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正法眼蔵 眼睛

 億千万劫の学への参入をひねって来て団欒させるのは、八万四千の「眼睛」、「見る眼」なのである。



 道元の亡き師である、古代の仏と等しい、天童山の五十祖の如浄は、瑞巌寺に住んでいた時、堂に上って僧達に示して、「秋の風は清らかであり、秋の月は明らかである。

大地と山と河は『眼睛』(、『見る眼』)を露(あら)わにする。

瑞巌寺の主の如浄は『点瞎して』、『点眼して』、『仏像の眼に点を描き入れるように、盲目の眼を開いて』重ねて見(まみ)える。

棒と喝が入り交じって走って僧を試す」と言った。



 「僧を試す」と言うのは、「古代の仏と等しいか?」と試すのである。

 「僧を試す」要点は「棒と喝を入り交じって走らせる」のである。


 これを「点瞎」、「点眼」、「仏像の眼に点を描き入れるように、盲目の眼を開く事」とする。


 これが形成して現す手段は「眼睛」、「見る眼」なのである。


 「山と河と大地」は、「眼睛」、「見る眼」が露(あら)わにする「朕兆不打」、「前兆が無い物」なのである。


 「秋の風は清らかである」なのであり、一つの老いなのである。

 「秋の月は明らかである」なのであり、一つの不老なのである。


 「秋の風は清らかである」のは、須弥山の周囲の「四大海」も比べる事ができない。

 「秋の月は明らかである」のは、千の無数の太陽の明らかさよりも明らかなのである。


 「清らかであり明らかである」のは、「眼睛」、「見る眼」である山や河や大地なのである。


 「僧を試す」の「僧」は仏祖なのである。


 大いに悟る事を選ばず、悟らない事を選ばず、前兆の前後を選ばず、「眼睛」、「見る眼」である者は仏祖なのである。


 「(僧を)試す」のは、「眼睛」、「見る眼」が露(あら)わに成るのであるし、盲目が形成されて現されるし、「活眼睛」、「活きている、見る眼」なのである。


 「見(まみ)える」とは、出会う事なのである。


 「見(まみ)える」事、出会う事は、「眼頭尖」、「鼻に近い眼の端の『眼頭(めがしら)』の先端」なのであるし、「眼睛霹靂」、「見る眼の雷鳴」なのである。


 「渾身は大きく、渾眼は小さい」と思う事なかれ。

 往々にして「老いているほど大きい」と思っても「渾身は大きく、渾眼は小さい」と解釈してしまうが、「眼睛」、「見る眼」が未だ備わっていないからである。



 悟本大師と呼ばれる三十八祖の洞山良价は、三十七祖の雲巌曇晟の会にいた時、雲巌曇晟が履物を作っている所に遭遇して、雲巌曇晟に、「和尚様、雲巌曇晟様につき従って『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)う」と言った。

 雲巌曇晟は、「あなたの物(、あなたの『眼睛』、『見る眼』)は、誰かに与えてしまったのか?」と言った。

 洞山良价は、「私には(『眼睛』、『見る眼』が)無いのです」と言った。

 雲巌曇晟は、「(あなたには『眼睛』、『見る眼』が)有る。あなたは、どこへ向かって、明らかにしようとしているのか?」と言った。

 洞山良价は無言であった。

 雲巌曇晟は、「奥底まで『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)うのは『眼睛』、『見る眼』ではないか?」と言った。

 洞山良价は、「『眼睛』、『見る眼』ではない」と言った。

 雲巌曇晟は、洞山良价の言葉を不思議がった。



 そのため、全てを明らかにしようとする、学への参入は、「『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)う」事に成るのである。

 「雲堂」、「僧堂」で仏道をわきまえ、説法が行われる「法堂」、「講堂」へ行き、寺の主の部屋である「寝堂」に入室するのは、「『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)う」事に成るのである。

 僧達に従って去ったり、僧達に従って来たりする事は、自然に「『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)う」事に成るのである。


 「眼睛」、「見る眼」は自己だけの物ではないし、他者だけの物ではない道理は明らかなのである。


 洞山良价は既に「師につき従って『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)う」と言って、重ねて教えを請い求めた。

 測り知る事ができる。

 もし「眼睛」、「見る眼」が自己だけの物であれば、他人から乞(こ)い求められるべきではない。

 もし「眼睛」、「見る眼」が他者だけの物であれば、他人へ乞(こ)い求めるべきではない。


 雲巌曇晟は「あなたの物(、あなたの『眼睛』、『見る眼』)は、誰かに与えてしまったのか?」と指し示した。

 「眼睛」、「見る眼」は、「あなたの物」である時が有るし、「誰かに与えてしまったのか?」という処分が有る。


 洞山良价は「私には(『眼睛』、『見る眼』が)無い」と言った。

 これは、「眼睛」、「見る眼」、自(みずか)らの言葉なのである。

 このような言葉が形成されて現される事の道理を静かに究めて学に参入するべきである。


 雲巌曇晟は「(あなたには『眼睛』、『見る眼』が)有る。あなたは、どこへ向かって、明らかにしようとしているのか?」と言った。

 この「眼睛」、「見る眼」についての言葉は、「『私には(眼睛、見る眼が)無い』と言うが、『無い』と言っている物(、『眼睛』、『見る眼』)は有る。どこへ向かって、明らかにしようとしているのか?」と言っているのである。

 「どこかへ向かって、明らかにしようとしている」という事は「(『眼睛』、『見る眼』が)有る」のである。

 そのため、このように雲巌曇晟は言っているのである、と学に参入して究めるべきである。


 「洞山良价は無言であった」。

 洞山良价が無言であったのは、呆然としたからではない。

 「業識独豎」、「業による理解を独り立てる」手本なのである。


 雲巌曇晟は、洞山良价の為(ため)に示して、「奥底まで『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)うのは『眼睛』、『見る眼』ではないか?」と言った。

 この言葉は、「点瞎、眼睛」、「点眼、眼睛」、「仏像の眼に点を描き入れるように、盲目の『見る眼』を開く」節目(ふしめ)なのであるし、「活砕眼睛」、「活かしたまま『見る眼』をくだく」事なのである。


 「奥底まで『眼睛』、『見る眼』を乞(こ)うのは『眼睛』、『見る眼』ではないか?」という雲巌曇晟の言葉の主旨は「『眼睛』、『見る眼』は『眼睛』、『見る眼』を乞う」という事なのである。

 水が水を引き寄せるのであるし、山が山を連(つら)ならせるのである。

 「異類中行」、「多様な種類の者達の中を行く事」、「多様な種類の者達を救うために仏が『この世』に身を投じる事」、「多様な種類の手段で導く事」なのであるし、

「同類中生」、「同類の者達の中で生きる事」なのである。


 洞山良价は「『眼睛』、『見る眼』ではない」と言った。

 「『眼睛』、『見る眼』ではない」と「眼睛」、「見る眼」が自ら挙げて言っているのである。

 「眼睛」、「見る眼」ではない身心慮知、形状を、「活眼睛」、「活きている、見る眼」が自ら挙げているのである、として見(まみ)えるべきなのである。



 過去、現在、未来の諸仏は、「眼睛」、「見る眼」が転じる大いなる法輪、説いている大いなる法輪を地に立って聴いて来ているのである。

 究極的に参入して究める奥義では、「眼睛」、「見る眼」の中に飛び込んで、「発心、修行、証大菩提する」、「悟りを求める事を思い立って心して、修行して、大いなる覚を証する」のである。

 「眼睛」、「見る眼」は本(もと)より自己だけの物ではないし、他者だけの物ではない。

 「眼睛」、「見る眼」には、諸々の妨(さまた)げが無いので、このような一大事でも妨(さまた)げが無いのである。



 このため、古代の先人である、琅邪の慧覚は、「不思議であるのは、十方の仏は元から眼の中の華である」と言った。



 十方の仏とは、「眼睛」、「見る眼」なのである(と言える)。

 「眼の中の華」は「十方の仏」なのである。

 今の進退や、打ち坐ったり打ち眠ったりする事は、「眼睛」、「見る眼」の自然な力を受け継いで、進退や、打ち坐ったり打ち眠ったりするのである。

 「眼睛」、「見る眼」の中での、とらえたり放ったりする事なのである。



 五十祖の如浄は、「達磨の『眼睛』、『見る眼』を抉(えぐ)り出して泥の塊(かたまり)を作って人を打つ」と言ってから、声を高くして、「見なさい、徹底的に海が枯れ切って波が天高く打つ」と言った。



 この言葉は、如浄が、清涼寺の一丈四方の部屋で、集まっている者達の為(ため)に示した物である。

 (一丈は約三メートル。)


 「人を打つ」とは、「人を作る」と言うような物である。


 「打つ」ので、人々は個々の「面目」、「有様(ありよう)」が有るのである。


 例えば、「達磨の『眼睛』、『見る眼』によって人々を作っている」と言っているのである。

 如浄は人々を作ったのである。


 「人を打つ」道理とは、このような物なのである。


 「眼睛」、「見る眼」によって打ち坐っている人々であるので、今の「雲堂」、「僧堂」での「人を打つ」、「拳頭」、「拳」や、

説法が行われる「法堂」、「講堂」での「人を打つ」杖や、

一丈四方の部屋での「人を打つ」、修行者を打って戒める竹の細長い板である竹箆(しっぺ)や、害虫を払うための毛がついた棒である払子は、達磨の「眼睛」、「見る眼」なのである。


 「達磨の『眼睛』、『見る眼』を抉(えぐ)り出して来て、泥の塊(かたまり)を作って人を打つ」事を、今の人は、「参請、請益」、「参禅請益」、「仏祖の所へ行って重ねて教えを請う事」や、

「朝上、朝参」、「早朝、師の所へ行って、師の説法を聴く事」や、

打ち坐って鍛錬する等と言うのである。


 どんな人を打って明らかにするのか?

 徹底的に海が枯れて波が天高く打つ人なのである。



 如浄は、堂に上って、如来、釈迦牟尼仏の仏道の成就をたたえて、「六年、『落草した』、『山賊に成った』、野狐の精霊。

超越した渾身は葛藤である。

『眼睛』、『見る眼』を見えなくして、求める所が無い。

人を誘惑して『明けの明星によって悟った』と今にまで言う」と言った。

 (

 釈迦牟尼仏は六年、山に入って、苦行した。

 「落草」は宋の時代の中国語で「山賊に成る」などを意味する。

 )


 「明けの明星によって悟った」とは、「『眼睛』、『見る眼』を見えなくした」時の客観的な話なのである。

 「明けの明星によって悟った」とは、「渾身の葛藤」なのである。そのため、簡単に「超越した」のである。


 「求めるべき所を求める」事は、形成されて現されたものをも「求める所が無い」し、未だ形成されて現されていないものにも「求める所が無い」のである。



 如浄は、堂に上って、「釈迦牟尼仏が眼睛を見えなくする時は、雪の中に梅は一枝の華だけである。

梅の枝は、今は至る所に棘(トゲ)を成している。

しかし、華が咲き乱れるように春風が吹くのを笑うであろう」と言った。



 言ってみれば、釈迦牟尼仏の「眼睛」、「見る眼」は一つ、二つ、三つだけではない。

 今、「見えなくする」のは、どの「眼睛」、「見る眼」であるとするのか?

 「『眼睛』、『見る眼』を見えなくした」と言う「眼睛」、「見る眼」が有るだろう。

 さらに、「『眼睛』、『見る眼』を見えなくした」と言う「眼睛」、「見る眼」が有る中に、「雪の中に梅は一枝の華だけである」、「眼睛」、「見る眼」が有り、春に先立って春の心を漏洩(ろうえい)するのである。



 如浄は、堂に上って、「『霖霪』、『長雨』の大雨や、広々と開けている大晴れ。

『ガマガエル』、『ヒキガエル』が鳴くし、ミミズが鳴く。

古代の仏は、かつて過ぎ去らず、金剛の『眼睛』、『見る眼』を発揮する。

なんと!

葛藤、葛藤」と言った。



 「金剛の『眼睛』、『見る眼』」とは、「『霖霪』、『長雨』の大雨」なのであるし、

「広々と開けている大晴れ」なのであるし、

「『ガマガエル』、『ヒキガエル』が鳴く」事なのであるし、

「ミミズが鳴く」事なのである。


 「かつて過ぎ去らない」ので、「古代の仏」なのである。

 たとえ「古代の仏」が「過ぎ去っても」、古代の仏ではない人が過ぎ去る事と同じではない。



 如浄は、堂に上って、「(春に)太陽は南で長く成るに至り、『眼睛』、『見る眼』の中で光を放ち、『(真理を嗅ぎ分ける)鼻の孔(あな)』の中から息を出す」と言った。



 今の綿々としている「一陽」、「冬が去り春が来る事」と「三陽」、「春の三か月」に、太陽と月は長く成るに至り、「連底脱落」、「奥底まで連続を脱ぎ落とす」のである。

 これが、「『眼睛』、『見る眼』の中で光を放つ」事なのであるし、「日陰で山を看(み)る」事なのである。

 この中での有様(ありよう)や身のこなしは、このような物なのである。



 如浄は、ある時、臨安府の浄慈寺で、堂に上って、「今朝、二月、初日の第一日、害虫を払うための毛がついた棒である払子と、『眼睛』、『見る眼』が突出する。

鏡のように明らかであり、漆(うるし)のように黒い。

突然、飛び出して、『乾坤』、『天地』を飲み込んで、一色にする。

私の門下の弟子達はなお牆に突き当たり壁に突き当たる。

最終的に、どうするのか?

情を尽くして、ひねって、『ハハ』と笑い、春風に一任する。

どうしようもない」と言った。



 「牆に突き当たり壁に突き当たる」とは、牆を揮(ふる)って突き当たるのであるし、壁を揮(ふる)って突き当たるのである。

 この「眼睛」、「見る眼」が有る。


 「今朝」や「二月」や「初日の第一日」は共に、個々の「眼睛」、「見る眼」なのであるし、「害虫を払うための毛がついた棒である払子と、『眼睛』、『見る眼』」なのである。

 「突然、飛び出す」ので「今朝」なのである。

 何千万個も「『乾坤』、『天地』を飲み込む」ので「二月」なのである。

 「情を尽くして、ひねる」時は「初日の第一日」なのである。



 「眼睛」、「見る眼」が形成して現す手段は、このような物なのである。



 正法眼蔵 眼睛


 時に、千二百四十三年、越州の禅師峰の麓(ふもと)にいて僧達に示した。

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