黙だと断定し、白はグレーに、グレーは黒に変わる。

 

 時間が経てば立つほど、状況はメアリーに不利に働く。


 だが、本当に黒だとしたら……?


 本当の罪人を庇う術を、私は知らない。

 正しい裁きを受けて償うべきだという言葉しか出てこない。


 そして、その正論は、きっと彼女の心には何1つ響かないのだろう、ということも予想できた。




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