36.
帝国法に則り、元第三皇妃アイシャは毒杯を賜った。
ということに表向きはなっている。
「昔から甘い子ね、貴女は。そんなところもエリーシアにそっくりだわ。でも一応お礼を言っておくわ」
帝国から少し離れた港から出港する船の前で、アイシャは苦笑しながらそう言った。
「わたくしが甘いのではありませんわ。お礼ならアナベルとイザベルに言ってください」
「娘たちに?」
アイシャに刑が下った時、わたくし宛にアナベルとイザベルから減刑を願う手紙が届いたのだ。
『母をどうか許してほしい。貴女を暗殺しようとしたのは悪いが、慈愛の聖母として国に貢献していたのは本当だ。母がいなくなると、各国との交渉が成り立たない。母は一生自分たちが見張るから、命だけは取らないでほしい』
といったような内容だ。
アナベルとイザベルは皇宮を出た後、外国で貿易会社を立ち上げて、事業が上手くいっているらしい。
国との交渉にはアイシャの力を借りていたようだ。『慈愛の聖母』の行いは各国で名高く、また交渉術にも長けているとのことだった。
ちなみにフェリクスお兄様は、元々研究者としての道を望んでいたらしい。未開の地に赴いている際に現地の女性と恋愛結婚をして、そのまま住み着いたという。
そして、最後にこうつけ加えてあった。
『子供の頃、貴女を池に突き落としたことは謝るわ』
あれはお前らの仕業なんか~い!?
『父の愛情を一心に受けている貴女が羨ましかった』
とも書いてあった。
結局は偏った愛情を子供に向けていた父が悪い。
家族にその手紙を見せると、リュシオンと兄夫婦は渋い顔をしたが、父は一言こう言った。
『アイシャは死んだことにする』
長年顧みなかった子供たちへの一人の父としての愛情だったのかもしれない。
そう説明すると、アイシャは眉尻を下げて微笑む。
「そう。娘たちが貴女に……」
「ああ。アナベルとイザベルに伝えてください。池に落とされた恨みは忘れないわよ。と」
アイシャはくすりと微笑む。あの慈愛に満ちた笑顔で。その瞳には冷たい光は宿っていなかった。
「伝えておくわ。ついでに貴女からのお返しということで、娘たちを海に突き落としておくわ」
いや。海はどうだろう? その辺の池でいいけれど……。
前から思っていたが、アイシャはリュシオンと思考回路が似ている。
「わたくしは……陛下に愛される皇后やエリーシアが羨ましかった」
父は母だけではなく、皇后を愛していたのか。だから、他の皇妃や子供を皇宮から出しても、皇太子であるお兄様だけは残したのね。
「陛下はどれだけの年月が経っても、貴女を探し続けた。そこまで愛されている貴女が羨ましかった。そして憎んだ」
アイシャは遠くの海を見つめている。
「だからと言って、貴女を殺そうとするなんて間違っていたわ」
「……はい」
心から後悔しているアイシャの言葉は心に沁みた。
「どれだけ謝罪してもし切れないわね。ごめんなさい」
アイシャは深く頭を下げた。
「顔を上げてください。アイシャ様」
ゆっくりとアイシャは顔を上げる。
「今後は『慈愛の生母』に相応しい生き方をしてください。それがわたくしから貴女に課す罰です」
わたくしがにっこりと微笑むと、彼女も微笑んでカーテシーをする。
「謹んでお受けいたします。セシリア皇女殿下」
そして、アイシャはリュシオンに視線を移す。
「シルヴァード公爵。貴方には最後まで敵いませんでしたね」
リュシオンは苦笑する。
「そんなことはありませんよ。貴女も相当な女狸だ。今後も強かに生きていってください」
「そういうところは嫌いですが、セシリアを大切にしている貴方は好きですよ」
「貴女に好かれたくはないですがね」
二人は互いに貶しあいながらも笑っている。
やっぱり似た者同士だ。
船から鐘の音が鳴る。出航の合図だ。
「遠くの国からこの帝国を娘たちと支えます! お元気で!」
桟橋から手を振って、アイシャはそう叫ぶ。
船が水平線の向こうへ向かって小さくなるまで、わたくしは見送っていた。
日に照らされた海はどこまでも穏やかに輝いている。
願わくばアイシャが「誰かのために生きる人生」を歩めますように――。
「さあ、セシル。帰ろう」
「はい」
リュシオンが差し出した手に自分の手を重ねる。
「奥様!」
そこへテレサがぬっと現れた。
「ひゃっ! テ、テレサ!? ビックリしたわ!」
「ビックリしたわではありません。本日こそ!」
ビシッと指を突きつける。
「初夜の完遂をお願いいたします!」
なっ! こんな場所で何を言ってるんだ!?
「これまで何度初夜未遂を起こしたと思われますか? 私ども侍女はもう限界です!」
「貴女たちの問題なの!?」
「重大な問題です! ですからすべてが片付いた今日こそ絶好の初夜日和です!」
初夜日和って何だ!?
リュシオンが喉の奥で小さく笑う。
「確かに随分と邪魔が入ったね」
「貴方まで何を仰っているの!?」
「このまま旅に出ようか?」
「は?」
リュシオンはわたくしの耳元でそっと囁く。
「そうすれば誰にも邪魔されない」
ぞくりと背筋が震える。
「ねえ、セシル。愛しているよ」
本当に愛が重い人だ。でも、こんなに大切にしてくれる人はいないだろう。
「……わたくしも……愛していますわ」
ぼそりと呟くと、リュシオンが目を見開く。
「もう一度……もう一度言って!」
「もう言いません!」
嬉しそうに微笑むと、リュシオンはわたくしを抱きあげて、くるくると回る。
「きゃあ! 目が回りますわ!」
「セシル、愛しているよ!」
横目でテレサがガッツポーズをしているのが見える。
愛の重いわたくしの旦那様リュシオンと父と兄夫婦と、騒がしくも楽しい毎日をこれからも過ごしていくのだろう。
でも、それでいい。
ここがわたくしの場所なのだから――。
これにて完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました。




