泡沫の夢……。
私の世界は屋敷のお部屋の中。極端に言えばベットの中だけ。ベッドの背もたれを上げクッションを沢山支えにして窓から眺める中庭が、私の唯一のオアシスなの。病気が悪くなるまでは、侍女が時おり車イスで中庭に連れて行ってくれていた。
庭師のトムじいさんとお孫さんが丁寧に手入れをしてくれるお庭。少しでも私の心の慰めになるようにと、四季にあわせた色とりどりの花を咲かせてくれる。ウサギやリスも放されていいるし、たまの中庭の散歩は私へのご褒美だったわ。お庭まで行けなくなっても眺めているだけでも嬉しかった。寝てるだけより断然ましだもの。でもね……
成長すれば良くなると思われていた私の病は、一向にその気配を見せなかった。逆に徐々に悪化しているのでしょう。優しい父や周囲の皆は、私にはなにもいわないの。でも私が一番わかよ。だって自分の体なんだもの。
誕生日を迎えるたびに胸の痛みが酷くなってゆく。これは絶対に気持ち的なことだけではないと感じてしまう。だって本当に苦しくなる位の、胸の痛みを感じているのだから。なにか重い影が私の体内を蝕んでいる。そんな感じ。きっと私の命は長くはない。
お父様……
一人にしてしまってごめんなさい。
お母様……
私を生んでくれて有り難う。でも私は誰かの役に立てたのかしら?私もお母様の様に誰かの役に立ちかたったわ。ベッドから中庭を眺め、今日もいつもと変わらぬ日常が続いてゆく。気分の良い時は本くらいなら読める。でも今日は無理みたい。少し体が怠い。頬をかする風が冷たくて気持ちがよい。その風にのって、珍しく人の話し声が聞こえてきた。少し窓から顔を出すと中庭の左側の温室と図書室へ向かう道がみえる。そこをお父様が侍従を連れて、何人かの人たちを引き連れ歩いている。
お客様かしら?もう少し良く見ようと、窓枠に手をかけて身を乗り出す。冷たい風にブルリと体が震える。バランスを保てず体が傾いてしまう。慌てて支えベッドへ戻る。落下防止の仕掛けが有るから落ちる心配は無いけれど……正直本当に怖かった。まだ心臓がドキドキしている。やはり体も怠い。私は上掛けを引っ張りベッドへ潜り込んだ。
廊下を走ってくる足音がする。誰?家の者が走るなんてビックリ。もしかして風にあたり体調が悪いのがバレたのかしら?ならまたあの苦いお薬ね。嫌だわ……
扉がいきなり開かれた。
「大丈夫か? どこか悪いのか? 」
ドタドタと駆け寄ってくる男性。私と同じ年令くらいかしら?私の上掛けをはがして顔を覗きこんできた。
「佑真! 女性の部屋にいきなりは失礼ですよ。お嬢様。驚かせてすみませんね。お体は大丈夫ですか? 」
お二人の後から父がやって来る。下から私がバランスを崩したのが見えたそう。それで来てくれたのね。この時初めて私は召喚事故の事実を知った。そして生き残りの人たちを我が家で保護し、先の生き方を学ばせていることも。この二人も図書室へ向かう途中だった。
優しいお兄様の様な龍治様。私より年上なのに弟の様にヤンチャな佑真様。この日は私クリスティーネが、初めて二人に出会った日だった。
あの日からベッドの中での日々に潤いがうまれた。私は二人が大好きになった。こんな日々がずっと続けば良いと思っていた。でも私の体は悪くなるばかり。きっと二人は神様からのプレゼントだったのね。最後に二人と出会えて私は神様に感謝していた。
そんな二人が突然元の世界に戻るという。私の体を治す薬を手に入れ必ず戻ってくるからと……私は行かないでと懇願した。二人が元の世界に戻ったなら、もう二度と会えないのかもしれないから……
だって上手く戻れたら私なんて忘れてしまうかもしれない。そんな不安もあったの。でもそれよりも何よりも二人が心配だった。父も色々と調べてくれたけど、異世界へ戻る方法は見つからなかったのだから。なにが起こるかわからない。私は二人に危険なことをして欲しくはなかった。
でも二人の決心は固かった。父は仕事でお城に行き、既に一週間ほど留守をしていた。戻るまでには更に一週間はかかる。公爵様が戻ると必ず反対されてしまう。だから私たちはすぐに出発する。必ず戻るからと私に置き手紙を残し、二人は私がまだ寝ている早朝に旅だってしまった……
翌朝ユウだけがボロボロの身なりで一人で戻ってきた。その時の私はすぐにユウが戻ってきてくれた嬉しさよりも、一緒にいないリュウへの心配が勝ってしまった。思わず声を荒げて問い詰めてしまったのでしょう。
「ユウ! リュウは? リュウはどうしたの? なぜ二人ではないの? 二人は異世界へは行かなかったの? ならリュウはどこ? 遅れて戻るの? まさか怪我をしているの? どこかに置いて来たの? なら早く助けに行かなくちゃ! 魔物もいるんでしょ? 早くお父様に伝えなきゃ! 誰かを呼んで! 」
「…………」
「ユウ! どうして何も言わないの? リュウは? リュウを助けなくちゃ! 早くお父様に伝令を! 」
私はベッド脇にある呼び出し用のベルを手に取る。しかしそのベルはユウの手で払われ壁との隙間に落とされてしまった。そのままベッドに乗り上げ私を見つめる空虚な瞳。その顔が近付いてくる。
「止めて! 近寄らないで! 」
「…………」
ユウの手が私の両手を拘束した。
「いや! ユウ何て大嫌い! リュウはどうしたの? リュウ! リュウ助けて! 」
「龍治の名を呼ぶな! 」
「お願い止めて……ユウも大好きなの。だから……」
「…………」
「ユウも……リュウもなんだよな……。大好きならクリスをくれよ! リュウはもういない! 」
どんなに懇願してもユウの手は止まらなかった。可愛いヤンチャな弟の様に思っていたユウ。しかしその力は強かった。病弱な私の抵抗では全く抗うことが出来なかった。
衝撃の痛みが私の体と心を打ち砕いた。それからの私はユウのされるがままだった。
父が屋敷に戻るまで二週間がかかった。そうしてようやく事実が判明した。ユウは初めから異世界へ行くつもりなんてなかった。リュウだけを戻すつもりだった。私との事も全ては計画的だった。
ユウは私を辱しめた後、私はリュウがいなくなり精神が不安定になった。だから自分が介助をする。公爵様も知っている。そう使用人には伝えていたと聞く。
「リュウは異世界に飛ばした。戻って来れるかはわからない。リュウが邪魔だった。だからわざと手を離し狭間に突き飛ばした」
「酷い……」
「だって! クリスは二人とも大好きなんだろ? なら一人になれば大好きは僕だけだ! リュウがいなくなれば! クリスは僕の物だ! 」
「私は物じゃない……それに私は私だけのものよ……」
「違う!そうじゃない! 物だなんて思ってはいない! クリス……クリスティーネ……愛しているんだ……クリスも大好きだと言ってくれたよね? お願い……大好きだと言ってよ……」
「…………」
「愛してる。愛してるんだ。どうしてみんな僕を愛してくれないの? 僕が愛する人はみんないなくなるんだ。きっとクリスも母さんみたく……嫌だ! 絶対に離さない! 龍治もいなくなった! クリスティーネは僕だけのクリスなんだ! クリス……愛している……僕だけをその瞳に写して……御願いだ……」
お母様?ユウは心に何かを抱えているのね。でも私はユウへの大好きが、愛してるなのかが解らないの。ごめんなさい……私とユウは離された。ユウは心の医者にかかりながら親戚の家の家庭教師を始めた。私は二人に出会う前の日常に戻った。寂しい……これは二人を止められなかった私への罰なのね。
ユウ……
愛がわからなくてごめんなさい。
リュウ……
お願い無事でいて下さい。幸せになって下さい。異世界ででも良いの。無理をさせてしまった私を許してね。
私がユウを壊してしまったの。私の病気は治らないのに……あなたのクリスになっても、ずっと一緒にはいられないのに……なのにユウの未来を……ならば私がいなくなれば……
その晩、私は窓を全開にして就寝した。夜風にあたった私は翌日高熱を出し生死の境をさ迷った。
目を開けるとお父様の顔が……いきなり頬を叩かれた。
「お前は死ぬつもりだったのか! そんな事をしても誰も喜ばん! お前は誰かの役に立てたのか? そうありたいと言っていただろう。命を粗末にするな。もうお前だけの体ではない。だがどうすべきか……」
私だけの体ではない?まさか!?私は身籠っていた。まだ何も感じないけどこのお腹の中には私の赤ちゃんがいる。小さな命が育っている。私の身勝手にも負けずに……
愛しい……
「お父様ごめんなさい。もう勝手なことはしません。約束します。だから赤ちゃんを生ませて。私の最後の我が儘です。たとえ私の命と引き換えても構わないわ。私はこの子が愛おしい。お父様には迷惑をかけますが、どうか許して下さい」
ユウの赤ちゃん。私がユウの役に立てるわ。こんなに愛おしい我が子を腕に抱ける。きっとユウの心も安らげるだろう。私がいなくなっても、この子がいればユウも寂しくない筈よ。
ユウに愛してると伝えられなかった私からのお詫び。そうよ。私はユウを愛していたわ。だからあの酷い告白を許せたの。ようやく気づけた。私たちには時間が足りなかった。もっと語り合えば良かったのよね。ユウもあんな強引に愛を伝えずに普通に告白してくれたら良かった。それとも伝えてくれていたの?鈍感な私でごめんなさい。私の精一杯の愛をこの子に託します。これで私もユウの役に立てるわ。もちろん私も死にたくはない。この子の顔も成長もみたい。だから頑張るわ。ユウが私がいなくなっても、幸せに過ごせます様に。
真っ白なおくるみに包まれた双子の兄妹。私は涙に潤む目を見開き二人の顔を心に刻み付ける。小さな手のひらに指先をそわせ元気に育ってと願いをかけた。ユウは喜んでくれてるかしら?私を失いたくないからと、堕胎しろと乗り込んできた顔がチラリとよぎる。ううん。ユウは大丈夫。最後には私の気持ちを汲んでくれたのだから。
「お父様有り難う。そしてごめんなさい……私やはり無理み……たい……」
私の視界が白く染まった。お父様、有り難う。ユウ、ごめんなさい。そしてリュウ……私の為に苦労をさせてごめんなさい。どうか幸せになって下さい……
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しかしクリスティーネの思いは報われなかった。そしてクリスティーネの願いも、佑真の心には届いていなかった。
佑真は双子の顔も見ず抱きもせず、亡くなったクリスティーネの棺にすがり付き、延々と泣いていたという。翌朝クリスティーネのお墓の前で、自害し冷たくなったユウの亡骸が発見された。残された双子の運命の出会いはこの後にやってくる。
リュウは、龍治は異世界から戻ってきた。しかしクリスティーネには間に合わなかった。持ち帰った薬でクリスティーネの代わりに助かった双子を見守り、仲良く親子の様に暮らしたという。しかしリュウは最後まで後悔とともに生きていた。そしてやがて、双子の元を去ってしまった……
しかしこれは泡沫の夢だったのだろうか。そうあって欲しいと願う者たちの願望だったのだろうか?
リュウが戻った事実はどこにも存在していない。双子との仲睦まじい日々も存在しない。何故ならリュウは異世界からは戻らなかった。もしかしたら辿り着けなかったのかもしれない。
しかし遺跡の研究者たちによりもたらされた万能薬により、病弱であった双子は健康を得て、やがてはそれぞれの未来を選んだ。
真実を知り得たものたちは互いを思い、龍治の巻き戻しの人生について口を閉ざし……
それぞれが己の信じる道を選んで未来を掴んだ。
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