第117話 黒いから
ハットンと子猫観察を始めてから、1週間ほど経った日のこと。
その日も、私達は同じ時間に、同じ礼拝堂の裏へと訪れた。
「あれ?」
裏口の戸を開いて、先に庭に出たハットンが首をかしげた。
「なんだか黒い子だけ1匹、やけに離れたところにいますね」
「んー。どれどれ? あ、ホントだ。やだ、いじめられてんのかしら」
2匹の兄弟猫は、母猫の傍らでこちらの様子をうかがっていたが、1匹黒い子猫だけは、私たちと母猫たちの中間あたりに座っていた。
これだけ近くにいることは珍しいので、私達は刺激しないよう、しゃがみ込んで息をひそめた。
そのまま興味深く観察していると、好奇心が勝ったのか、黒い子がよちよちとこちらに向かってくる。
「逃げないわね……」
母猫は警戒した様子で、他の2匹を守りながらこちらを見つめているが、彼らも逃げる気配はない。
いよいよ手を伸ばしたら届きそうな範囲まで近づいてきたので、私の胸は躍った。
さ、触ってみてもいいかな……?
逃げないなら……と、そっと指を伸ばして触れてみるが、大人しく撫でられていて、怯える気配はない。
おおおっ
その快挙に私は目を輝かせ、手のひらに載る大きさの小さな子猫をすくいあげた。
顔の前まで持ち上げてみるが、丸まって置物のようにジッとしている。
きゃわぁぁぁっ。
「陛下、すごく嬉しそうです」
完全に顔面崩壊した私を見たハットンに吹き出される。
かわいいっ。持って帰りたい……!
いやいや、だが母猫が見ている。ここで連れ去っては人さらいならぬ猫さらいである。
多分まだ1カ月くらいだろうし、こんなちっちゃい子を親から引き離すのはかわいそうだ。
やわらかいよー。ちっちゃいよー。かわいいよー。
小さな命の感触に感動する。
「……よく見ると、この子けっこう目つき悪いわね」
他の2匹が子供らしいくりくりと丸い目をしているのに比べ、この子は釣り上った目をだるそうに半眼にしていた。
「やたら大人しいし」
他の2匹はみいみい泣いているのに、この子は知らない人間の手の上に乗せられても、うんともすんとも言わない。
肝が据わっているのか、弱っているのか。後者なら心配だ。
「なんかちょっと心配だけど……お母さんのところに帰りなさいね。ちゃんとお乳もらうのよー」
「持って帰らないのですか?」
手放すのが惜しそうな私に、ハットンが聞いてきた。
「親がいるのに、わざわざ引き離す必要もないでしょう」
捨てられたりしていたら速攻で連れて帰ってしまうところだが、ちゃんと兄弟と一緒に育てられているところを連れ去るのは忍びない。
「立派な野良におなりよ……」
じっとこちらを観察している母猫の方に、逃げられないように慎重に近づいて返し、その日は礼拝堂を後にした。
翌日、ウキウキと礼拝堂に向かっていた途中、廊下でウォルシンガムと出会った。
「まだ飽きずに猫を見ているのですか」
「うん。なんとねぇ、昨日は触れちゃったの! 黒い子が、向こうから近づいてきてくれて!」
察したウォルシンガムの問いかけに、私はここぞとばかりに嬉しいニュースを報告した。
「あまり調子に乗ると引っ掻かれますよ」
「大丈夫よ。大人しい子だから。やっと私が危険人物じゃないって分かってくれたのかしら」
「それは良かったですね」
きっと、すごくどうでもいいのだろう。全然感情がこもってない。
「ウォルシンガムも見に行く? 今日も近づいてきてくれるかもしれないし」
「見慣れない私まで行けば、また警戒して逃げ出されるのでは?」
「どうだろ。でも、同じまっくろくろすけだから、同類だと思われるかも」
「…………」
などと会話を交わしながらウォルシンガムを引き連れて、礼拝堂へと向かう途中でハットンと合流した。
静謐な空気の流れる朝の礼拝堂をひたひたと素通りし、バックヤードに回る。
ウキウキして、エスコートも待たずに裏口にかけられた閂を上げた私が、外開きの戸を押し開くと――
!?
黒い毛玉が落ちてる!!
すぐ足元に見えたものに、私は驚いて足を止めた。
「ハットン! 子猫が!」
「え?」
呼ばれたハットンが、開いた戸口の前で立ち尽くす私の横から顔をのぞかせた。
裏口のすぐ前に――下手したら外開きのドアに当たってしまうのではないかという距離に、黒い子猫が丸くなって座っていた。
「あんたどうしたの!」
思わず声をかけるが、もちろん返事はない。
足元の子猫を拾い上げ、慌てて裏庭に出て、母猫と兄弟の姿を探す。
「いない……?」
「陛下、この子……」
手の中でじっと蹲る子猫を、ハットンが心配そうに見下ろす。
「……やっぱり弱ってるの……?」
見捨てられてしまったのだろうか。
ふとそんな不安がよぎった私に、背後からウォルシンガムが指摘した。
「動物は合理的なので、生き延びそうにもない弱い個体を切り捨てたのでは」
「…………」
だとしたら、なぜ、この裏口の前に放置していったのだろう。
まるで置き土産のように、ポツンと。
「分かったわ!」
何かの啓示を受けた気がして、私は確信を持って声に出した。
「きっと、あの母親は、私がこの子を欲しそうにしてたのを見て、野良だと生きるのが厳しいこの子を、私に託したのよ。私に十分養育能力があると判断したんだわ!」
「……それは大した慧眼です」
ウォルシンガムは棒読みだ。
ともあれ啓示を受けた私は、急いでその子を寝室に持ち去り、侍女たちに事情を説明した。
昔、子猫を拾った経験を生かしつつ、道具や材料が揃わないので、侍女たちと頭を悩ませながら、苦労して特製高栄養価ミルクを与える。
小さな体に寄生していたノミも地道に取り除き、3日3晩、寝室付きの侍女たちと交代で看病を続けた。
動くのも億劫だったらしい子猫も、その頃には大分元気を取り戻し、寝室の片隅に置いていた籠ベッドから這い出して部屋をウロウロするようになった。
体力が回復した頃を見計らい、全身をくまなく洗ってやると、意外に抵抗しなかったが、大量の泥水が出てきて、こちらがギャーとなった。
おかげで、乾かしたら見違えるほど綺麗になった。ちなみに男の子だ。
洗われて疲れたのか、その日は1日中眠っていた。
次の日、私は、拾った時のことを知っているハットンとウォルシンガムに、この姿を見せてやろうと寝室に呼んだ。
「すっごい綺麗になったの。大分元気になったし、もう大丈夫だと思う!」
「良かったですね。きっと、陛下が愛情が伝わったんでしょう」
「ふふふ」
夕方まだ早い時間に、ウキウキしながらハットンを連れて寝室に戻る。
寝てるかなー。起きてるかなー。
……ん?
柔らかい布を敷き詰めた籠ベッドを覗き込むが、大抵そこで丸まっている子猫の姿がなかった。
「あれっ、いない!」
「部屋の中をうろついているんでしょうか?」
ハットンと侍女と一緒に、テーブルの下やベッドの下なども捜索するが、見つからない。
「ねこたーん?」
まだ名前がないのでそう呼んでいるのだが、呼びかけても返事はない。
子猫らしく、もっとミィミィ鳴いてくれたら助かるのだが、基本的に音を立てない子だ。
総出で子猫を捜索している最中、遅れてウォルシンガムが寝室に入ってきた。
「陛下、廊下に妙なものが落ちていましたが」
もしや!?
床に張り付いてベッドの下を確認していた私はガバッと身を起こし、期待してウォルシンガムを見やるが――
「どこ?」
「ここです」
あ。発見。
片手で腹のあたりに抱えているのだが、黒服に一体化してて全然見えなかった。
妙なもの――では勿論なく、黒い毛玉……でもなく、探していたネコたんである。
「クマさんがその子抱いてると、完全に保護色よね」
ウォルシンガムの大きい掌の上ですっかり安定しているようで、子猫は丸まって眠っていた。
小さな背中を上下しながら眠っているのを見ると、起こすのも忍びなく、ウォルシンガムの手に乗せたまま、そっと指先で額を撫でる。
「かわいー……」
洗ったので毛もふわふわだ。
顔を近づけ、鼻先でピンと立った耳のあたりをくすぐると、反応して耳がピクピク動いた。
「ふふっ」
その姿に癒され、ついついずっと眺めてしまう。
「…………」
その間、しっかりと猫台の役割を果たし、微動だにしないウォルシンガムが黙って見下ろしてくる。
「あ、起きちゃった?」
身じろいだ子猫が顔を上げたので、台になっているウォルシンガムの手を持ち上げて、覗き込んだ。
目が合うと、大きく口をあけて、子猫が鳴いた。
「みぎゃ」
……最近、たまーに鳴くようになったのだが、これがまた、まったく可愛くなかった。
子猫のくせに声が低いし、なんか、明らかに「ぎゃ」とかそういう濁音が混じっている。「にゃー」とか「みぃ」とかとは程遠い。
かわいくないところがかわいい。可愛いは正義。
「陛下、もうよろしいですか」
「ん? ああ、ゴメンゴメン」
私がいつまでも子猫と見つめ合ってにまにましていると、ウォルシンガムの声が落ちてきたので、手の上から猫を取り上げて解放してやった。
「飼われるのですか」
「ダメ?」
「よろしいのでは」
まぁ、特に反対する理由もないだろう。
「名前などは決まっているのですか」
「実はまだ……あ」
再び啓示が下りてくる。礼拝堂裏で拾った子だからか、ピンと来るものが多い。
「黒いところがウォルシンガムに似てるから、フランシスって名前でどう?」
「よしてください。黒い以外何も似てません」
即答で嫌がられるが、もう決めた。啓示だから仕方がない。
「そうねー。フランシスの方がよっぽどかわいいわよねーフランシス」
「陛下、フランシスで決定ですか陛下」
「ほーらフランシちゅ~。やーんきゃわゆい!」
「…………」
そうして、ネコたん改めフランシスを飼い出した私は翌日の朝、一応、例の礼拝堂裏に行ってみたのだが、やはり、いつもの繁みに母猫と兄弟猫の姿はなかった。
「……あ」
ぐるりと裏庭を見回していると、礼拝堂の壁の角から顔をのぞかせる猫と目が合った。
例の母猫だ。
だが、目が合った瞬間引っ込まれてしまい、追いかけて壁の角から覗き込むと、母猫はかなり離れた場所から、ジッとこちらを見つめていた。近くに、子猫の姿は見当たらない。
置いていった我が子の様子を見に来たのだろうか。
「あの子、くれてありがとう」
目を逸らさない母猫を見つめ返し、礼を言う。
「ちゃんと大事にするから」
その年の夏の初め、寵臣が1匹、増えた。




