第1話 吸血鬼の男の物語
窓の外では、銀色の月光が静まり返った街路を照らしていた。
琥珀色のウイスキーがグラスの中で揺れ、氷がカランと乾いた音を立てる。吸血鬼であるクロウにとって、酒は喉を潤すものではなく、ただ退屈な時間を紛らわせるための道具に過ぎなかった。
向かい側に座る人間の女、リナは、すでに白髪の混じり始めた髪を指先で弄びながら、唐突に切り出した。
「ねえ、クロウ。君は輪廻転生を信じるかい?」
クロウは琥珀色の液体越しに彼女を見つめ、眉をひそめた。
「……なんだよ、急に。そんな殊勝な柄じゃないだろ、あんたは」
「質問に質問で返さないでおくれよ。それで、どうなんだい?」
リナは悪戯っぽく微笑む。その瞳は、出会った頃と変わらない知性と好奇心に満ちていたが、肌に刻まれた皺は残酷なほどに時の流れを物語っている。クロウは溜息をつき、背もたれに体を預けた。
「そんなオカルトじみた話、あるわけないだろ。魂なんてのは、肉体が滅びれば霧散するただのエネルギーだ。死んだら終わり。それだけだ。」
「ふふっ、吸血鬼の君がそれを言うのかい?」
「……それもそうか」
クロウは苦笑した。自分という存在そのものが、科学では説明のつかない「オカルト」の塊なのだ。自嘲気味に肩をすくめ、彼は問いを返した。
「それで、なんでまた輪廻転生なんて言い出したんだよ」
リナはグラスに残った僅かな水を飲み干し、真剣な眼差しを彼に向けた。
「輪廻転生の概念があれば、人間の私でも君とずっと一緒にいられるだろう? 私はいつか死ぬ。君を置いてね。でも、魂が巡るのなら、何度だって君を見つけ出せる」
「……馬鹿馬鹿しい」
「そんなことないさ。ああ、でも君が私を眷属として吸血鬼にしてくれれば、話はもっと早いんだけどね」
彼女が冗談めかして差し出した白い手首を、クロウは静かに押し戻した。
「吸血鬼になってもいいことないって、前にも言っただろ?」
「そんなことないだろう。」
リナは食い下がる。
「君みたいにずっと若いままでいられるし、病気とも無縁。何より、君とずっと……永遠に一緒にいられるんだ。これ以上の幸福があるかい?」
クロウは視線を落とした。彼の瞳に宿る深い孤独の色に、リナは一瞬だけ言葉を失う。
「そんな素敵なもんじゃないさ……」
彼は自嘲気味に笑った。その笑みには、数百年の歳月を生き延びた者にしか分からない重みがあった。
「君は素敵だけどね」
リナが軽口で空気を変えようとするが、クロウの声は低く、重く響いた。
「いいか、リナ。心には『刺激』っていう栄養が必要なんだ。吸血鬼の変化しない体じゃあ、どうしてもそれが足りなくなる。昨日も今日も、そして百年後も同じ姿、同じ感覚。新しい発見は摩耗し、感情は枯渇していく。そうなると、体より先に心がくたばっちまう。」
彼は窓の外、眠る街を見つめた。
「吸血鬼の大半の死因が自殺なのは、それが理由だ。永遠という名の退屈に耐えられなくなるんだよ。俺はあんたにそうなって欲しくない。このまま人間らしく生きて、人間らしく死んで欲しい。」
部屋に沈黙が流れる。時計の秒針が刻む音だけが、リナに残された「有限の時間」を冷酷にカウントしていた。
「……君はやっぱり優しいんだね。私なら、愛する人は問答無用で眷属にするけどね」
リナはそう言って笑うと、窓辺に立ち、夜空を見上げた。そして、何か大きな決意を固めたかのように、背中で言った。
「よし……決めたわ。次生まれ変わったら吸血鬼として生まれるよ」
「は……?」
「そして、君を私の眷属にする。そうすれば、君の退屈も私が壊してあげられる。そしたらずっと一緒にいられるだろう?」
あまりにも荒唐無稽な論理に、クロウは呆れて声も出なかった。
「吸血鬼を眷属にするって……そんなの、メチャクチャな話だな」
「ふふ、楽しみにしておいてよ」
クロウは呆れ半分、愛おしさ半分で、彼女の細い肩を見つめた。
「……ああ。まあ、楽しみにしておくよ」
それが、二人の間で交わされた最後の「約束」のようなものだった。




