6.嘘まみれの迷宮
クロリスから走って五分ほどしたところにあるダンジョン。以前俺と桜が入ったダンジョンとは格が違う危険度で、最深部は八階層まである。
と、そんな危険な場所にレミアが現れたと聞いて俺達は駆けつけたわけだが……。
「はぁ……はぁ……!」
「大丈夫? アキラ」
あ、あいつら足速ぇ……! 桜も余裕そうだし、なんなんだこいつら化け物か?
三人がダンジョンの中に入る。
もうちょっと休憩してくれても……まあいいや。
「よし、桜。俺達も行こう」
椿にバレないよう、少し間をおいてから静かに中に入る。ダンジョンには大抵、数人の受付や何かあったときのためのお助け用冒険者がいるはずだが……。
「……ひでぇな。こりゃあ」
全員、血を流して倒れていた。外傷はさっきの二人に比べたらかなり少ないが、もう死んでるだろう。
桜がヒッと短く悲鳴を上げた。俺は持ってきたチョコを手渡す。
「これ食ってろ。少しは楽になるだろ。それとも先に帰るか?」
桜は静かに首を振ってチョコを受け取った。
負けん気は十分って感じだな。できれば素直に帰ってほしかったんだが……言って聞くやつじゃないだろう。それに、もし仮に桜の潜在能力が開放したら……。物凄い戦力になる。賭けではあるが……。
と、俺達がほんの少し立ち止まっている間に、椿達三人はどんどん先へ進んでいく。
地面には血痕と獣の足跡が奥へ続いている。おそらくそれを追っているんだろう。変にはぐれないように俺達も急いで後を追う。
流石に一階層程度では何の苦戦もしないようだ。敵などいないかのように、飛び出してきたモンスターを瞬殺して進んでいる。そんなに間を空けず走ってるので俺達に襲いかかるモンスターもいない。
そうして三階層まで降りたとき、ついに異変は起こった。話に聞いていた、オルトロスが現れたのだ。それもかなりの巨体だ。通常の大きさを遥かに超えていて、息をするたびに魔力が漏れ出している。
四か五階層に出てもおかしくないほどの規模。これが三階層で現れるとは明らかにおかしい。
椿達もそう確信したようで、足を止めて気を引き締めていた。その佇まいから、周囲にとてつもない警戒網を張ってるのがわかる。
……ちょっと離れた方がいいかな。尾行がバレそう。
俺は桜を連れて数メートル離れた角に隠れて様子を伺った。先制を仕掛けたのはオルトロス。三人に向かって勢いよく突撃し、空間を引き裂くように素早く足を振った。椿達は横に転がって攻撃を避ける。オルトロスの爪は壁を豆腐のようにえぐっていた。
「ふう……。巨体の割に素早いな」
椿はニヤリと笑って、長刀を抜いた。
日本刀の形をしたそれは、ハバキ部分に魔力石が埋め込まれており、刃は魔力を伝える特殊な金属で作られている。使い手の放つ魔力は魔力石によりその属性を確立し補助及び強化を施した上で、刀身へと伝わる。魔力を帯びた刀は真剣を遥かに凌駕する破壊力を持つ。
椿の持つ刀は、名を雅と呼び世界に一本しかない名刀である。
「さあ、来てみろ」
「「グルルルァァァァ!!」」
椿が挑発すると、オルトロスの二つの頭は一帯が揺れるほどの唸り声を上げ突撃した。鎌のような牙と爪を剥き出しにして、ひたすらに襲いかかる。
だが、椿の方が一歩上だろう。やつの猛攻を最小限の動きだけで完璧に避けている。
どっちも物凄い速度だ。俺があの中に乱入したら、一瞬で粉々になってしまうだろう。
永遠にも続くかのように思われた一瞬の攻防は椿の背中が壁についたことで終わりを迎えた。これ以上は後ろに下がれない。オルトロスも椿の逃げ道がこれ以上ないことを悟ったのか、毛を逆立て覆い被さるように襲いかかった──が、その瞬間。
光。
雅の刀身に炎が宿り、ダンジョン内が赤く照らされる。椿はその刀でオルトロスの牙を受け止める。
「ふっ!」
椿が息を吐くのと同時に、今度は刀身から炎が噴き出す。オルトロスはそれに飲み込まれないように咄嗟に距離を取る。
「次はこっちの番だ」
一度噴き上がった炎は、逆再生のように雅へと吸収されていき、その度に刀身は金色に光り輝いていく。
ついには火の粉すら消えて、眩く光る雅を居合のように構える。そうして再び、オルトロスが飛び上がった瞬間──
一閃!
椿の振るった太刀筋に沿って爆発するように炎が噴き出す。扇形のそれは鋭く走り、一瞬でオルトロスの腹を貫通した。
「「ギャアアアア!」」
悲鳴を上げて落ちるオルトロスに素早く接近し、今度は炎を纏った刀で左の頭を斬り落とす。
怒ったオルトロスが暴れ回るように足を振るが、それを簡単に跳ね除けると、ついには止めを刺した。
やつの巨体を下から蹴り上げ、縦半分に真っ二つ。椿の両隣に半身が落ちる。血のシャワーを浴びながら、椿は華麗に刀を収めた。
「「おぉ〜!」」
同行していた二人、アイビスと結衣はすっかり感心したように椿に拍手を送った。
椿は照れくさそうに頬をかく。
「や、やめてくれ……。このくらい普通だ」
普通、かあ……。こちとらあまりの迫力に正直ちびりそうだったんですが。
「おそらくは今のが件のオルトロスだろうが……レミアがいないな」
アイビスが頷く。
「奴はモンスターを操る。もっと下の階にいるのかも」
結衣が首を傾げた。
「でも、目的はなんですかね」
「普通に考えれば魔眼を手に入れることだろうな。ただ、やつの実力でこのダンジョンを攻略できるとは思えない」
「まあなんにせよ、捕まえといて損はないでしょ」
三人はしばらく話をした後、考えがまとまったようで更に先へ行く。
「おい桜、俺達も行こう。……桜?」
肩を叩いても反応がないので、後ろを振り返ると、そこには全身緑のモンスターがいた。体は人間に近く、一メートルほど。禿頭で歯は牙のように鋭く、耳は尖っている。テニスボールほどの巨大な瞳が赤く光りギョロギョロと動いている。
ゴブリンだ。
全体的に見れば対して強くはないが、初期ステの俺達にとっては十分強敵だ。
まずい。なんとかして逃げるしかない。
俺が一歩下がったのと同時、桜が堂々と前に出た。
「私に任せて」
杖の先に炎が灯る。
ゴブリンが飛び出した。が、桜の方が速い。杖をゴブリンに向けて魔法を放った。
「インフェルノー!」
杖の先から炎が放出される。爆発的に広がったそれは、数メートル離れていても肌が焼けるような熱を持っており、一瞬でゴブリンを飲み込むと悲鳴を上げる間もなく消し炭にした。
あ、ありえない。桜のやつ。いつの間に中級魔法を……?
「ふふん。実はあれからちょっと特訓してたんだよね」
特訓? あれからまだ三日。たった三日でここまで強くなったのか? なんつー化け物だよ。
と、俺が思いっきり絶句しているのを見て、桜はニヤリと笑った。
「ふーん。もしかしてザコのアキラは今のでびっくりして声が出せないのかな? すっごい間抜け面だよ?」
「ち、ちちちち違うわ!」
「あはは、同様しすぎ〜」
ま、まあ驚きはしたが、これはむしろ良い知らせだ。まだまだ椿達には遠く及ばないが、ここまでの強さがあれば下手な危険に陥ることも早々ないだろう。よし、早速椿達の後を追おう。
煽ってくる桜をいなして、俺は角を曲がり──
「……いない」
ソウデスヨネー。
ゴブリンに時間を取られたせいで完全に見失った。
血の跡も爪の跡もない。これじゃあどこに行ったのかもわからない。
原作にない出来事の数々。俺の知らないところで何か異常が起きてるのは明らかだ。見失ったからといって諦めて帰るという選択肢はない。
「桜、ちょっと急ぐぞ」
「え?」
桜が瞬殺してくれたおかげで、ゴブリンにかけた時間はほんのわずか。そう遠くには行ってないはず。急げばまだ追いつけるはずだ。
桜と共に、さっきよりもずっと速く走る。途中途中で分かれ道に差し掛かるが、全ては運任せで進んでいく。
そうして走っているうちに、ついに戦闘音が耳に届いてきた。モンスターのうめき声と鈍い金属音。
間違いない。椿が剣で戦っている音だ。残った体力を絞り出して、音の鳴る方へ全速力で走る。三階層程度の敵なら何体いようが椿なら片付けるのに時間はかからない。とにかくこの一瞬がチャンスだ。
最後の曲がり道を勢いよく曲がり、隠れてついてきたことを忘れて声をかけてしまった。
「椿!」
あ、やべ。
慌てて曲がり角に身を隠す。
一瞬しか見えなかったが、モンスターの死体のそばに髪の長い女が立っていた。
うずくまって目をつぶり、天に祈りを捧げる。
バレてませんように……!
だが、その願いも虚しく肩を掴まれる。
俺は恐る恐る顔を上げて──
「やっ、アキラ君。また会ったね。何してんの?」
表情を変えないまま手を上げるアスターがいた。
……これぞ運命。
………………
アスター曰く、先日の親オーガ相手に敗走したのが悔しかったので、特訓のためこのダンジョンに潜っていたらしい。
俺も俺で、クロリスで起きたこと、ここに来た経緯を説明する。アスターは何を言わず、ただ静かに話を聞いていた。
「……ってわけなんだけど」
「ふーん」
話終わると、アスターは途端に興味をなくしたように歩き出す。
「お、おい。どこに……」
「どこにって、私の勝手でしょ?」
「そりゃそーだけど」
「もしかして、私にその裏切り者探しを手伝ってほしいの?」
「うっ……」
そりゃあ正直、アスターほどの実力者がいれば助かる。これ以上先は俺と桜の二人じゃかなり苦しい。
図星をつかれた俺を見て、アスターは言った。
「まあ安心しなよ。そのレミアとかいうやつ、もし会ったら倒しといてあげる」
「いや……」
「……うーん」
アスターは首を傾げる。
「わからないな。どうして君がそんなに必死なの?」
「は?」
「こないだはそこの……」
チラリと桜を見やる。
「彼女は君の妹だったからでしょ。でも今回は、なんだっけ……椿って女性は君となんの関わりもないんでしょう?」
そう言われればその通りだ。実力も何もない俺が椿のために動く義理は側から見たら何一つない。
これはただ、ヒロインを助けたいという俺の自己満足でしかない。でもそれは、ブーケファンの俺にとっては譲れないものでもある。
……それに。
アスターが魔王に堕ちた後、多くの冒険者達が魔法協会を裏切って魔王側についた。レミアは本来、そのときに裏切った一人にすぎないのだ。
だから本来のタイミングとは、大きなズレができている。これが何を意味しているのかはまだ検討もつかないが、アスターにとって何か良くないことが起こっているのではないかという嫌な予感がしている。
しかし、それを正直に言うわけにもいかない。
なんと答えるべきか悩む俺をおいて、アスターはつまらなさそうに言った。
「そういうの面白くないよ」
「え?」
「見ず知らずの人のために命をかけるとか、そういう暑苦しいの。私好きじゃないな」
そう言うと、「じゃあね」と手を振って歩き出した。どことなく寂しげに見えるその背中に、俺はつい声を上げてしまう。
「嘘つけよ」
「…………」
ピクリ、とアスターの肩が震えた。
「じゃあなんであのとき、俺達を助けた? 見ず知らずの他人だったろ」
「何が言いたいのかな」
「素直じゃないなってな。まあそこがまた一段と可愛いところではあるんだが。冷たく振る舞ってはいるが、実際のところお前は優しい。まあそこがまた一段と可愛いところではあるんだが(二回目)」
「なにそれ。私のこと、ずいずん知った風に言うんだね」
「へへっ、そうですかねぇ? あざすっ」
「なんで照れてるの……?」
推しに褒められた。嬉しっ。
「優しいとか素直じゃないとか、さっきから意味がわからない」
「嘘つけわかってるだろ。アスターお前、ここに本当は何しに来た?」
「…………は?」
「だっておかしいだろ。アスターほどの実力者が今更三階層程度でつまずくわけがない。まして特訓のために来たなら、とっとと先に進むはずだ。つまり、このダンジョンに来たのは俺達とそう変わらないタイミング。そしたら必ず見たはずだ。入り口にある受付や冒険者達の死体を」
アスターが固まる。
「あんなもん見て普通ほっとくか? 何があったのかぐらい気になるだろ。でもお前、俺の話を聞いたときまるで、何もかも初めて聞いたみたいなリアクションだったよな? 知ってて知らないフリをしたんじゃないのか。お前もあのとき、クロリスにいたんだろ」
「なるほどね……」
アスターは観念したように肩をすくめた。
「まあ、当たりかな……。半分はね」
「半分?」
「クロリスにいて、君より早くここに来たのは正解。でも別に善意じゃない。そんなこと、私はしない。ただ興味があっただけだよ。裏切り者さんにね」
「あぁ、そう……」
まあアスターが見ず知らずの他人の敵討ちのためにダンジョンに乗り込んだりするのは想像できないし、嘘ではないだろう。
……しかし、これは不味いことになったな。
正直言って、今言った俺の推理には大きな穴があった。だから自分でも、確証のないまま話したわけだが……。
「一つ聞いていいか?」
「まだ何か?」
「アスター、ここまでどうやって来た? 入り口から血痕や爪の跡を追ってここまで?」
アスターは怪訝な顔をすると首を傾げて答える。
「なにそれ。そんなのなかったけど。私はただ、適当にダンジョンを進んでただけだよ」
やはり、か。血痕や爪の跡はオルトロスがいたとこでぴったり消えていた。つまり奴はあそこで誰かが来るのを待っていたことになる。だがそれはおかしい。
ダンジョンに侵入した順番はおそらくアスター、椿、俺だろう。その通りに行くのならオルトロスくらいアスターが先に倒していたはずだ。しかし奴は椿達が到着するまで無事だった。
つまり、あの道標はアスターがダンジョンに侵入して、続いて椿達が侵入するまでの、短い時間に誰かが後付けしたことになる。
問題は誰が糸を引いていて、誰が狙いなのか……。
幸か不幸か、アスターではないらしい。
クロリスでダンジョンに行くと宣言したのは椿達三人しかいない。つまり、敵の狙いはあの三人の誰か。
そして黒幕は……最も可能性が高いのはクロリスに逃げ込んできたあの黒髪の女性。彼女だ。