第一話:蕾
夏の終わり。
デパート三階のフードコートは、休日を楽しむ家族連れでごった返していた。
松下裕太もまた、その喧騒の中にいた。さながら「家族サービス」の真っ最中といった体で、手には大量の買い物袋を下げ、片手でショッピングカートを押している。
「パパ、みくがお手洗い行きたいっていうから行ってくるね。ついでにりょうちゃんのオムツも換えておくわ」
そう言ったのは妻の真由美だ。長女のみくの手を引き、ベビーカーに乗った赤ん坊のりょうたを押している。
「りょうのオムツなら俺が代えてこようか?」
「いいわ、その荷物を見ていて。すぐ戻るから」
「ん、わかった。じゃあここで待ってる」
フードコートの端にある小さめのベンチに、裕太は腰を下ろした。退屈しのぎにポケットからスマホを取り出し、ネットニュースを追う。
その時だった。スマホの画面越しに、すっと誰かが前に立った。
「ゆうくん? 久しぶりじゃない?」
不意に降ってきた声に顔を上げると、そこにいたのは大学時代の元カノ、加藤梨沙だった。
「え、梨沙……!?」
裕太は驚き、思わず辺りをキョロキョロと見回してからトイレの方を振り返った。
「なんでこんなところに?」
「それは先に声をかけた私のセリフだと思うけど」
「そりゃそうか。俺は、これ」
裕太が苦笑いしながらカートと買い物袋に視線を落とすと、梨沙の表情がわずかに曇った。
「あー……なるほどね」
一瞬の間を置き、梨沙は思い出したように言った。
「ゆうくんさ、連絡先変わったから同窓会の連絡がいってないんじゃない?」
「同窓会……かぁ。来てないけど、まあ俺はいいかな」
「洸平とか、みなみとか、県外に行った子たちも帰ってくるって? あーちゃんや、みっちゃんも」
懐かしい名前に、裕太の心が小さく揺れる。
「でもなぁ……」
「あら、結婚してる人も来るんだからみんな一緒よ」
「うん……」
「じゃあ、また連絡するから連絡先教えて」
「分かった。でも、名前は変えておくよ」
「私の名前?」
「うん」
「権兵衛とかに?」
「なんで権兵衛なんだよ」
ふたりは顔を見合わせて笑い合った。あの頃と同じ空気感が、一瞬で蘇る。
「パパ、お待たせ! りょうちゃん、オムツの中がすごかったの。あ、みく、じっとして! 勝手にウロウロしちゃダメ!」
妻たちの帰ってくる声に、裕太は慌ててスマホをポケットに押し込んだ。だが、真由美の鋭い視線はその一連の動作を見逃さなかった。
「パパ、どうかしたの?」
「あ、いや……この後雨が降るみたいだから、少し早めに帰ろうか」
「そう。分かった」
帰宅してからも、裕太の心はどこか浮ついていた。
真由美と結婚し、二人の子供に恵まれ、親の援助を受けて手に入れた念願のマイホーム。会社からは少し遠いが、なにひとつ不満のない幸せな生活だ。
それなのに、同窓会のニュースと、何より梨沙と連絡先を交換したという事実に、胸の奥が怪しく跳ねていた。
子どもたちを寝かしつけ、真由美が風呂に入ったタイミングで、スマホが震えた。
『今、大丈夫そ?』
差出人は「権兵衛」だ。
『少しだけなら』
『今日は久しぶりに会えて嬉しかった』
『どういう意味?』
『他意はないよ。ゆうくん、大学やめてから全然会ってなかったから』
『仕方ないだろ』
『うん』
『洸平たち元気にしてるの? 連絡先教えてよ。久しぶりに話したくて』
少しだけ、返信の間が空く。
『どうやって共有するのかわかんない><』
すかさず送られてくる、少し甘えたようなごめんねスタンプ。
『そっか。そういうの苦手だったもんな』
『ゆうくん変わらないね』
『そんなことないよ。太ったし』
『ううん。あの頃のまま』
『あの頃』という言葉に、裕太の心臓がどきりと跳ねた。
『かっこよかった』
その時、ドライヤーを手にした真由美が寝室に入ってきた。裕太は跳ね起きるようにスマホを隠し、ベッドから立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ちょっと……トイレ」
「そう……」
真由美の冷ややかな視線を背中に浴びながら、裕太はトイレに駆け込み、画面に指を走らせた。
『同窓会の話だよね』
『うん』
『日取りとか決まってるの?』
『ゆうくん、いつ空いてる?』
『うーん、基本は土日かな』
『今週の土曜日、大丈夫そ?』
可愛いスタンプが添えられている。
『今週? 早いな』
また少し、間が空く。
『洸平たちも早い方がいいって。またすぐ県外に戻らないといけないから』
『そうか。分かった。じゃあそろそろ寝るね』
『うん、じゃあね』
最後に送られてきたのは、昔、裕太が彼女にプレゼントした有料スタンプだった。思わず口元が緩むのを抑えられない。
それからは、毎日のように隙を見つけてはメッセージを重ねた。
そして金曜日の夕方。帰宅した裕太は、努めて平然を装い真由美に告げた。
「急なんだけど、明日ご飯いらなくなったんだ」
「え? なんで?」
「同窓会なんだよ。急に決まっちゃって」
「……」
真由美の、食器を運ぶ手がピタリと止まる。
「違うよ! 男だけ。男しかいないから」
真由美がじっと裕太の顔を覗き込む。
「ほんとに?」
「真由美は疑り深いな。本当だよ。ちゃんとお土産買ってくるからさ」
「……じゃあ何時に帰ってくるの?」
「24時までには帰るよ。二次会があってもそれくらいだし。次の日はみくやりょうたとお出かけだしね」
「……分かった」
翌日。
裕太は待ち合わせ場所に少し早く着いた。
「洸平たち、どこにいるんだろうな」
周りを見渡しても、それらしい姿はない。
少し遅れて現れたのは、梨沙だった。
「……おう。まだ誰も来てないみたい。今は俺たちだけみたいだけど」
「来ないよ」
「え?」
「みんな、来ないって」
「……そうか。じゃあ、俺帰るわ」
裕太が背を向けた、その瞬間。
背中に、柔らかく温かい重みがしがみついてきた。梨沙が後ろから強く抱きついていた。
「やろうよ、同窓会」
「……お前、分かってんだろ? 俺には妻も子供も――」
「分かってるよ! 一緒じゃん……私だって同級生なんだから、二人だって同窓会だよ」
振り向いた裕太を見上げる梨沙の瞳は、裕太の心を揺さぶるように潤んでいた。




