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正法眼蔵 家常

 仏祖の家の中では、(仏祖の知という)茶と御飯の飲食は「家常」、「日常」なのである。

 (知は魂の糧である。)

 (仏祖の知という)茶と御飯の飲食の事は長く伝えられていて今も形成されて現されているのである。

 このため、仏祖という茶と御飯という手段が来ているのである。



 大陽山の四十五祖の芙蓉道楷は、四十四祖の投子義青に、「仏祖の『意句』、『心と言葉』は『家常』、『日常』の茶と御飯の飲食のような物である。これを離れて他にまた人々の(ため)の言葉は有るのか無いのか?」と質問した。

 投子義青は、「あなた、言ってみなさい。『天下』、『国』の中で『天子』、『王』が命令する時に、また堯、舜、禹、殷の湯王の力を借りるか否か?」と言った。

 (堯、舜、禹は古代の中国の聖王である。)

 芙蓉道楷は(くち)を開こうとした。

 しかし、投子義青は、害虫を払うための毛がついた棒である払子をひねって芙蓉道楷の(くち)を覆って、「あなたが意思を発してから今まで早くも三十回分、棒で軽く叩くべき事が有る」と言った。

 芙蓉道楷は、ここで悟りを開き、投子義青を礼拝して、去ろうとした。

 投子義青は、「あなた、来なさい」と言った。

 けれども、(つい)に、芙蓉道楷は振り向かなかった。

 さらに、投子義青は、「あなたは疑わない境地に到達したのか?」と言った。

 だが、芙蓉道楷は手で耳を覆って去った。



 そのため、明らかに保持して任せられるべきである。

 仏祖の心と言葉は、仏祖の日常の茶と御飯なのである。


 日常の粗茶、粗食は、仏祖の心と言葉なのである。


 仏祖は、(仏祖の知という)茶と御飯を作る。

 (仏祖の知という)茶と御飯は、仏祖を保持させ任せる。


 仏祖の茶と御飯以外の茶と御飯の力を借りず、仏祖の茶と御飯の中の仏祖の力を浪費しないだけなのである。


 「また堯、舜、禹、殷の湯王の力を借りるか否か?」という言葉が現されて示された事を鍛錬して学に参入するべきなのである。


 「これを離れて他にまた人々の(ため)の言葉は有るのか無いのか?」という質問の頂上に参入して超越するべきである。

 超越でき得るのか? 超越でき得ないのか? と試しに参入してみるべきである。



 南嶽山の無際大師と呼ばれる三十五祖の石頭希遷は、「私は草の(いおり)を結び、宝は無い。(仏祖の知という)御飯を食べ終われば、ゆったりと落ち着いて、快眠を(はか)る」と言った。



 「来た」と言い「去った」と言っているが、「来て去った」と言っている、「(仏祖の知という)御飯を食べ終わる」という言葉は、「仏祖の心と言葉を十分に会得した」という意味なのである。

 (仏祖の知という)御飯を未だ食べていない者は、仏祖の心と言葉を未だ十分に会得していないのである。


 「(仏祖の知という)御飯を食べ終われば、ゆったりと落ち着く」道理は、(仏祖の知という)御飯を食べようとしている前にも形成されて現されるし、

(仏祖の知という)御飯を食べている最中にも形成されて現されるし、

(仏祖の知という)御飯を食べた後にも形成されて現される。


 (仏祖の知という)御飯を食べ終わった家の中で(初めて)「(仏祖の知という)御飯を食べる事が有る」と誤って認めている者は、学への参入が「四、五升」なのである。



 道元の亡き師である、古代の仏と等しい、五十祖の如浄は、僧達に示して、次のように言った。


 如浄が記憶し得ている所によると、ある僧が、百丈の懐海に、「特に優れている事とは、どういった事でしょうか?」と質問した。

 百丈の懐海は、「(例えば、百丈の懐海が)『大雄峰』、『百丈山』に独りで坐っている事である」と言った。


 人々も動かす事ができ得ない。

 (しばら)く、この人(、百丈の懐海)を坐らせておく。


 今日、突然、ある人が、「上座」の如浄に、「特に優れている事とは、どういった事でしょうか?」と質問したら、如浄は、彼に向かって、ただ「特に優れている事は無い!」と言うであろう。

 最終的に、どうであろうか?

 浄慈寺の器が天童山に移って(、如浄が、仏祖の知という)御飯を食べている。(如浄は浄慈寺の主であった。如浄は浄慈寺から天童山へ移った。)



 仏祖の日常には必ず「特に優れている事」が有る。

 「(例えば、百丈の懐海が)『大雄峰』、『百丈山』に独りで坐っている事である」。


 今、「この人(、百丈の懐海)を坐らせておく」事に出会ってもなお、これも「特に優れている事」なのである。


 さらに、「この人(、百丈の懐海)」よりも「特に優れている事」が有る。

 「浄慈寺の器が天童山に移って(、如浄が、仏祖の知という)御飯を食べている」事なのである。


 「特に優れている事」とは、個々の面々が皆、「(仏祖の知という)御飯を食べている」事なのである。


 そのため、「(例えば、百丈の懐海が)『大雄峰』、『百丈山』に独りで坐っている事」は、「(仏祖の知という)御飯を食べている」事なのである。


 「器」は、「(仏祖の知という)御飯を食べる」事に用いるのである。

 「(仏祖の知という)御飯を食べる」事に用いるのは、「器」なのである。


 このため、「浄慈寺の器」なのであるし、「天童山で(、如浄が、仏祖の知という)御飯を食べている」なのである。


 十分に会得し終わって、(仏祖の知という)御飯を知る事が有るし、

(仏祖の知という)御飯を食べて、十分に会得している事を理解する事が有るし、

知り終わって、(仏祖の知という)御飯を十分に会得する事が有るし、

十分に会得し終わって、更に、(仏祖の知という)御飯を食べる事が有る。


 「器」とは、どういったものであろうか?

 思えば、「器」とは、ただの木ではないし、(うるし)のように黒いだけではない。

 「器」とは、ただの石であろうか?

 「器」とは、鉄の人であろうか?

 「器」には、底が無い。

 「器」には、「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」が無い。

 「器」は一口(ひとくち)で虚空を飲み込み、虚空は合掌して受け入れるのである。



 如浄は、ある時、台州の瑞巌寺の一丈四方の部屋で、僧達に示して、「(魂の)飢えが来れば、(仏祖の知という)御飯を食べる。眠気が来れば、打ち眠る。炉と(ふいご)は天に渡る」と言った。



 「(魂の)飢えが来る」とは、(仏祖の知という)御飯を食べて来ている人の生活なのである。


 (仏祖の知という)御飯を未だかつて食べていない人は、(魂が)飢える事ができ得ないのである。


 そのため、知るべきである。

 (魂の)飢えが一つの日常である私達は、(仏祖の知という)御飯を食べ終わっている人なのである、と確信するべきである。


 「眠気が来る」とは、眠い中で、また眠く成るのである。(「眠い中で、また眠く成る」という言葉は「迷いの中で、また迷う」という言葉を連想させる。)


 眠気の頭の上から全て超越して来ている。


 このため、渾身の手段によって渾身が全て()ね転がされる今なのである。


 「打ち眠る」とは、仏眼、菩薩の法眼、慧眼、祖師の眼、寺の円柱や灯籠の眼を借りて「打ち眠る」のである。



 如浄は、ある時、台州の瑞巌寺から臨安府の浄慈寺へ招かれて(おもむ)いて、堂に上って、「半年、(仏祖の知という)御飯を食べて、鞔峰に坐った。千万重の雲に閉ざされた。突然、一音の雷鳴が(とどろ)いて、『帝郷』、『ありのまま』の春の色である杏の華は紅なのである」と言った。



 釈迦牟尼仏の時代の化の導きを伝えている仏祖の化の導きは皆、「鞔峰に坐って、(仏祖の知という)御飯を食べる」事なのである。


 仏の智慧と命を伝え続けるための学への参入と探究は、(仏祖の知という)御飯を食べる生活が形成して現しているのである。


 「鞔峰に坐った半年」を「(仏祖の知という)御飯を食べる」と言っているのである。


 閉ざす雲が何重であるか知らない。


 たとえ「一音の雷鳴」が「突然」であっても、杏の華の春の色は紅であるだけなのである。


 「帝郷」とは、今の「赤赤条条」、「ありのまま」なのである。


 これらが、このようであるのが、「(仏祖の知という)御飯を食べる」事なのである。


 「鞔峰」とは、台州の瑞巌寺の峰の名前である。



 如浄は、ある時、明州の慶元府の瑞巌寺の仏殿で、僧達に示して、「仏の黄金の妙なる相とは、衣を着たり、(仏祖の知という)御飯を食べる事なのである。

そのため、私(、如浄)は、あなたを礼拝する。

早寝遅起きしてください。

おや?

奥深いものを話す事や妙なるものを説く事は大いに手がかりが無い。

『拈華』、『華をひねって』、熱く成って、自らをだます事は、切に避ける必要が有る」と言った。

 (明州の瑞巌寺は、台州の瑞巌寺とは別の寺である。)



 すぐに透過して(にな)って来るべきである。


 「仏の黄金の妙なる相」とは、「衣を着たり、(仏祖の知という)御飯を食べる事なのである」。

 「衣を着たり、(仏祖の知という)御飯を食べる事」は、「仏の黄金の妙なる相」なのである。


 さらに、「誰が『衣を着たり、(仏祖の知という)御飯を食べる』のか?」と模索する事なかれ。(あなたが「衣を着たり、仏祖の知という御飯を食べる」のである。)

 「誰の『黄金の妙なる相』であるのか?」と言う事なかれ。

 衣を着たり、(仏祖の知という)御飯を食べれば、「仏の黄金の妙なる相」と言い表すのである。

 「そのため、私(、如浄)は、あなたを礼拝する」のである。

 「私が既に(仏祖の知という)御飯を食べたので、あなたは(仏祖の知という)御飯を食べる事を礼拝する」のである。

 「『拈華』、『華をひねる事』を切に避ける必要が有る」ので、そうなのである。



 福州の、円智禅師と呼ばれる後大潙と呼ばれる長慶大安は、堂に上って、僧達に示して、「私、長慶大安は、潙山に三十年いる。

潙山(の霊祐)の御飯を食べ、潙山(の霊祐)の排泄物を排泄したが、潙山(の霊祐)の禅を学ばず、ただ一頭の神の使いである牛、水牛を()ている。

もし水牛が道を外れて草むらに入れば、水牛を引いて出す。

もし水牛が他人の収穫物を食べる罪を犯せば、水牛を(ムチ)で打って()らしめる。

長く調教していると、可愛い水牛は、人の言葉を受け入れるように成った。

今、水牛は変身して、あの『法華経』の『露地』の『白牛』に成った。

常に眼の前にいて、終日、外を回るのである。

追い払っても去らないのである」と言った。



 明らかに、この言葉を受け取って保持するべきである。


 仏祖の会の下で鍛錬した三十年は、(仏祖の知という)御飯を食べる事なのである。

 さらに雑多な用心はいらないのである。


 (仏祖の知という)御飯を食べる生活が形成されて現されれば、自然に「一頭の神の使いである牛、水牛を()ている」、目標にするべき高い品格が有るのである。



 趙州真際大師は、新しく到来した僧に、「かつて『ここ』に到達しているのか否か?」と質問した。

 新しく到来した僧は、「かつて到達しています」と言った。

 趙州真際大師は、「(仏祖の知という)茶を飲んでいきなさい」と言った。


 また、趙州真際大師は、ある僧に、「かつて『ここ』に到達しているのか否か?」と質問した。

 ある僧は、「かつて到達していません」と言った。

 趙州真際大師は、「(仏祖の知という)茶を飲んでいきなさい」と言った。


 「院主」を務める僧は、趙州真際大師に、「なぜ、かつて『ここ』に到達している者にも『茶を飲んでいきなさい』と言い、かつて『ここ』に到達していない者にも『茶を飲んでいきなさい』と言うのですか?」と質問した。

 趙州真際大師は、「院主」と呼んだ。

 「院主」を務める僧は、「はい」と答えた。

 趙州真際大師は、「(仏祖の知という)茶を飲んでいきなさい」と言った。



 趙州真際大師が言っている「ここ」とは、「頂上」ではないし、「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の(あな)」ではないし、趙州(の寺の事)ではない。

 「ここ」を超越して脱ぎ落としているので、「かつて『ここ』に到達している」のでもあるし、「かつて『ここ』に到達していない」のでもある。

 「『この中』とは、どこであるのか? ひたすらに、『かつて到達している』と言ったり、『かつて到達していない』と言ったりする」のである。



 このため、如浄は、「誰が、美しく飾られた楼閣や、酒を売っている所にいて、向かい合って趙州真際大師の茶を飲むであろうか?」と言った。



 そのため、仏祖の「家常」、「日常」は、(仏祖の知という)茶や御飯を飲食するだけなのである。



 正法眼蔵 家常


 時に、千二百四十三年、越宇の禅師峰の(ふもと)にいて僧達に示した。

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