第一話 テティス
遙か昔、神々が居るとされていた時代。
ギリシャ神話で語り継がれているオリンポスの神々の中でも最高神とされ、全知全能の神と名を馳せる神が居た。
名をゼウス。
その力、肩を並べる者は居らず、多くの神の、いや、全ての生きとし生けるものの父とされた。
ただ、神の中の神であるゼウスにも、弱い物があった。
それは美しい女神だ。
数々の女神に魅了され、その力で自分の物として来た。
その結果数々の神の子が……そういう意味でも神々の父であったのかもしれない。
そしてまた、魅了されてしまった女神が一神。
「お止め下さい、ゼウス様」
「硬い事を云うでない、テティスよ」
神々が住まうギリシャのオリンポス山の泉の畔で、全知全能の神ゼウスが、軽やかに駆ける一神の美しい女神の後を嬉しそうに追っていた。
女神の名はテティス、海神ネレウスの娘である。
またゼウスに見初められた女神が一神。
いつもの話、そうなるはずだったが、この度はそう簡単にいかなかった。
テティスの足が突然止まった。目の前には、空を覆わんばかりの大きな影が行く手を塞いでいた。
「ポセイドン様……」
見下げているその影は、海の神々を束ねる海王神ポセイドンであった。
「兄上、これは如何なる事か?」
「如何とは?」
「テティスとは、私の妻となるとネレウスから申し出を受けておるのですぞ。それを━━」
「それがどうしたと申すのだ? いつもの事ではないか」
「そうです。いつもいつも、そうやって兄上は自分の思い通りにしてこられた。ただ、此度だけは譲れませぬ」
「ほう、面白い。この全知全能の神たる儂に楯突こうと申すか?」
今までも同じようなことがあった。ただ、これまでのポセイドン同様、皆見て見ぬふりをして来た。
「儂に楯突けばどうなるか分かってのことであろうな?」
「兄上こそ、私の力を過小評価しておると痛い目を見ることになりますぞ」
「ほう、申すではないか。どう痛い目を見ると申すのか、やってみるがいい」
今まで雲一つなかった空に急に暗雲が垂れ込め、徐々に空を埋め尽くして行く。
全てを埋め尽くすのに、そう時間は掛からなかった。
空を埋め尽くした暗雲のあちらこちらで雷鳴が轟く。
全知全能とは別の雷神の名を持つゼウスの所業か。
雷に留まらず、雨も降りだし、徐々に風も吹き出す。
こちらは海神たるポセイドンの所業か。
ゼウスとポセイドンは向かい合ったままその場を動かなかったが、天候は更に悪くなる。
ただ、ゼウスとポセイドン、そしてテティスの周りだけは雷や雨風が降り注ぐ事はなかった。
「ゼウス様も、ポセイドン様も、お止め下さい!」
少し体を震わせているテティスが声を振り絞って叫ぶが、ゼウスとポセイドンは向かい合ったまま動かない。
幾分の時間が過ぎたか。
短かったのか、長かったのか、それさえも分からないほどの緊迫した時間が過ぎた。
そこに、
「父上、叔父上、お止め下さい!」




