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第41話 分け身の王女の壁になる〜7


「ん、うう……」


 リクは苦しそうな声を漏らした。しかし肌の血色は戻っているし、首の傷も綺麗に消えていた。しばらくすれば意識も取り戻すはずだ。うろ覚えだった血締術は成功したのだ。


 これもあの声と関係があるのだろうか。


 疑問は残ったが、栄生はリクを救えたことに心底胸を撫で下ろした。


(一歩間違えれば、最悪のことだって起こり得たんだ。今は助けられたことに感謝しよう》


 ただ── 栄生はリクの傍らに座ったまま俯く。首筋に浮かんだ黒く派手な契約紋。それは“血締術”によって壁役になった者の証だ。


 命を救った代償、それは栄生に隷属する壁役“リク”との強制契約だった。


(私はなんて謝ればいいんだろう。これしかあなたを助ける方法がなかった? それは私の理屈だ。一方的にこっちの争いに巻き込んだのに、どうしてそんなことが言える……)


 リクはもうじき目を覚ます。いや、一刻も早く目を覚ましてほしいと栄生は思う。しかしその後のことを考えると、怖くなった。


 激しかった雨は止み、雲間からは筋となった光が地表を射していた。風の道が見える。幾層にも重なった淡い水色の風が、ときおり栄生の濡れた髪を巻き上げ、彼方へ通り過ぎていく。


(想いも覚悟もないまま、私は彼を壁役にしてしまった)


 壁役──それは契約を交わしたかまいたちを、死ぬまで守護する人間の盾だ。契約主から妖力を与えられ、妖術を操る。戦闘では前衛に立ち、主を守り抜く“生きた縛界”。契約紋によって、主の命に背くことは許されず、たとえ互いの同意があっても、破棄することができない生涯の隷属。


 しかも、栄生が発動した血締術は、相手の同意を必要としない旧型の術式だった。現在では人間との同意を必要とする“心締術”が主流で、有無を言わさず人を縛りつける血締術はほとんど使われることがなかった。


 望まなかったとはいえ、自分が最も嫌っていた王家の悪しき慣習を、しかも強制契約という最も卑劣な術式を使って、栄生は実行してしまったのだ。


 混乱する栄生を嘲笑うように、背後から声が聞こえた。


「あはは、黒い契約紋! まったく血締術なんて……顔に似合わず、エグいことをなさるんですね、私、初めて見ましたわ」

 

(やっぱり来た……)


 振り向けば、腕組みをした雫石が、栄生とリクを冷ややかに見下ろしていた。


「ああ、言いたいことは分かるのよ。あれのことでしょう? まったく、図体が大きいだけで、ちぃぃぃっとも歯応えのない相手でしたわ。いったい、どうしたらあんなモノに苦戦できるのか、ほんと、教えてほしいものです」


 振り返ると、あの巨大なかまいたちの姿はどこにもなかった。


「秒殺、ですわ。ふふん」


 得意気な顔で雫石が言う。


「あなた、何しに来たの?」


 栄生が低い声で尋ねると、雫石は間髪を入れず栄生の頭を掴み、地面に叩きつけた。


「っ……!」


 栄生の顔面が砂利道にめり込んだ。雫石の顔が歪む。


「いい? お姫様? 雫石家に生まれた者はね、能力ですべてが決まるの。力のない者は汚れた血として処分される。だって、そうでしょ、生きてても意味がないんだから。貴族はね、有能な人材を輩出し続けてこそ意味がある。それこそが王家への忠誠の証ってヤツ。あはは、お分かりになります?」


 雫石は狂ったように笑うと、栄生の頭を蹴り上げ、踏みつける。


「人化も妖術もできない能無しのくせに、王族というだけでぬくぬく生かされてきたあなたと私は違うのよ。まあ、あなたには理解できないでしょーけど」


 踏みつける足に、雫石はいっそうの力を込める。すでに王家から追放された栄生に遠慮はいらない。たとえ陛下の娘であっても。


(こいつらのせいで弟は殺されたのだ。こんなクズを輩出する王族に……)



 最初、雫石はそれが風だと思った。人界へと至る参道を抜けるただの風だと。

 

 幸運だったのは、雫石が経験も豊富な実力者だったことだ。


 力量のある者は、相手の力量をほとんど一瞬で推し量る。ゆえに彼らは負ける戦いを避けることができるし、生き残ることが可能なのだ。


 雫石はそれが風ではないとすぐに理解した。


「ずいぶんと、行儀の悪い貴族様だな」


 背後からポニーテールを掴まれ、耳元で囁かれた声に、雫石は戦慄を覚えた。


(いつの間に背後を? この私が気配に気がつかないなんて……)


 そして雫石は気がつく。首筋に黒い契約紋を浮かべた少年が消えていることを。踏みつけていた栄生の身体が、白いヴェールに包まれていることを。


(……縛界?)


 雫石は咄嗟に足を引いたが、同時に腹部に強い衝撃を受け、吹き飛ばされる。


 砂利道に身体を叩きつけられ数回転したが、なんとか体勢を立て直す。が、リクはその動きを知っていたかのように、雫石の眼前に現れた。


「嘘でしょ!」


 その動きはすでに人間のものではなかった。リクは追い打ちをかけるように、雫石の顔面を狙って鋭い蹴りを放つ。


「痛っ」


 かろうじて両手でガードするが、その衝撃で雫石はさらに吹き飛ばされる。


(このままでは体術で潰されてしまいます。ならば──)


「妖術……」


 雫石は術式詠唱に入るが、再びリクが目の前に現れる。


(目で追いきれない……これが王族の“壁役”か!)


 金色に光る虚ろな瞳が、雫石を冷酷に射抜く。


「もういい。お前は、ここで殺す」


 冷めきった声で言うと、リクは雫石の細い首を片手で掴み、持ち上げる。


「や、やめ……」


 リクの親指にギリギリと力が入る。


 雫石は悟る──妖術を発動する時間さえ、いまや彼の支配下にある。雫石家最強と謳われ、最年少で教導群入りしたこの自分が、()()()()()()()()()に圧倒されている。それでも認めなくてはならない。この壁は私より強い。でもまだ死ぬわけにはいかない。陛下の恩為にも、なんとしてでも逃げなくては……。


 雫石は足掻きながら、リクの指に手をかけた。


「無駄だ。我が主を足蹴にしたこと、万死に値する。死ね」


「駄目っ!」


 叫ぶ栄生の声が、ふたりの間を切り裂いた。

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