肉体転移
さて、そんなエルダー・テイルに、どうして別アカウントでキャラクターを作ったかと言うと、それはアンジェロ(あくまでも今の姿の事である)の凝り性が原因だった。
このエルダー・テイルには、無数のアイテムが存在する。その中でも希少性が高い物をアンジェロは集めていたのだ。
ただし、いくら希少性が高いと言っても、実際の能力や効果がそれに釣り合う物ばかりではないし、装備品の類はーー中には加工し直し、いわゆる打ち直す事で強化出来る物もあったがーーキャラレベルが高くなればいずれ不要になる。アンジェロが集めていたのは、そういう珍しいだけであまり役に立たないか、いずれ不要になるレアアイテムだったのだ。
もちろん、プレイヤーの中には、特定の種類のアイテムだけ集めるという、いわゆる「武器コレクター(突き詰めると、刀コレクターなどさらに特異になる)」や「防具コレクター」なども居たが、大抵のアイテムはクエスト報酬やモンスターからのドロップに加え、生産したりダンジョンやレイドの戦利品など、望めば入手出来る機会はいくらでもある為、アイテム保管庫のデータ容量を食うだけで、使いもしない物をいつまでも保存しておこうなんて人は居なかったのだ。
また、生産に使う材料アイテムなどは、銀行以外でもギルドが管理する倉庫にだって預ける事が出来たし、抱え過ぎた在庫を保存する為に、また別のキャラクターを作るなんて事も必要が無い。
アイテム自体は、ゲームの宅配機能を使うとキャラクター同士でやり取りが可能(一部は出来無い物もある)なので、アンジェロは主に保存役だった。
つまり、アンジェロを倉庫用として別アカウントで作成したのは、プレイヤーの完全な趣味と言って良い。
「でまあ、ついでにと言っては何だけど、こうなったらいっそ、キャラクターも目一杯凝ってみようと思ったんだ」
アンジェロの話によると、キャラクターメイキングの画面で、わざわざ画面を拡大表示にしてから、細部にまでこだわって作成した結果、この様なキャラクターになったという事らしい。
「それって、懲りすぎでしょ」
直継が半分あきれた様に言った。もちろん、彼だって自身のキャラクターに思い入れが無い訳では無かったが、その度合いが桁違いだった。
それにしても、どちらかと言えば可愛らしいキャラ作りが女性キャラクターの大半を占める中で、ここまで美形なキャラクターメイキングに拘るのは、並々ならない感情が伝って来る様だった。
無論、美人というキャラクターなら、三日月同盟のマリエールやヘンリエッタを始め、割と多く見かける事はある。
しかし、この様に美しいキャラクターというのは、あまり例が無い。しかも顔だけでなく、メロンを2つに切って真横に並べた感じの、豊かでしかも下品に見えない形や大きさに整えられた胸に、程良くくびれたウエスト、まろやかな曲線を描くヒップラインなど、全てが絶妙なバランスで形勢されている。いわゆる、アニメなどに影響されたデフォルメさーーアンバランスに胸だけが大きかったり、異様に細いウエストだったりーーが全く無いのだ。
総合的に、これ程までに美しいキャラクターには、おそらくシロエ達も出会った事が無い。
「でも、本当に綺麗ですよね」
ため息混じりにミノリが言った。多少個人的な嗜好もあるのだろうが、まさしく麗人だった。
「これで、中身がオッサンじゃなきゃな」
直継が笑いながら言った。アンジェロの中身ーープレイヤー本人ーーが男性だと知った、ログホライズンのメンバーは、ある意味で安心したりがっかりしていた。別に何かを期待していた訳では無いが、抱き付かれたシロエは、特にげんなりとした表情だった。
アンジェロの中身のプレイヤーは、トライアル(=オープンβテスト)の初日から参加して、さらに正式版のサービス開始日ーープレイヤー全員がレベル1のよーいドン状態ーーからプレイしている、最古参のユーザーだった。年齢的には、にゃん太に近いだろうと思われる。
「まあ、それはあまり言わないでくれると助かる」
アンジェロも笑いながら言った。
「ところで、シロエ君」
アンジェロがシロエに言った。
「はい」
「そもそも、あたしがここに来た理由は、キャラチェンジした原因が知りたいんだ。何か君に心当たりは無い?」
それはシロエも疑問だった。ロエ2のケースもあるとは言え、あれはテストサーバーのセカンドキャラクターだし、シロエと入れ替わった訳でも無い。そもそも、複アカを持つユーザー自体が、ヤマトサーバーにはおそらく他に存在しないだろうし、同一アカウントのセカンドキャラクターと入れ替わったなんて話も、全く聞いた事が無い。
「さあ……。申し訳ありませんが、僕にもさっぱり見当が付きません」
シロエもそう言うしか無かった。
「ただ1つ。あくまでもこれは憶測に過ぎないんですけど……」
眼鏡の位置を直しながらシロエが言った。
「たぶんですが、これはころさんーー今はアンジェロさんかーーがそう願ったからでは無いでしょうか」
「どういう事?」
アンジェロが聞き返した。
「実は……」
シロエは、自分がテストサーバーに作成したセカンドキャラクターが、自我を持って独立した個体として、勝手に活動していた事を話した。
「まあ、この場合はたぶん違うと思うのですがーー意識的にせよ無意識的にせよーー、アンジェロさんがキャラクターチェンジを願った結果だと僕は思います。」
「う~ん……そんな事あったっけかな」
「ですから、例えば夢の中の事であったかも知れません。夢と言うのはその人の意識下の願望が出る事がありますし、目が覚めた時にその全てを覚えている訳ではありませんからね」
「夢……か」
「願った結果が、何らかの力に作用して、こうなったんじゃないかと僕は思います。あくまでも仮説ですけどね」
「それじゃ、また願えば元に戻るのかな」
「それは解りません。何せ、無意識のうちでは本人に制御出来ませんからね」
シロエの仮説が正しいのだとすれば、これが黒狼だけに起きたのも納得が行く。何せ、複アカで別キャラを持っているのは、ヤマトサーバーに関して言えば、おそらくアンジェロだけだからだ。
「なになに~?もしかして、アンジェロさんって変身願望があったって事?ボクみたいにアイドルになって目立ちたかったとかさ~」
てとらがそう言ったが、元の人物を良く知るシロエには、ちょっと想像が出来なかった。
「変身願望かどうかは解りませんが、そういう様な気持ちがあったかも知れないですね」
「う~ん……。そういや、たまには倉庫の方も動かしてみたいな、くらいは考えたかも」
アンジェロはそう言うと、首をかしげながら腕組みをして考えた。
「ただ、断っておくが、決して変態的な願望があった訳では無いぞ?」
そう言ってから、アンジェロは短く「あ……」と言った。
「いけね、まだキャラが変わってからあんまり時間が経ってないんで、男のクセでしゃべってしまった」
アンジェロがそう言うと、みんなが笑った。
「けど、普通キャラチェンジをするには、ゲームを一度ログアウトする必要があるはずです。現在、ログアウトのコマンドは使用不可能になっていますし、どうやってキャラチェンジが行われたかも、僕には解りません。」
そう言うと、シロエは顎に手を当てて考え込んだ。
「……ねえ、ミス・五十鈴。さっきから一体何の話をしているんだい?」
状況がいまいち良く解っていないルディが、五十鈴に聞いた。
「あ、うん。ええとね……。簡単に言うと、心と体が別人になっちゃったって事、かな」
五十鈴が、見事に解りやすくまとめた。
「何だって!?そんな事があるのかい!?」
その説明で、ルディが腰を抜かさんばかりに驚いた。
「いや、あるかどうかって、実際に目の前の人がそうだって言ってるんだけど……」
五十鈴にも、これ以上の説明は出来なかった。
「それじゃ、この目の前に居る見目麗しいレディが、心はどこかのオジサンって事なのかい!?」
「オジサンって……」
五十鈴は苦笑いしたが、本人の話だと確かにそうなる事になる。
「主君、また難しい顔になっているぞ」
不意にアカツキがそう言った。
「まあ、難しい顔にもなるよ。何せ、こんな事は初めてだからね。しかも、全く知らない人に起きた事じゃないし」
顎に手を当てたままで、アカツキにシロエが答えた。
「シロエち」
にゃん太がシロエに話しかけた。
「今考えても解らない事はどうしようもなりませんのにゃ。それよりも、問題はこれからどうするか、では無いかと思いますにゃ」
確かにその通りだった。黒狼としてはこの世界の生活が長くても、アンジェロとしてはまだ1日目なのだ。
それに、いきなり黒狼が消えれば、フレンド登録してあるリストの人達が心配するだろうし、可能な限りで人脈を再構築する必要があると思われた。
「その事なんだけど、実は……」
アンジェロが、少し気まずそうに口を開いた。
「フレンドが0!?」
シロエがそう聞き返すと、アンジェロは黙って頷いた。
「どういう事なんです?それは……?」
レベル90にもなって、フレンドを誰も登録していないなんて人を、シロエは初めて見た。MMORPGである以上、ソロプレイでキャラクターを育てるのには限界がある。パーティーやレイドを組まなければ、まともな経験値が入る様な戦闘はそのうち出来無くなってしまうだろう。一応、ソロでも経験値が入る戦闘は可能だが、それでは成長速度があまりにも違い過ぎる。
なので、キャラクターを効率良く育てる為には、ギルドやフレンドなどの人脈がどうしても必要となるから、誰もフレンド登録していないなんて人は、まず有り得ないのだ。
「それについてはこれから説明しようと思う。でもその前に、みんなに聞きたい事があるんだけど、いい?」
アンジェロがそう言うと、みんな一斉に頷いた。
「では聞くけど、みんなはエルダー・テイルの都市伝説って知ってる?」
「ミス五十鈴、都市伝説……って何だい?」
ルディが五十鈴に聞いた。
「う~ん、昔からの言い伝えとは違う、最近聞かれる様になった噂の事かな」
五十鈴が答えた。
「それじゃあ、あくまでも噂って事かい?」
「そうだね。普通の噂とちょっと違うけど」
都市伝説というのは、日本語特有のあやふやな表現である為、ルディには少し解釈が難しい様だった。
「その中でも、みんなは『伝説の装備』って知ってる?幻想級などの現存するランクの意味じゃなくて、文字通りエルター・テイルで伝説になっている装備アイテムの事ね」
アンジェロが言うのは、存在するけど誰も見た事が無いという、文字通り伝説のアイテムの事だった。エルター・テイルのサービス開始当初から、まことしやかにプレイヤー間で囁かれている噂の1つだ。
「僕は聞いた事だけはあるけど、プレイしてからずっと実物は見た事がありません。そもそも、エルダー・テイルの事で得られる情報の中でも、ずっとその信憑性が疑わしいものですから」
シロエが言った。
「オレも、話だけは聞いた事があるけど、本物は見た事が無いなあ」
直継もシロエと同意見だった。
「にゃん太さんは、どうなんですか?」
セララがにゃん太に訊ねた。
「にゃ。我輩もシロエち達と同じですにゃ」
「ボクも見た事が無いよ。そんな物が本当にあったら、絶対欲しいんだけどな~」
てとらも同意見だった。
「う~ん、シロエ兄達が知らないんじゃ、俺達に解るはずも無いか」
トウヤがそう言った。その言葉にミノリも首を縦に振る。
「わたしも。吟遊詩人として、噂に疎いのは恥だなあ」
五十鈴が、少し笑みを浮かべながら言った。
「フッ、残念だけど僕も知らないなあ」
ルディが、いちいち格好をつけながら言った。
「まあ、そうだろうね。実物を見た人が居たら、SSくらいは流出しているだろうからね」
アンジェロがそう言った。
「え~と、その……ミス・アンジェロ。SSって何の事だい?」
ルディが、ーー女性としてミスを付けて呼ぶかどうかーーとまどいながらアンジェロに訊ねた。
「う~んと、自分の目で見ている事を、すぐその場で絵(=グラフィック)として記録出来る技術、かな。ただし、自分でも見たり誰かに見せたりする方法が(今の状態では)無いんだけど」
彼女がそう説明すると、ルディは「ほお……」という様な顔をした。
「で、まあ。その伝説の武器なんだけど、『ある』って言ったら皆は信じる?」
アンジェロのその言葉に、全員が「え?」という表情で固まった。
「どういう事ですか?アンジェロさん。まさか、それを今あなたが所持してるとでも?」
思わず興奮した口調でシロエが言った。
「マジかよ?伝説だぞ?」
直継も、少し驚きでこわばった顔をして言った。
「すごいすご~い、伝説だよ?ねえ、直継さん、で・ん・せ・つ!!」
てとらが、いつものテンションではしゃいでいる。
「ああ、もう!解ったからいちいちオレに登るな!」
直継の体をよじ登るてとらは、まるで大木を駆け回るリスである。
「まあ、説明するより見せた方が早いかな」
そう言うと、アンジェロは1本の剣を、魔法の鞄から瞬時に具現化して出して見せた。
黒い鞘に納められたそれは、刀身の長さが1m程あり、剣の柄が30cm程あった。アンジェロは片手で鞘を持つと、もう片手で剣の柄をつかんでそのまま引き抜いた。
「こ、これが伝説の武器……!?」
シロエ達は思わず言葉を失った。
鞘から引き抜かれたそれは、剣本体が収められていた鞘よりもなお黒くーー黒と言うよりはーーまるで凝縮した闇の様だった。しかし、その表面はまるで澄んだ水みたいな透明感があり、良く磨かれた鏡の様な美しい光沢に包まれていた。