4章 蟹の星5―加護のキャパオーバー―
港で待つこと数時間。予定よりも遅い時間にベンスが指揮する船が戻ってきた。船から降りるベンスの姿にタルフとサダルは駆け寄った。ベンスは蟹の神キャンサーに肩に担がれてぐったりとしていたのだ。
「お兄ちゃん!」
「ベンスさん!」
二人にキャンサーは手を前に出して制止した。二人はその場に立ち止まる。
「他のモンは全員積み下ろしの作業やで」
他の人に指示を出してキャンサーは二人についてくるように顔で方向を示した。二人が無言で頷くとキャンサーはベンスを肩に担ぎ歩き出した。
蟹の神の家は少し広めだが、一般の家と大して変わりはない。元々質素な生活が性に合っているせいだろう。
床にベンスを横たえさせ、蟹の神はタルフとサダルに向き直った。
「……助からん」
「どういう、ことやざ?」
一言だけ苦々し気に言った蟹の神にタルフの目が揺れた。
「気づかんかった。まだあの加護がおるなんて……ベンスは加護を与えられたんやざ」
「与えられた? 貴方が与えたわけではなく?」
「オフィウクスーー13番目の星の神や」
サダルはひゅっと喉を鳴らした。13番目の星オフィウクスーー不吉な象徴として今なお語り継がれている。でもどれも事実とは思えない子どもに言い聞かせるようなおとぎ話だ。それが蟹の神の口から出たということは、なにかしら良くないものなのだろう。そんなことは容易に想像できた。
「あいつは神の中でも異質なんや。誰にでも加護を与える――それはあいつが加護に適応できる力を正確に測れて、決して超えない分の加護を与えられるからや。なのに、今回のコレは明らかに力の調整がされておらん。ベンスの適性能力をオーバーしとる」
「加護の適性がオーバーしたら……どうなるんですか?」
「力を抑えきれなくなって加護が身体を食い破って出てくるんや」
「そんな……どうにかできないんやざ!?」
「ムリや。オフィウクスの加護を消したとしても弱ったベンスの身体はもうもたん。ほんに気づくのが遅かったんや……」
蟹の神はぽんっとタルフとサダルの頭に手を置いた。
「できることといったら、すべてを終わらすことだけや」
「……僕は、僕は……」
サダルは納得できなかった。諦められなかった。サダルにとってベンスはいなくてはならない人だった。かけがえのない恩人で、いなくなってはいけない人だった。だから、認めたくない、どうかしたいが答えが出ない、その混乱で言葉が出てこなかった。
手を強く握り怒りで震えているタルフが噴火した。
「ふざけんなやざ! 出て来い、蛇使いの加護!!」
大声を出したかと思えば、横たわっているベンスの胸元に掴みかかった。その時だ、タルフの目の前が真っ赤に染まった。ベンスの身体が破裂した中から赤い瞳がタルフを見つめた。
「ひっ」
背筋が凍って寒気がし、タルフは目を見開いたまま固まった。サダルも目の前の霧散したベンスの上半身から血で赤づいた大きな銀色の蛇が姿を現したことに震えることしかできなかった。
「おめぇ、新しいオフィウクスの加護かっ!?」
動いたのはキャンサーだった。風でタルフと銀色の蛇との間に防御壁を作る。タルフが風の勢いで後方へと下がった。
銀色の蛇は舌をちろりと出し、出てきたベンスの残りの身体を飲み込むといくつもの小さな蛇に分裂して方々へ散った。
「ちっ、逃げるに徹するってことか、厄介やなっ!」
いくつかの蛇を風の刃で切り裂くも、逃げる蛇すべてを潰すことはできなかった。
「くそ……タルフ、サダル平気か?」
追いかけるのも無駄だと悟ったキャンサーは固まっている二人に駆け寄った。タルフは自分に付いた返り血を焦点が合っていない目で見つめている。サダルはベンスがいた虚空を見つめて震えていたが、口をぱくぱくとして疑問を口にする。理解したくはないが、事実を確認してしまうのだ。
「……いまのは、なん……」
「加護に喰われたんやざ。思ったより侵攻が早かった……」
「なんで、僕たちは平気、なのにっ」
「おめぇもタルフも制御できんければ同じやざ……自分が制御できる以上の力を使い続ければ加護に喰われる。気をつけろ」
「人間にそんなにデメリットがあるのに……加護を与える必要ある……?」
「神の力を抑えるために加護を与えるんやざ。神は星から増幅した力を吸収し幾年もかけて自分の力を増幅していくんよ。結果、醜い争いが起こった。いくつもの星が神が滅びたんや。やから、いくつかの星の神は自身の力を制御するために次世代へ引き継ぐ方法をとることにしたんや。蟹の星、水瓶の星もそれや。次世代に育ってもらわなあかんからな、普通の神は適性を見極めて加護を渡すんやざ。やけど、うちらとは違う考えを持つもんもおる。正反対に人間の力を取り込もうとする輩がな――」
キャンサーは悲しそうにため息を吐いた後、窓から暗い空を眺めた。
「加護に人間を喰わせることで力が増幅するんや。それは星の力とは比べ物にならんほど力がつくらしい……加護のもうひとつの使い方や。あのオフィウクスの加護の主はそれをしとる。止めなあかん」
「……なんでベンスさんが」
「…………」
キャンサーはそれには答えられなかった。サダルは堰を切ったように泣き出し、いまだ一言も発さないタルフ。そんな二人に、キャンサーは黙ったまま風を操作する。風に乗せて睡眠効果のある花の花粉を運ばせて二人を眠らせた。
「辛いやろうが、二人にはもっと強くなってもらわなあかん……あれを止めるんはおめぇたちやざ」
そして二人を寝室で寝かせるのだった。
タルフは数週間経っても立ち直れずに、海を眺めていた。いつものように海から兄が戻ってくるような気がして。
そんなタルフの横に、同じく目元が黒くなったひどい状態のサダルが腰を下ろした。
「僕、事業を続けるよ」
「…………」
サダルが自分よりも先に立ち直ったことを察して、タルフは唇をぎゅっと噛んだ。現実を見せつけられているようだった。兄は死んだのだと、先を見ろと、言われたようでタルフの目に涙が滲む。
「僕、ベンスさんが死んだなんて信じない」
「えっ?」
タルフは驚いてサダルを見た。てっきりサダルは自分の気持ちに区切りをつけたのだと思った。けど、サダルの目は黒く濁って海の底のようだった。
「だって神様は不老不死だって聞くし、加護をもらったんだったらその力があるかもしれないじゃん。瀕死の怪我を治す力を持つ神様だっているんだ、ベンスさんを治す力だってあるかもしれない。諦められるわけないじゃん」
「…………でも、死んだ人を生き返らせる力は聞いたことないやざ」
「全部の星を回ったの? ずっと生きてる神様なら絶大な力を持ってるかもしれないじゃんか! 僕は、他の星に行くし、あの蛇も探し出す。タルフは、何もしないの?」
「……うらは……」
サダルが言うのは夢物語だとタルフは思う。それでも一筋の光があるのならそれにすがりたいと思った。いつかは兄の死と決別しなきゃいけないと、心の奥底ではわかっていた。
「……うらもオフィウクスについて調べるやざ。兄貴の仇は許さない」
決意をして、タルフは立ち上がった。サダルに向かって手を差し出す。
「サダルと、やることは同じやざ」
「そうだね」
サダルが握り返したその手を引いて立ち上がらせる。タルフはその日からまた生きようと思った。