最終話 些細な悪戯
暫くテティスの顔を見なかったことで、少しは未練が薄れかけていたゼウスだが、その気持ちを掻き立てる便りが耳に入った。
テティスの婚儀が決まったと言うのだ。
「ええい。落ち着かぬ。この気持ち、どうすればよいのか……」
ゼウスは席を立ったり座ったりを繰り返す。
それでも落ち着くわけがなく、気を紛らわせようと部屋を出ようとした所に、一羽の天使が舞い込んで来た。
「何事だ?」
「ゼウス様に、お届け物です」
「届け物だと?」
「はい。ネレウス様より、その娘テティス様の婚儀の招待状です」
よく見ると、天使は封筒の束を小脇に抱えている。
その束の中から一通を選び出し、ゼウスの前で片膝を突いてしゃがんで少し顔を伏せた状態で選び出した封筒を差し出す。
当然の如くゼウスの顔は不機嫌極まりない。
「ネレウスめ、何をぬけぬけと。この我にテティスの婚儀に出席せよと? このゼウスの気持ちを逆撫でするつもりか?」
ここが外ならば、落雷の一つや二つありそうなほどに、ゼウスの怒りが天使にもひしひしと伝わって来る。
ゼウスとテティスの事の次第は天使達の間でも周知であった。
「ゼウス様、受け取りをお願い致します」
なかなか受け取らないゼウスに、天使が催促する。
「これより先、まだまだ他の神々を廻らねばなりませんので」
「分かっておる。この我が天使の邪魔をしたとあっては笑い者にしかならぬからな」
ゼウスは奪い取るように招待状を受け取った。
「では」
口ではああいってはいるものの、これ以上何かあってはと、天使も礼を残して立ち上がり、そそくさとその場を退席しようとするが、
「暫し待て」
案の定なのかゼウスが呼び止める。
「お前が持つ招待状を見せてみよ」
「招待状を? いえ、これは……」
「何も中を見せよと申している訳ではない。誰が呼ばれておるか、知りたいだけだ。急ぐのであろう? さあ、早く」
見せるだけならばと、遅れる訳にもいかず、天使は招待状を渋々ゼウスに渡す。
言い出した割には関心がなさそうに一枚一枚招待状の宛名を見て行くゼウスの手が、一枚の招待状の宛名を見て止まる。
「ほう」
その一枚を手元に残し、残りの招待状を天使に返す。
「ゼウス様、その一枚もお返しを」
「いや、これは我が直に渡しておいてやろう」
「それはなりません。この天使ラミエル、その名に懸けてこの手で必ずや全ての神々に渡すとネレウス様にお誓いしましたので」
「我の言う事が訊けぬと?」
「いえ、そう言う事では……」
「誰が渡したとて同じ事。ネレウスに分かりはせぬ。それとも、このゼウスが信用できぬか?」
「滅相も御座いません」
そこまで言われてしまっては全知全能たる神であるゼウスに反論も出来ず、ラミエルは断腸の思いでその一通をゼウスに託し、後ろ髪を引かれつつ、部屋を後にした。
「全く、ネレウスめ。このゼウスの気持ちを知りながら、どう云うつもりで招待状などを。こんな物」
招待状を持つゼウスの手が激しく閃き、放電を始めると、招待状は炎に包まれ、一瞬にして灰と化した。
「ん? おっと、これは我としたことが。今燃やしたのはラミエルから預かった方の招待状ではないか」
そう言うゼウスが見せる笑みは、明らかに意図的だと告げていた。
「無くなったものは仕方がないのお。ネレウス、ラミエル、悪く思うなよ」
その所業、一瞬見せた悪辣な笑みは、神と云うよりは寧ろ悪魔。
それをゼウスは知っていただろうか。
その上、些細な事だと思ってやったことが、この先に神々を二分して巻き起こる大きな戦争を引き起こす事になることを……。




