3章 山羊の星12―抱える不安(ヘレ)―
なんでヘレが泣いて走り去ったのか、俺は自分の頬を抑えながら考える。
スピカとレグルスに返答をしようとして、口を結んだ。
「え、えっと……なんでもない」
「なんでもないわけがないだろう?」
俺が誤魔化そうとするけど、スピカは眉根を寄せて説明を求めてくる。
でも、これは俺とヘレの問題で、ヘレがみんなが寝ているのを確認して俺に話してくれたことを思えば、この話を誰かにしていいとは思えなかった。
「ヘレとちゃんと話したら説明するから……」
「……アスクがそういうならそれ以上は聞かないが……」
スピカは渋々といった形で退いてくれた。
「なぁ、スピカ。ヘレ一人だと心配だし後を追いかけた方がいいんじゃねーか?」
「それもそうだな」
「ごめん……」
「ああ……気にしすぎるな」
スピカは苦笑しっつつ軽く俺の頭をぽんと叩いてから、ヘレを追っていった。
「…………」
話した方がよかったかな。スピカたちだったらもっと上手い言葉をヘレに返せただろうし……。
考え込んだ俺の頭をレグルスが雑にぐしゃぐしゃと撫でた。
「一人で抱え込みすぎるなよ?」
「うん……ありがとう」
レグルスもスピカも優しい。だから、余計に胸がぎゅっと締め付けられた。話さなくてよかったのかな……?
「付き合いが長けりゃいろいろあるさ。ヘレに頼りにされたのはお前なんだから、お前しかどうにかできねぇよ」
「うん……」
頭をぽんぽんと軽く叩いてからレグルスの大きな手が離れていった。
そうだ、ヘレともう一度話そう。レグルスが言うように、ヘレは俺に話してくれたんだから。
「まあ、まずは相手の話をよく聞くところから始めないとな」
「え……ちょっとまって、レグルス起きてた?」
「さあ、どうだろうな~?」
「~~っ! 絶対起きてただろっ」
「はははー」
笑って誤魔化された。
結局、スピカとヘレは戻ってこなくて、カプリコルヌス様が、サダルとタルフ、マルフィクを連れて戻ってきたところで、”夜”は明けた。
ヘレは、ずいぶんと経ってから立ち止まった。もう青い星は水平線に近づいている。
「……うぅ~。やっちゃった……」
その場に座り込み、もう熱はない右手を見つめる。
勢いで言った言葉を後悔しながら、ヘレはずびっと鼻をすすった。
「アスクに八つ当たりしちゃった……」
はぁっと息を吐いてヘレは膝に顔を埋める。
先ほどのことを鮮明に思い出す。
みんなが寝静まっても、ヘレはなかなか寝付けずにいた。ずっと不安に思っていることがあるせいだ。
アルディを教えなければいけないはずなのに、自分は何もできていない。結局オフィウクスの男に任せっきりだ。自分が本当に加護を上手く使えているのか自信がなかった。
何もできない自分に直面して、ヘレは気が気がじゃなかった。今までは目標に向かって頑張ればよかった。頑張り方も、従来のやり方があったからそれに従えばよかった。けど、今は頑張り方もわからなければ、何も道を指し示すものがない。足元が真っ暗で、不安だった。
だから、アスクのために何かをすれば、きっと気持ちが落ち着くと思って、カプリコルヌス様に頼んでアスクのところに連れてきてもらったのだ。
けど、アスクは星にいた時とは違って、自分でどうしかしようと頑張っていた。その姿に、自分の補助はいらないと痛感して、さらに気持ちは落ち込んでいたのだった。
青い月が上の方まで来た時、ヘレは隣で寝入っているアスクに声をかけてみた。
「ねぇ……アスク」
「んん……なに?」
返答はないと思っていたが、アスクは眠そうに眼をこすりながらヘレ側に顔を向けてきた。
「ごめん、起こした……?」
「うぅん……俺、さっき目が覚めちゃって……」
「そっか……」
自分が起こしたのではないことにヘレはほっとした。
「ヘレこそ、どうしたの?」
「ちょっと考え事してたら寝付けなくて……」
「考え事って?」
ヘレは口を閉じた。自分のこのどろどろとした気持ちを話すべきかどうか悩んでいた。
「……話したくない?」
それなら聞かないけど、と気遣ってくれるアスクに、ヘレは何かを言おうと口を開く。
「えっとね……アスクはすごいな。って思って」
「え? なにいきなり」
「だって、目標もしっかり立ててるし、それに向かって頑張ってるじゃない」
「そ、それはみんなそうじゃん……」
ヘレが話し出せば、アスクは起き上がって彼女に飲み物を手渡した。ヘレも身を起こしてそれを受け取り口をつける。
「そう、だよね……みんな頑張ってる」
ヘレは視線を落としてつぶやいた。自分だけが取り残されているようで、目頭が熱くなる。
「ヘレだって、加護が一番強いじゃん! 教える側なんて、びっくりした」
「それは……」
ヘレの落ち込みに、アスクは励まそうとしている。それはわかっているヘレだが、今の気持ちを否定されているようで、苦しい。完全に逆効果だった。
「やっぱヘレはすごいよなぁ。牡羊の星の時もずっと頑張ってたし、俺、今頑張れるのはヘレみたくなりたいって思ってるからなんだ」
私みたくなりたい。その言葉はヘレにとってはこの上なく重かった。今、自分のことが好きになれない。そんな自分みたくなりたいと言われてもうれしくない。
もっと私をちゃんと見て。と叫び出したかった。
「私は……何もできてないよ」
「そんなことないよ! ヘレのおかげで蠍の星から逃げれたんだし、やっぱりヘレはすごいって」
「だから、すごくなんかないっ!」
「へ、ヘレ……?」
大きな声を出して、アスクの言葉をかき消した。アスクは戸惑いながら、ヘレの苦しそうにゆがめられた顔を見ている。
「……私、ぜんぜんすごくなんかない……」
「ヘレ……どうしたの? 何かあった?」
アスクの質問する言葉にヘレは答えられなかった。”何もできなくて困っている”その一言が言えないでいた。アスクに頼ってしまって、いいのか。自分でどうにかしなきゃいけない問題な気がする。でも、アスクなら……。とヘレの頭の中がぐるぐると言葉で渦巻く。
「っ……なんでもない」
でも、結局”助けて”という言葉は出てこなかった。
「……そっか。ヘレなら一人で大丈夫だもんね」
なんでもないと言ったのは自分なのに、アスクの言葉にヘレは強い衝撃を受けた。一人で平気なわけない。と心の中で大きく叫んだ。
その衝撃とともに立ち上がり、ヘレはアスクの頬を叩いていた。痛いのはアスクのはずなのに、自分の手がすごく熱い。
逃げ出したかった。
「アスクなんて知らないっ!」
ヘレは感情のまま叫ぶと、アスクの反応を見るのが怖くなって、踵を返して走った。
ヘレは一通りの流れを思い出してから、息を吐く。
「私が勝手に怒って、勝手に逃げてきちゃった……アスクごめん……」
助けてと言えなかったのは自分だ。だから、アスクは気を遣って退いてくれた。それなのに、本当はもっと踏み込んで聞いてほしかったなんて、私は本当にわがままだ。とヘレは自己嫌悪する。
「しかも手が出るとか最悪……ちゃんと謝らなきゃ」
すんっと鼻を鳴らして、ヘレは顔を上げた。困ったような顔で自分を見ている青い瞳――スピカと目がかち合った。