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第47話 追放の理由、そして凩

 物部にとってリクの行動は予想外だった。決して油断したわけではない。しかし物部の意識はほとんど芝崎晶に向き、契約したばかりの壁役は華源に任せておけば良いという慢心があった。

 結果、物部はリクの動きに反応できず、視界の端で華源が吹き飛ばされるのを見ているだけだった。

 

(迂闊だった。妖術を使えない第3王女だが、妖力量は陛下と肩を並べるほど。その力を付与された壁役……私はあの少年にもっと慎重になるべきだったのだ)


 リクの瞬発力と移動速度は、壁役という枠を超え、もはや、かまいたちに近いものがあった。


 油断していたのは自分だったのだ──と、物部が思うや否や、全身の力が抜けていく。見れば、身体のまわりは水の膜のようなものに覆われ、その表面に花が開いていく。


「縛界……?」


「たしか、あの少年は“百花壁“……と呼んでいましたな」


 晶はそう言うと、浴衣の袖の下から葉巻を出して口に咥えた。


「ああ、いけません、火を忘れましたか……」


 晶はため息を深くつくと、葉巻の先を物部に向けた。


「北の縛界術はかなり進んでいるようですね。教導隊最強と言われるあなたを、こうして檻に閉じ込めることができるのですから」


「これは……お前たちを閉じ込めていた花の縛界。もう解析したのか」


 周囲を覆った縛界の中で、物部は苛立つように目を細めた。


「ええ、暇だったものでね。実に丁寧に組み上げられた術式ですよ。付け焼き刃ですから、あれほど巨大なものは張れませんがね。注目すべきは、この花そのものが妖力の“槽”を担っていること。吸収した妖力の貯蔵タンク……みたいなものですかね」


 晶の言葉を訊きながら、物部は身体中に意識を巡らせた。


 立っているだけで、妖力が止めどなく流れ出していくのが分かる。まるで麻酔布を吸わされたように頭がぼんやりとして、意識が遠のいていく。このままでは遠からず意識を失うだろう。


 吸収型縛界は複雑な術式で構築する。であれば、どこかに“綻び”が出るはず。だが、相手は芝崎晶なのだ。いきなり実戦投入するのだから、おそらく術式デザインに抜かりはない。だとすれば──

 

「勅命に逆らったとなれば、柴崎家はお取り潰しだ」


「くだらん」


 晶は吐き捨てるように言って、蒔絵に目をやった。


 妖力を使い果たし眠り続ける蒔絵のそばに、不安げな表情を浮かべた栄生の姿があった。三太の薬はすでに塗り終えたようで、切り落とされた腕を傷口に添え、蘇生が始まるのを静かに待っている。


「お前は何か思い違いをしている。別に“家”など惜しくはない。あの子は我が森の希望であり、芝崎の宝だ。いずれは王家を守護する盾だ。妖帝術の無断使用だと? 本当にくだらん。姫様を守るためなら、どんな手段を使っても良いと私はあの子らに教えてきた。王宮の犬に成り下がった貴様に、私の宝は渡さんよ」


「ふん、老いたか芝崎晶。私は陛下ただひとりに忠誠を誓う犬だ。継承争いにうつつを抜かす王宮など知ったことか!」


 そう言った物部の姿が次第に花に覆われていく。 


 百花壁はその名のとおり、物部の妖力を吸い上げ、鮮やかな色の花々を咲かせる。やがて縛界の外壁は妖力花に覆い尽くされ、物部は花園の向こうに包まれた。



 壁役の獲得は、晶の念願であった。


 人化転身に失敗したことが、栄生の追放理由だ。しかし晶は法廷の処分に疑いの目を向けていた。


 確かに栄生は問題の多い王女だ。短所を並べれば枚挙にいとまがない。喜怒哀楽が激しく、我儘で、頑固で、おまけに癇癪持ちだ。しかし、権威に無頓着で、分け隔てなく王国民と接することができる稀有な王族である。


 王宮は、栄生が転身に失敗するであろうことも想定済みだったはずだ。紫央陛下は、栄生に輪をかけて情に脆い人である。即位してからは、そのような性分をひた隠しにしているが、幼少の頃より世話役を務めた晶は、そのことを誰よりもよく知っていた。追放処分はあまりに重く、紫央陛下らしくない。

 

 晶には思い当たることがひとつあった。


 それは最近になって力を伸ばしてきた強烈な保守勢力、第2王女派である。王族でありながら、伝統とも言える壁役制度を拒否する第3王女は、第2王女派からすれば格好の的だった。紫央陛下はむしろ栄生様を守るために人界へ追放したのではないか。


 今朝、意図的にふたりを煉界に残してきた。人界で遭遇した北の少年の百花壁をあえて完成させ、捕らわれの身にもなった。確信があったわけではない。ただ、あのリクという少年からはなぜか懐かしい匂いを感じた。晶が心の奥深くに沈めた記憶を呼び覚ますような、それは淡く切ない匂いだった。


 晶はそれをまだ思い出すことができない。だが記憶の輪郭のようなものは薄っすらと見える。夕闇迫る公園。楽しそうに舞う小さな“分け身”たち。ジャングルジムの伸びた影。けたたましい蝉の声。


 この少年はただの人間ではない。

 この少年なら栄生様の壁役になれるかもしれない──それはただの直感だった。


 北の森から来た少年と少女、そして第7教導隊という不確定要素が契約に影響を与えたのは間違いない、と晶は思う。旧式の強制契約だが、とにかく栄生に壁役がついた。これでようやく計画を進める手筈が整ったのだ。


 バリバリバリッ!


 とつぜん、轟音が鳴り響き、晶は我に返る。物部を覆っていた妖力花が、ドライフラワーのように水分を失い、音を立てて粉々になっていく。


「ほう。これはまた素晴らしい」


 晶は感嘆の声を上げた。風に舞う花々は見惚れてしまうほど美しい。


「妖術、逆凩(ぎゃくこがらし)!」


 物部の術名詠唱と共に、百花壁は逆巻く風の中へ吸い込まれるように消し飛んだ。


「縛界は力で壊せ──あんたが教えてくれたことだろう」


 物部は無表情のまま言った。


「お見事、お見事。ま、誰にでもできることじゃないんですけどねぇ」


 晶は感心したように手を叩いた。


「あれほど妖力を失いながら、まだこれほど力を残していたとは、さすが第7教導を託されるだけのことはありますね」


「茶化すな。芝崎家もこれで終わりだ」


「だから言ったでしょう、家はどうでも良いと」


「あんたを倒して勅命を果たす! それが私の存在理由だ!」

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