4章 天秤の星4―決別―
タルフは過去を反芻して、ふっと息を吐いた。サダルとタルフはあの時から、決めた思いが違ったのだ。
「サダル。兄貴は、もうこの世にいないんやざ」
「――っ! そうだよね、目の当たりにしないと信じられないよね!」
手足を縛られて座らされていたタルフには、柱の陰にいる人物が誰なのかははっきりとわからなかった。
サダルの後方の影が柱から姿を現す。
「ほら、ベンスさんだろ?」
柔らかい笑みに、今では自分と同じ赤い髪と茶色い瞳。背の高さは昔よりも低く感じられるがそれはタルフが成長したからだろう。他人から見ればそれは完璧にベンスの形をしていた。
「元気やったやざ?」
「しゃべんなっ!!」
タルフの身体が激しく怒りで震えた。
ベンスの声、トーン、すべてがよく真似されている。が、それが兄ではないとタルフの身体も心も拒絶する。
「久しぶりに会ったのに、どうしてそんなこと言うやざ?」
「…………」
「タルフ、どうした――」
ザンッという風を斬る音が響き、ベンスによく似た頭が宙を舞う。
自身を縛っていた紐を切り裂いたタルフは巨大なハサミを出現させたのだ。それが一瞬のうちに飛び、彼の首を刈り取っていた。
「おめえに名前を呼ばれとうないやざ」
「――っ! タルフ、なんてこと!」
「兄貴はうらを責めるような言い方しないやざ。サダル、おめえこそなんてことしやがる」
タルフは怒りに満ちた目でサダルを見る。彼がまだベンスの死に決別をつけていなかったのだと知って、悲しくて泣きたくなったし、ベンスの亡骸を侮辱したことに激しい怒りが込みあがってくる。
怒りに任せてしまいそうだった。けれど、いままで一緒に過ごしてきたサダルとの思いが必死にタルフを留めていた。
ベンスの首を刈ったハサミが一度姿を消したと思えばタルフの手に戻ってくる。
「オフィウクスの加護が兄貴の身体を使ってることなんか、加護があるうらたちには一目瞭然だろ! なんでおめえはそれを容認してるんやざ! 目が曇ってんのか!!」
「……でも、身体の修復ができたんだ、生き返るかもしれないじゃん! オフィウクス――蛇使いの星はいろんな技術があって、生き返られることができる可能性だって――」
「兄貴は望んでないやざ」
タルフはベンスがなぜオフィウクスの加護を受けたのか、その理由を理解していた。レーピオスという男の元に話を聞き行った時、「ここから逃げ出したいという気持ち」と「世界を救う可能性がある人物」の条件でオフィウクスの加護が選んでるのだと聞いた。
タルフは思う。兄は、抜け出したかったんだ。蟹の星の現状を変えたかったんだ。タルフが馴染めない世界を変えようとしてくれたんだ。だから、オフィウクスの加護を受けた。受け入れて――タルフの世界を変えた。
「サダルとうらが蟹の星で無事に過ごせるように兄ちゃんはしてくれたから」
「……でも、ベンスさんがいないんじゃっ」
「死を受け入れるのは残った人間の役目。うらは、兄貴の死に決別をしたんやざ」
「…………」
「うらはその加護を許さない。トドメを刺して、持ち主の神を倒す。サダル、退け」
「~~っ! 僕はやだ! 希望があるんだ、邪魔はさせない!」
サダルは、自分の加護を爆発させた。カタカタと揺れる地面、窓から淵から、水があっという間に流れ込む。
「ヘイヘイヘイ、ここまで黙ってやってたがどうするんダ?」
ハサミが煽るようにタルフにきんきんと喚いた。
「なんだよ、加護の具現化に加えて意思までいつのまにそんなに強くなったのさ!」
タルフの加護が具現化されて意思を持っていることにサダルは戸惑いながら、よりいっそう力を使って水を呼び寄せる。
山羊の星での最終の日、タルフはマルフィクの指導の下、加護の具現化まで使えるようになっていたのだ。
水の洪水がタルフを襲う。
「サダルはうらの血のもう半分が何だったか忘れたんやざ?」
「はっ?」
水がタルフを飲み込んだ。サダルは呆けたまま荒れ狂う水を茫然と眺める。
青い髪は海の青と相俟って黒く見えた。肌は鱗に覆われて、黒い瞳が水の中らサダルを射抜いた。
タルフは水の中で自然に息をした。落ち着いている。そして、ハサミをサダルに向けて構えた。水を蹴った瞬間、スピードは勢いをつけてサダルへと向かう。
ザンッという音と同時にサダルの身体から切り離された一部が宙を舞う。タルフはサダルの後ろに着地すると、ふっと息を吐いた。
すると水はみるみるうちに引いていき、斬り落とされた腕が地面へと落ちる。
「うわあぁあ!」
サダルの叫び声。
「なんで腕なんだヨォ」
「殺したいわけじゃない。でもうらの邪魔をするから容赦しなかっただけやざ」
タルフは自分の加護の問いに答えると、座り込んで血が流れる左の腕の付け根を抑えるサダルをちらりと見る。それから何も言わずに、首を落とされたベンスへと近寄った。
トドメを刺そうと大きくハサミを振りかぶる。
「どちらが怪我をさせた罪が重い?」
落ち着いた声が響いたかと思えば、タルフの身体は金縛りにあったように固まった。力を入れてみても動くことができない。
タルフの前にすっと声の主が姿を現す。余裕のある白い服を身にまとい、桃色の髪をレースのベールで覆っている聖女は灰色の瞳で弧を描きにこっと笑った。そしてタルフの手からハサミをそっと引きとった。
「危ないですからお預かりしますね」
「もーー! サダルがひとりでも大丈夫って言うから任せたのに! おねえさまにも逃げられちゃうし、厄日ですの~!!!」
聖女の後ろでは鮮やかなオレンジ色の髪を二つに結んだ子どもがぷりぷりしながら立っている。フリフリの可愛らしい服装はそこらに散っている血とあまりに不釣り合いだ。
「うぅ、だってタルフが反撃してくるなんて思わなかったから……」
「あーあ、こんな怪我誰が治せるんですの~?」
「ヒアさん、止血してあげてください。ザヴィヤヴァさんならある程度どうにかしてくださるでしょう」
「うぇ~、サダルもエスカマリもわたしががんばったっておねえさまに口添えするんですのよ!?」
「もちろんですよ」
「わかったよ……」
子ども――ヒアはサダルの近くに行くと腕の止血を始める。
タルフの加護であるハサミが主人の意を汲んで聖女――エスカマリの手からすっと消え去った。
エスカマリは首をかしげて「あら」と言っただけでそれ以上ハサミについては気にした風もなく、オフィウクスの加護の頭を回収する。
「さ、貴方も黙ってないでさっさと首をくっつけてください。帰りますよ」
「まったくいきなり首を落とされるなんてびっくりしたよ」
起き上がった身体は首を受け取ると、元の位置に顔を戻す。
「ねえ……タルフはどうするの?」
「そうですね、わたくしたちがサダルさんと同士というのをアスクさんたちに知られるのは避けたいですし、連れて帰りましょうか」
タルフは歯噛みすらできずに、内側に怒りをため込むことしかできなかった。
そうしてタルフはベンスの形をしたオフィウクスの加護によって連れ去られてしまったのだった。
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