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第37話 分け身の王女の壁になる〜3


 巨大なかまいたちは、小さな唸り声を上げながらその動きを止めた。雨雲の下に出現した無数の剣は、ゆらゆら浮遊しながら妖しい光を放っている。

 

 燃えるような赤い目が、わずかに色味を失ったように見える。


(攻撃が止まった……?)


 栄生は眉をしかめて空を見上げた。


「あらあら、警戒するなんて、まだ自我は残っているのかしら。まあ、ただの木偶ではないようですわね」


 雫石(しずくいし)と呼ばれた女はそう言って、攻撃を止めた巨大なかまいたちを見上げる。


「ねぇ、栄生、さ・ま。そんなに驚くことはございません。なんだか、その、こちらが恥ずかしくなりますわ。たかだか逆変化体(ぎゃくへんげたい)の失敗作に何ゆえ苦戦なさるのか……私からすればそちらの方が驚き。それで、芝崎蒔絵はどこにおりますの?」


 他人を蔑んだ高飛車な口調。雫石はおそらく貴族出身なのだろうと栄生は予想する。


(教導群が蒔絵を探してる?)


 栄生は答えないことにした。人界で何が起きたのか分からない上、ランという少年の言葉を鵜呑みにするなら、3人は今、彼の張った結界に閉じ込められている。本来であれば、教導群は頼もしい増援だが……この紀章は間違いなく第7教導隊。だとすれば十中八九、味方ではないだろう。黙っている方が得策だった。


 そもそも妖術教導群は、王族・貴族のため、王国に創設された妖術の教育集団、妖術のスペシャリストだ。妖術の訓練・運用をはじめ、開皇帝が残した妖術書の管理、新妖術の研究・開発、妖術法の監視など、その任務は多岐に渡る。中でも第7教導隊は、あらゆる組織系統から切り離された国王直属のエリート集団としても有名だった。


 生まれつき妖術の才に恵まれなかった栄生は、幼い頃より徹底的に帝王学を叩き込まれた。というより、他に学ぶべきことがなかったのだ。

 

 かまいたちの歴史や王国の成り立ち、開皇帝に関する知識、鎌狩り組織の構成、統治の術、それこそ妖術以外のあらゆる知識を詰め込んだ。それでも、妖術への憧れがなかったといえば嘘になる。暇な時間を見つけては妖術書を読み漁った。


 姉や妹は教導群の指導のもと、みるみる妖術のスキルを上げたが、栄生は教導群の指導を受けた覚えがない。あるとすれば書庫から勝手に書物を持ち出した事が露見した時くらいだった。


(それにしても、この数の妖剣を一瞬で展開するなんて……)


 初めて見る教導群の妖術は栄生を圧倒した。


「あああああ、姫様、僕たちにびっくり、びっくりしてる……い、いひひひひ」


 唖然とする栄生を見ながら、太った男が言った。


「駄目だよ、宇賀野矢(うかのや)君。仮にも陛下の娘なんだから、変なことしたら処刑じゃ済まない」


 細身の男が落ち着いた声でたしなめた。


「うんうんうん、分かってるよ、四街(よつかい)。でもさ、ほら、白い肌がさ、綺麗でさあああああ……」


 宇賀野矢は興奮してフードを下げると、醜い顔をゆがませ、栄生を指差した。


「太ももが、ほらほらほらほらほら、た、たまらない」


 裂けた浴衣から見える栄生の足に、宇賀野矢は舐め回すような視線を送る。


「宇賀野矢……お前、相変わらずキモいな……って、お前! ひょっとして私の身体も普段からそーゆー目で……」


 女は場にそぐわない大きな声を出すと、コートの上から両手で胸を隠した。宇賀野矢は急に真顔になる。


「あ、それ、大丈夫。興味ない。華源(かげん)、食べ過ぎ。体型、好みじゃない。炭水化物、摂りすぎ」


「ほう……焼き殺すぞ、お前。グラマラスという言葉も知らない変態野郎が」


 華源は宇賀野矢の胸ぐらを掴むと、前に後ろに激しく揺さぶる。


「いい加減にしろ。殿下の御前だぞ」


 大柄な男が短く怒鳴った。その声色にはいかなる反論も許さないという鋭さがあった。


「だって……喧嘩を売ってきたのは宇賀野矢ですよ、物部(ものべ)隊長」

「キモいって言ってきたのはこいつですよ、物部隊長!!」


「俺は黙れと言っている」


 物部の冷ややかな眼光と声が飛ぶ。宇賀野矢も華源は言い合いをやめ、ぶつぶつと不平を言いながら俯いた。


「お見苦しいところを……失礼しました、栄生様」


 物部はフードを下げると栄生に一礼する。美しい金髪に端正な顔がフードの奥から現れた。


「ご挨拶が遅れました。妖術教導群第1教導隊を預かっております物部嘉と申します。なかなか躾が難しい連中でして、どうかご容赦を」


「何が目的? あなたたちがここにいるってことは──」

「はい。もちろん勅命でございます」


 王直属の教導隊が動くのなら勅命は当然だ。しかしどうして”煉界守護隊”ではなく“教導”が動くのだろう。どのみち、はっきりしていることがある──彼らは私を助けに来たわけではない。あの王国で私を助ける人なんていないんだ。


 栄生は眉を寄せたまま続ける。


「教導は煉界侵犯の取締りも始めたの?」


「ご冗談を。そんな瑣末なことで我らは動きません。じきに守護隊の連中がやってくるでしょう」


 物部の声は優しく落ち着いていたが、栄生はどこか居心地が悪くなる気がした。


「私はもう殿下じゃない」


「存じ上げております。が、我らは陛下に永遠の忠誠を誓う者。陛下のご息女であられる栄生様もまた、我らにとっては永遠の殿下でございます」


「ええー、隊長、そんなぁ。じゃあ、僕、ずっと栄生様、見てるだけ? 太もも、見てるだけ?」


 宇賀野矢が口を尖らせて言った。


「四街、宇賀野矢を黙らせろ」

「承知致しました」


 四街は返事をするや否や、すぐさま宇賀野矢の腹部に膝の一撃を入れた。宇賀野矢は「げあ」と声をあげてその場に崩れ落ちた。


「ホント、バカだね〜、宇賀野矢」


 華源が嬉しそうに笑う。


「栄生様。恐れながら、我らの任務を語ることは許されておりません。任務中の道すがら、たまたまお会いしたに過ぎませぬ。ご理解の程を、どうか」


 物部は言って、深々と頭を下げた。


「“教導”が蒔絵を探して、どうするの」

「は? なぜそれを……」


 頭を上げた物部は、迷わずに雫石を睨みつけた。


「た、隊長、わ、私、じゃありませんのことよ……」


 物部は怯える雫石の首に手をかけ、一気に締め上げる。


「雫石、貴様、陛下の勅命をなんと心得る?」


 物部は顔色ひとつ変えずに、なおも雫石の首を締めつけた。雫石は爪先立ちになりながら懇願する。


「も、申し訳、ご、ござい……ません。た、隊長……」


 雫石の顔色が変わっていく。紫色の髪をまとめたポニーテールがガクガクと揺れた。


「まあまあ、隊長。そのへんで。死んでしまいますよ」


 四街が爽やかな笑顔で言った。


「この妖剣たちは雫石さんの力ですから。彼女が死んだら消えちゃいます」


 そう言われて、物部はようやく力を緩めた。雫石は胸のあたりを押さえ、苦しそうに咳き込んだ。


「雫石、あの逆変化を始末しろ。俺たちは先に行く。いいな?」


 雫石はしゃがれた声で「ひゃい」と頷いた。

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