あと8日
解放まであと8日
今日の登校は普段通り、居眠りは少なめ、少しは体調がいいような気がする。
昼休みは昨日と同じ場所でまた居眠りをしていた。
今日は昨日の白パンではなく、層をなしたサクサクのデニッシュ。
それを眠っている彼女の耳元でかじり、サック、サックという音を十分に聞かせると、驚くほどの速さで目を開けた。
「はい」
今日はちぎらず、一個丸まま手渡した。
テレンス・リーヴェはそれを受け取ると、軽く会釈をした後、すぐに口に放り込んだ。
一かじり目で一瞬口が止まり、すぐに連続して二かじり、三かじりと、サクサク弾む音を楽しむように響かせていた。
「昼は、学食で食べないの?」
あまりにモグモグとひたすらに食べるので、回答拒否かと思ったら、半分食べたところでごくりと飲み込む音がして、
「昼は寝てる」
と答えた。
「いやいや、食べないともたないだろ?」
「食べるより寝たい」
またかじりついたので、彼女が残りを食べ終わるのを黙って見届けた。
「おなかは空いてるんだよね」
「…よくわからない。このパン、おいしい」
僕は袋の中のデニッシュをもう1個手渡した。
次のはカスタードといちごジャムが乗っていた。
ときめきだったらしい。しばらくじっくりと観察した後で、そっと口を寄せ、一口食べたが最後、夢中になって黙々と食べ続けた。
絶対腹は減っている。
「昨日は仕事?」
「竜を捕まえた」
「昨日?」
こくりとうなずく。
「…魔法騎士団のところで三日前に聞いたけど」
「三日かかった。」
「三日? 三日間、ずっと?」
「一日目の明け方に傀儡を置いて戻り、昼は遠隔で戦っていた」
「遠隔で…? まさか授業中も?」
彼女はいたって普通の顔で、それがごく日常のことなのだと物語っていた。明け方に戻って、引き続きって、そりゃ眠くて当然だ。
「昨日、私の操る傀儡が間もなく壊れそうだと言われたので、直接行くしかなかった。夕方までは持つと思ったんだけど…。竜を殺してもいいなら半日もかからない。リュートがいればもう少し早かっただろう」
自分の疲れは二の次で、力不足をふがいなく思っているようだ。
「あの呪いは本当だったんだな…。傀儡に補給した魔力がいつもほど持たなかった。あれで竜の直撃を受けたら、壊れるのも仕方ない」
あの呪い、は掃除当番の日の、あの自業自得の『心ない…』呪いのことだろう。
「一昨日は本当に急いでいたんだ。部下とはいえ、悪かったと思っている」
言うほど悪かったなんて思っているようには見えなかったけど、あえて口には出さなかった。
「口で言えば代わるよ、掃除くらい。あんなからかい、真に受けなくったって。…リーヴェの仕事は代われないけど、他に代われることはいろいろあるはずだ」
「面倒だったので、手っ取り早いと思ったけど、思いがけない実験になってしまった…。気を付けよう」
あまり表情豊かではないながらも、反省はしているように見えた。
しかし、そうか。面倒だったのか。
生け捕りにされた竜は、王女殿下が隣国に嫁がれる際に貢物として渡される予定とのことだった。珍しい火の竜の亜種で、捕まえた後はおとなしくしているらしい。まあ、僕が見ることはないだろう。
無事竜が捕まったことで、しばらくは休めるだろうと言って、手を僕に向けて差し出した。
眠気が収まれば、腹が減るらしい。
次のデニッシュを手渡すと、カスタードを見つめてしばらく考えていた。
「いちごがない」
…お気に召していただいて何よりだ。でも、
「いちごが乗ってるのはあれだけだ」
とっておきを譲ったのだから、許して欲しい。
察したのか、そのまま口にした。口の動きが少しゆっくりになり、味わっているのがわかった。
「リーヴェは討伐の仕事が好きなんだね」
「好き、、、?」
「昔、よく父さんや兄さんにこっそりついて行ってたよね」
「ああ、怒られても隠れてついて行ってた。魔法で後ろからスライム全滅させたら驚いてたけど、ジェラルドさんが褒めてくれたのが嬉しかった」
カスタードの甘さと思い出に、少し表情が緩んでいた。昔遠くから見かけた、うらやましい思いがちょっとよみがえった。足を引っ張るだけの僕は、隠れてでも父や兄について行こうなんて思えなかった。
「ジェラルドさんやラファエレさんの剣はかっこよくて、憧れた」
僕も憧れてる。
「レオナルディさんの剣にのせた魔法はとてもきれいだった」
きれいで、強い、上の兄の魔法。
「あんな風に、自分の力で誰かを守れたらって、思った」
その思いと、魔法の実力で、ほんのわずかな間に彼女は四聖と呼ばれるまでになった。
その力を失わせてはいけないんだ、と僕は改めて思った。本人が自滅するなら、その限りではないけど。
昔を思い出したこともあって、教室に戻るちょっと前に思い切って聞いてみた。
「テレンスって、呼んだ方がいい?」
普通は何らかの自己紹介があって、そこでどう呼んでほしいのか、自分から言うのが一般的だ。だけど僕とテレンス・リーヴェは今までそういった会話をしたことがなかった。小さい頃に少し遊んだことはあったけれど、学校ではクラスメートの一人にすぎなかった。ずっと家名で呼んでいることが何となく他人行儀な気もしないではなくて、一度聞いてみた方がいいと思っていた。
今更な質問に彼女はちょっと悩んで
「いや…」
と否定の答えを返した。
よもやアリシア様とも呼べないので、そうなると家名であるリーヴェ一択だ。
「わかった。じゃ、これからもリーヴェで」
自分で否定した割に何か言いたげだったけど、そのまま言葉が発せられることはなく、時間にせかされてそれぞれ自分の席に着いた。
姉の名前と聞いていたけれど、アリシアという名が好きなのかもしれない。
例えそうであっても、決して呼ばないよう注意しなければ。