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第四話:蔓

 梨沙は静かに自分のスマホを取り出すと、その画面を真由美の目の前に突きつけた。


 そこに映し出されていたのは、かつて真由美が梨沙から裕太を略奪するために、友人と裏で交わしていた醜悪な作戦会議の記録だった。


『梨沙のくせに、裕太くんみたいなイケメン捕まえたの納得いかないんだけど』

『じゃあさ、その彼を酔わせて、妊娠したって嘘言えばいいんじゃない?』

『え、どうやって?』

『そんなの簡単だよ。そのあと適当に既成事実作っちゃえば、男なんてみんなバカばっかりだから絶対に分かんないって』


 事細かに、そして冷徹に、裕太をハメるための手順が語られていた。


「……っ!」


 真由美が、まるで苦虫を噛み潰したような歪んだ表情で梨沙を睨みつける。


「なんで……梨沙、今さら……っ」


 梨沙はゆっくりと真由美に近づくと、その冷え切った視線で見据えた。


「復讐……。私からゆうくんを奪った、あなたへの最大の復讐。幸せの絶頂から、奈落の底へと叩き落とすためのね」


 膝をついたまま、裕太は真由美を仰ぎ見た。


「俺の、この6年間は……一体何だったんだよ。俺は、何のために梨沙と別れて……!」


 真由美の肩を揺さぶる裕太の姿を見つめながら、梨沙は嘲笑うように言葉を重ねる。


「真由美。でも私、こんなに待ってあげたんだよ? 優しいでしょ?」


「アンタねぇ……!」


 真由美が梨沙をキリキリと睨みつけた。その横から、高田弁護士が困惑した声を挟む。


「……奥様。この画像が真実か否かは精査が必要ですが、もし事実であれば、旦那様、および加藤様から奥様への慰謝料請求、ならびに婚姻の取消すら可能になります。そうなると、奥様のお立場としては非常に……」


 弁護士の言葉の途中で、真由美は糸が切れた人形のように、その場に膝から崩れ落ちた。


「いつも、いつも梨沙ばっかり……。鈍臭くて、こんなにトロいくせに……なんでいつも、アンタばっかり……っ」


 激しく咽び泣く真由美の肩へ、梨沙がそっと、慈しむように手を置いた。


「真由美。もう私とゆうくんに、二度と近づかないで」


 言い捨てると同時に、梨沙は裕太の手を力強く引いた。そのまま、二人は荒れ狂う部屋を飛び出した。


「――待ちなさいっ!」


 背後で真由美の絶叫と、それを引き留める弁護士の怒声が遠ざかっていく。しかし、その言葉はもう、二人の耳には届かなかった。


 マンションの外に出ると、季節外れの激しい雨が世界を白く染めていた。

 行く宛てもなく、ただ夜の雨の中を走り続けた二人は、やがて人気のない夜の公園へとたどり着いた。

 藤の蔓《ツル》が重なり合って天井を作る、薄暗いパーゴラの下。雨を凌ぐように、二人は濡れたベンチへ腰をかけた。


「あはは……っ!」


 梨沙が、堰を切ったように大きく笑った。その瞳には、雨か涙か分からない雫が光っている。


「もうあのマンション、引っ越そうかな」


「……梨沙。これからどうするつもりなんだよ。……俺たち……」


「ゆうくん。もう、いいじゃん。私と一緒にいよ?」


 梨沙が裕太の濡れた頬を両手で包み込み、その艶やかな唇を近づける。


「梨沙、でも……俺には子供が……」


「ゆうくん。私と別れたあの日のこと、覚えてる?」


「……うん、覚えてる。子供ができたから別れてくれって真由美に言われて……。でも、あの夜のこと、真由美と何かあったのか本当に何も記憶がなくて……っ!」


 激しい後悔を吐き出す裕太の声を遮るように、梨沙は着ていたシャツのボタンを外し、その胸元をゆっくりとめくりあげた。


「……うん。ゆうくんは優しいから、責任、取るんだよね?」


「……え?」


 梨沙の瞳が、暗闇の中で妖しく濡れて光った。


「……できた……みたい」


 その瞬間、裕太の思考は完全に停止した。

 白く濁る頭のなかで、もう何も考えることができなかった。


 吸い寄せられるように、梨沙の唇を受け止めた。

 梨沙の両手が、逃がさないと言わんばかりに裕太の首に絡みつく。


 もう止まれない。

 止まれるはずがなかった。

 裕太は雨に濡れて張り付いた服の上から、梨沙の身体を激しく貪った。


「……んっ……」


 ピクンと、梨沙の身体が歓喜に小刻みに震える。梨沙の指先が裕太の胸元を優しく這い、その最も熱い中心を捉え、じっくりと指先を絡めていく。


「梨沙……梨沙っ……!」

「……うん、ゆうくん……」


 藤の蔓《ツル》を伝って落ちる無数の雨の雫が、重なり合う二人を包み込んでいく。

 お互いの肌を濡らしているのが、冷たい雨なのか、それとも燃え盛る欲望なのか、その境界線すらもう分からなくなっていた。


 激しい雨音のなか、二人の吐息だけが熱く重なり合い、過去の因縁を塗りつぶしていく。執着と後悔が入り混じる暗闇のなかで、ただ互いの存在だけを強く確かめ合うように、深く抱きしめていった。


「……ねぇ、ゆうくん。私と、どこまでもいこうね?」


 耳元で囁かれる梨沙の静かな声は、どこまでも甘く、そして世界の何よりも冷たかった。


「……うん」


 二人が向かう先は、失った過去の奪還か。それとも、二度と抜け出せない、新たな地獄の始まりか――。

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