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正法眼蔵 面授

 その時、釈迦牟尼仏は、西のインドの霊山の会で、百万の者達の中で、優曇華をひねって目を(またた)かせた。

 時に、(摩訶)迦葉は「破顔微笑」した。

 釈迦牟尼仏は、「私(、釈迦牟尼仏)には『正法眼蔵涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心』が有り、(摩訶)迦葉に付属する」と言った。



 これが、仏から仏へ、祖師から祖師へ、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を「面授する」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて(さず)かる」道理なのである。


 「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は、過去七仏が正しく伝えて、初祖の迦葉に至った。

 初祖の迦葉から、(初祖の迦葉を含む)二十八人の祖師達が授かって、二十八祖の(菩提)達磨に至った。

 二十八祖の(菩提)達磨は、自ら中国に降りて、大いなる祖師である、正宗普覚大師と呼ばれる二十九祖の慧可に面授した。

 (二十九祖の慧可を含む)五人の祖師達に伝えられて、曹谿山の、三十三祖の大鑑禅師と呼ばれる慧能に至った。

 三十三祖の大鑑禅師から、十七人の祖師達が授かって、道元の亡き師である、古代の仏と等しい、宋の時代の中国の慶元府の、「太白名山」、「天童山」の、五十祖の如浄に至った。



 千二百二十五年、宋の時代の中国で、妙高台という部屋で、道元は初めて五十祖の如浄に焼香して礼拝した。

 如浄は初めて道元を見た。

 その時、如浄は、道元に、自分で直接伝授して、面授して、「仏から仏へ、祖師から祖師への面授の法門が形成されて現された」と言った。



 如浄から道元への初めての言葉は、霊山での釈迦牟尼仏の「拈華瞬目」なのであるし、

蒿山での二十八祖の達磨から二十九祖の慧可への「得髄」なのであるし、

黄梅山での三十二祖の弘忍から三十三祖の大鑑禅師への「伝衣」なのであるし、

三十八祖の洞山良价の「面授」なのである。


 如浄から道元への初めての言葉は、仏祖の「眼睛」、「見る眼」の面授なのである。


 「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は「私の家の中」だけに有り、他の人は夢にも未だ見聞きした事が無いのである。


 面授の道理を、釈迦牟尼仏は、迦葉仏の会の下で目の当たりにして面授し保持し護って来ているので、仏祖の「面」、「有様(ありよう)」なのである。

 仏の「面」、「有様(ありよう)」によって面授しなければ、諸仏ではないのである。


 釈迦牟尼仏は初祖の迦葉を目の当たりにして見て親しかったのである。

 二祖の阿難陀や、釈迦牟尼仏の息子の羅睺羅といえども、初祖の迦葉が釈迦牟尼仏に親しく従った事には及ばない。

 諸大菩薩といえども、初祖の迦葉が釈迦牟尼仏に親しく従った事には及ばないし、初祖の迦葉の座に座る事ができ得ない。


 釈迦牟尼仏と初祖の迦葉が同じ座に坐り同じ衣を着た事を一代の仏としての()()いとしている。


 初祖の迦葉は親しく釈迦牟尼仏からの面授を面授したし、心授したし、身授したし、眼授した。


 初祖の迦葉は、釈迦牟尼仏に捧げものを捧げ、(うやうや)しく敬い、礼拝して(まみ)えた。

 初祖の迦葉の粉骨砕身は幾千、幾万の変化か測り知れない。

 初祖の迦葉の自己の「面目」、「有様(ありよう)」は自己の「面目」、「有様(ありよう)」ではなく、如来、釈迦牟尼仏の「面目」、「有様(ありよう)」を面授した。


 釈迦牟尼仏は、正しく、初祖の迦葉を見た。

 初祖の迦葉は、目の当たりにして、二祖の阿難陀を見た。

 二祖の阿難陀は、目の当たりにして、初祖の迦葉の仏の「面」、「有様(ありよう)」を礼拝した。

 これが面授なのである。

 二祖の阿難陀は、面授に住んで保持して、三祖の商那和修と接して面授した。

 三祖の商那和修は、正しく、二祖の阿難陀と(まみ)えて、「ただ仏と仏だけ」、「ただ『面』、『有様(ありよう)』と『有様(ありよう)』だけ」で、面授し面受した。

 このように、正統な代々の祖師達は共に、弟子は師に(まみ)え、師は弟子を見る事によって面授して来ている。


 一人の祖師、一人の師、一人の弟子でも面授しなければ、仏から仏へではないし、祖師から祖師へではない。


 例えば、水を合流させて師弟の系譜を成長させたり、(ともしび)をともし続けて光明を常に存在させたりして、法が千、万、億、無数であっても、(もと)と成っている枝は唯一普遍絶対であるような物である。


 面授とは、師弟の呼吸が合うのである。


 祖師達は、釈迦牟尼仏を目の当たりにして見守って、一生のうちの日夜を積み重ねたのであるし、

仏の「面」、「有様(ありよう)」に見守られて、一代のうちの日夜を積み重ねたのであるが、

それが、どれだけの無量の劫を往来している事に成るのかと知らない。

 静かに想像して喜ぶべきである。


 祖師達の「眼睛」、「見る眼」や、「面目」、「有様(ありよう)」は、釈迦牟尼仏の仏の「面」、「有様(ありよう)」を礼拝し、

釈迦牟尼仏の仏眼を自分の眼に映し、

自分の眼を仏眼に映した、仏の「眼睛」、「見る眼」なのであるし、仏の「面目」、「有様(ありよう)」なのである。


 仏の「眼睛」、「見る眼」と「面目」、「有様(ありよう)」を伝えて、今に至るまで一代も間が途切れる事無く面授して来ているのが面授なのである。


 今までの数十代の正統な代々の祖師の「面」、「有様(ありよう)」は、仏の「面」、「有様(ありよう)」なのであるし、

本初の釈迦牟尼仏の仏の「面」、「有様(ありよう)」を面受しているのである。


 正しく伝えられている面授を礼拝する事は、正しく、釈迦牟尼仏を含む過去七仏を礼拝する事に成るのであるし、

初祖の迦葉などの西のインドの二十八人の仏祖達を礼拝して捧げものを捧げる事に成るのである。


 仏祖の「面目」、「有様(ありよう)」や「眼睛」、「見る眼」は、仏の「有様(ありよう)」や「見る眼」の面授なのである。


 仏祖に(まみ)える事は、釈迦牟尼仏などの過去七仏に(まみ)える事に成るのである。


 仏祖が親しく自己を面授するのは、仏祖に(まみ)えた時なのである。


 面授された仏(である仏祖である師)が面授された仏(である弟子)に面授するのである。


 (師の)葛藤を(弟子の)葛藤に面授し、さらに断絶しない。


 眼を開いて眼に眼授し、眼受する。

 面を現して面に面授し、面受する。


 面授は面での授受なのである。


 心をひねって心に心授し、心受する。

 身を現して身を身授するのである。


 他方、他国も、面授を(もと)としている。


 中国以東では、仏を正しく伝えている家の中でのみ、面授と面受が有る。

 面授によって、新たに如来を見る「正眼」、「正しくものを見る眼」を伝えて来ている。


 釈迦牟尼仏の「面」、「有様(ありよう)」を礼拝する時、釈迦牟尼仏から五十祖の如浄までの五十一人と、過去七仏の代々の仏達は、並ぶわけではないし、(つら)なるわけではないが、同時の面授が有る。


 一代でも、師を見なければ弟子ではないし、弟子を見なければ師ではない。


 必ず、見て、(まみ)えて、面授して来ている。


 代々の祖師達が弟子として師の仏法を()いで来ているのは、代々の祖師達が面授しているものである、仏道が形成されて現されているのである。

 このため、如来、釈迦牟尼仏の「面」、「有様(ありよう)」の光を直接ひねって来ているのである。


 千年、万年、百劫、億劫といえども、面授は釈迦牟尼仏の「面」、「有様(ありよう)」が形成されて現されて授かるのである。


 仏祖が形成されて現されるとは、釈迦牟尼仏、初祖の迦葉、釈迦牟尼仏から五十祖の如浄までの五十一人の仏祖と、過去七仏の代々の仏達の、影が形成されて現されるのであるし、

光が形成されて現されるのであるし、

身が形成されて現されるのであるし、

心が形成されて現されるのであるし、

つま先が来るのであるし、

鼻先が来るのである。


 一言も未だ理解できず、一句の半分も未だ理解できなくても、師が眼以外を袈裟で覆っていても既に弟子を見、弟子が既に頂上より師を拝んで来ていれば、正しく伝えられた面授なのである。

 このような面授を尊重するべきなのである。


 面授は、わずかに(師の)心の跡を(弟子の)心に表すようであろう。

 必ずしも大いなる尊い(たっと)い物ではないであろう。


 「面」、「有様(ありよう)」を新しい物に換えて面授し、頭をめぐらして面授するのは、「面」、「有様(ありよう)」の皮の厚さは三寸と成るであろうし、(三寸は約九センチ。「三寸」は「薄い事」を意味する場合が有る。)

「面」、「有様(ありよう)」の皮の薄さは一丈と成るであろう。(一丈は約三メートル。)

 「面」、「有様(ありよう)」の皮とは、諸仏の大いなる円鏡である。

 諸仏の大いなる円鏡を「面」、「有様(ありよう)」の皮としているので、内外に(きず)(かげ)りも無いのである。

 諸仏の大いなる円鏡が、諸仏の大いなる円鏡を面授して来ているのである。


 釈迦牟尼仏を目の当たりにして見る正しい仏法を正しく伝えて来る事は、釈迦牟尼仏、本人よりも釈迦牟尼仏の仏法に親しむ事に成るのである。

 鋭い眼によって「前後三三」の釈迦牟尼仏を見て出現させるのである。

 このため、釈迦牟尼仏を重んじ、釈迦牟尼仏を恋い慕うには、面授による正しい伝授を重んじ尊び(あが)め、出会い難い物として敬い重んじ礼拝するべきである。


 面授を礼拝する事は、如来、釈迦牟尼仏を礼拝する事に成るのであるし、

如来、釈迦牟尼仏によって面授される事に成るのである。


 如来、釈迦牟尼仏を新たに面授する、正しく伝えられている学への参入が、古くからのままであるのを拝見する者は、「自己である」と思っている自己であっても、他者であっても、愛して大切にするべきなのであるし、保持して護るべきなのである。



 仏教という仏の家の中に正しく伝えられている所によると、「『八塔』、『寺の起源と言われている、最初は八つであった、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔』を礼拝する者は、『罪障』、『悪業』から解脱し、仏道修行の結果である悟りを感得する」と言われている。



 釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔は、釈迦牟尼仏の仏道が形成されて現された所として、釈迦牟尼仏が「この世」に生まれた所に建てられ、

釈迦牟尼仏が「法輪を転じた」、「法を説いた」所に建てられ、

釈迦牟尼仏が「仏道を成就した所」、「悟った所」に建てられ、

釈迦牟尼仏の「涅槃の所」、「肉体が死んだ所」に建てられ、

曲女城(カナウジ)」の(あた)りに残り、

毘舎離(ヴェーサーリー)城外の菴羅(マンゴー)林の番人の養女で比丘尼と成ったアンバパーリーが釈迦牟尼仏に帰依して捧げたマンゴー林に残っている。


 釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔は、大地を形成しているし、大空を形成している。


 「色声香味触法」の所などに、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔が形成されるのを礼拝する事によって、仏道修行の結果である悟りを感得する。


 最初は八つであった、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔を礼拝する事を、西のインドでは、(あまね)く勤めるべき仏道修行としていて、在家者、出家者、天人達、人達は競って礼拝して捧げものを捧げているのである。


 釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔は、一巻の経典なのである。

 仏の経とは、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔なのである。


 まして、「三十七品菩提分法」を修行して、仏道修行の結果である悟りを個々の生で成就する事は、釈迦牟尼仏の古今に渡る修行、修治の行跡を、所々の「古路」、「修行の道」に広めて、古今に歴然とさせるので、仏道を成就する。


 知るべきである。

 最初は八つであった、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔は、何重にも重なるし、秋の(しも)から春の華までの年度は何度か改まる。

 風や雨が何度も侵そうとしたが、(くう)に跡が残っているし、色に跡が残っている功徳を今の人に惜しまないで減少しない。


 「信根、精進根、念根、定根、慧根」という「(五)根」や、

「信力、精進力、念力、定力、慧力」という「(五)力」や、

「択法覚支、精進覚支、喜覚支、除覚支、捨覚支、定覚支、念覚支」という「(七等)覚(支)」や、

「正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」という「(八聖)道」といった、

「三十七品菩提分法」を、今、修行しようとすると煩悩、惑障は有るが、修行して証すると、「三十七品菩提分法」の力はなお今も新しいのである。


 釈迦牟尼仏の功徳とは、このような物なのである。


 まして、面授は、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔や「三十七品菩提分法」と比べられないのである。

 「三十七品菩提分法」は、面授の、仏の「面」、「有様(ありよう)」や、仏の心や、仏の身や、仏の言葉や、仏の光や、仏の舌などを根元としている。

 最初は八つであった、釈迦牟尼仏の遺骨を安置した塔の功徳の積み重ねもまた、面授の、仏の「面」、「有様(ありよう)」などを(もと)(もと)としている。


 今、仏法を学び修行する人として、「透脱」、「透体脱落」、「煩悩を透過して脱ぎ落とす」活路で生きるならば、閑静な場所で、昼夜、よくよく思量して鍛錬するべきなのであるし、喜ぶべきなのである。


 千二百四十三年の我が国、日本は他国よりも優れていて仏道は単独で無上なのである。

 他方には千二百四十三年の日本人のようではない輩が多い。

 (他国では仏道が単独で無上ではない輩が多い。)


 「千二百四十三年の我が国、日本では仏道が無上で単独で尊い」とは、霊山の者達が(あまね)く十方を化して導いているが、少林寺の、釈迦牟尼仏の正統な後継者である二十八祖の達磨の系譜が正しく中国で主と成っていて、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師の法の子孫が今にまで面授している事である。


 今が、仏法の者が新たに「入泥入水」、「生者を救うために泥や水に入る」好い時なのである。

 「今、証果しなければ、いつ証果するのか?」、「今、悟らなければ、いつ悟るのか?」。

 今、迷いを断たなければ、いつ迷いを断つのか?

 今、仏と成らなければ、いつ仏と成るのか?

 今、坐仏として坐らなければ、いつ行仏として行うのか?

 明確に詳細に鍛錬するべきである。


 釈迦牟尼仏が、かたじけなくも、初祖の迦葉に付属、面授して、「私(、釈迦牟尼仏)には『正法眼蔵涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心』が有り、(摩訶)迦葉に付属する」と言った。

 蒿山の二十八祖の達磨の会では、二十八祖の達磨は、正しく、二十九祖の慧可に示して、「あなたは私の髄を得た」(、「私を会得した」)と言った。

 測り知る事ができる。

 「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を面授でき、「あなたは私の髄を得た」(、「私を会得した」)を面授できるのは、面授だけなのである。


 面授の時、あなたが日頃の「骨髄」、「理解」を「透脱」、「透体脱落」、「透過して脱ぎ落とす」時、仏祖の面授が有るのである。


 大いなる悟りを面授し、心の印を面授しても、一隅に過ぎないのである。

 伝え尽していないわけではないが、未だに欠けている悟りの道理に参入して究めていないのである。


 仏祖の大いなる仏道は、「面授と面受だけ」、「面受する『面』、『有様(ありよう)』と、面授する『面』、『有様(ありよう)』だけ」なのである。さらに余計な物は無いし、欠けている物は無いのである。


 面授に出会えた自己の「面目」、「有様(ありよう)」をも喜び、信じて受け入れて(おこな)っていくべきなのである。



 道元は、千二百二十五年に、初めて、亡き師である、古代の仏と等しい、天童山の五十祖の如浄を礼拝して面授した。

 やや奥義を許された。

 わずかに(古い)身心を脱ぎ落として、面授を保持させられ任せられたので、日本に帰った。



 正法眼蔵 面授


 その時、千二百四十三年、越宇の吉田県の吉峰精舎にいて僧達に示した。



 仏道の面授が、このような物である道理をかつて見聞きできず学が無い輩の中に、宋の時代の中国の仁宗皇帝の時代の「景祐」の時に、薦福寺の承古という者がいて、堂に上って、誤って「匡真大師と呼ばれる雲門文偃は、今も現に存在している。

皆もまた見えるかな?

もし見る事ができ得るならば、私と同じく参入している。

見えるかな?

見えるかな?

この事は真理を明らめて初めて得られるのである。

怠るべきではない。

昔、黄檗希運は、百丈の懐海から、馬祖道一が喝を下した話を聞いて、大いに反省した。

百丈の懐海は、黄檗希運に、『あなたは今後、馬祖道一の法を()ぐのか否か?』と質問した。

黄檗希運は、『私は馬祖道一を知ってはいますが、見た事はありません。もし私が馬祖道一の法を()げば、恐らく、私の法の子孫を失ってしまうでしょう』と言った。

皆、当時は馬祖道一が亡くなってから五年未満であった。

黄檗希運は自ら『見た事が無い』と言っているので、『黄檗希運の所見は円満ではない』と、まさに知れる。

黄檗希運は片目だけを備えていたのである。

私は、そうではない。

私は、雲門文偃を知っているし、雲門文偃を見た。

私は、雲門文偃の仏法を()ぐ事ができる。

ただ、雲門文偃が亡くなってから百年余りである。

どうして今、私は奥底まで親しく見た道理を説く事ができるのか?

理解できるかな?

仏法に通達した人は証明できる。

目が不自由な者どもは、心に疑いと悪口を生じる。

見る事ができ得た者は、疑いや悪口を言う事は無い。

未だ見ていない者は、()て理解して取るのか否か?

長らく立たせてしまったが、御自愛ください」と言ってしまった。



 承古が雲門文偃を知っていて雲門文偃を見た事をたとえ許しても、雲門文偃は承古を目の当たりにして見たのか否か? いいえ!

 雲門文偃が承古を見ていなければ、承古は雲門文偃の仏法を()ぐ事はでき得ない。

 雲門文偃は未だ承古が仏法を()ぐ事を許していないので、承古もまた「雲門文偃は私を見た」と言えなかった。

 「承古は雲門文偃を未だ見ていない」と知る事ができる。


 過去、現在、未来の、過去七仏を含む諸仏のうち、どの仏祖が師弟として(まみ)えていないのに仏法を()いでいるのか? いいえ!

 承古よ、「黄檗希運の所見は円満ではない」と言う事なかれ。

 どうして承古が黄檗希運の有様(ありよう)を測る事ができるだろうか? いいえ!

 どうして承古が黄檗希運の言葉を測る事ができるだろうか? いいえ!

 黄檗希運は古代の仏と等しいし、仏法を()ぐ事に参入して究めている。

 承古は仏法を()ぐ道理をかつて夢にも未だ見聞きしたり参入して学んだりした事が無いのである。

 黄檗希運は師の仏法を()ぎ、祖師を保持させられ任せられている。

 黄檗希運は師に(まみ)え、師を「見た」、「理解した」。

 承古は全く師を「見ていない」、「理解していない」し、祖師について知らないし、自己を知らないし、自己を「見ていない」、「理解していない」。

 承古を見る師はいないし、承古の師を見る眼は未だ開いていない。

 本当は、承古の所見が円満ではないのであるし、承古の仏法の継承が円満ではないのである。

 承古は「雲門文偃が黄檗希運の法の子孫である」と知っているのか否か?

 どうして承古が百丈の懐海と黄檗希運の言葉を測り知る事ができるだろうか? 承古は雲門文偃の言葉ですらなお測り知る事ができていないのに。

 学に参入する力が有る者が、百丈の懐海と黄檗希運の言葉をひねって挙げるのである。

 直接的に指し示された「落所」、「思考が落ち着き決着する所」が有る者は百丈の懐海と黄檗希運の言葉を測り知る事ができる。

 承古は学への参入が無いし、「落所」、「思考が落ち着き決着する所」が無いので、百丈の懐海と黄檗希運の言葉を測り知る事ができないのである。

 承古は誤って「当時、馬祖道一が亡くなってから五年未満であったのに、黄檗希運は馬祖道一の仏法を()がなかった」と言っているが、実に、笑っても不足である。

 もし(まみ)えなくても仏法を()ぐ事ができるのであれば、無量の劫の後でも仏法を()ぐ事ができる。

 もし(まみ)えないと仏法を()ぐ事ができないのであれば、半日後であっても、一瞬、後であっても、仏法を()ぐ事ができない。

 承古は全く仏道の日面も月面も「見ていない」、「理解していない」、仏法に暗い愚か者なのである。

 承古は誤って「雲門文偃が亡くなってから百年余りであるが、雲門文偃の仏法を()いだ」と言っているが、承古には神聖な力が有って雲門文偃の仏法を()いだのか? いいえ!

 承古の言葉は三歳の幼子の言葉よりも(はかな)い。

 雲門文偃が亡くなってから千年後に雲門文偃の仏法を()ぐ者は、承古の十倍の力が有るだろう。


 私、道元が承古を救おう。


 「公案」、「修行者に考えさせるための仏祖の言動」の学に参入するべきである。

 百丈の懐海が言った「あなたは今後、馬祖道一の法を()ぐのか否か?」という言葉は、「馬祖道一の法を()ぎなさい」と言っているわけではないのである。


 承古よ、「獅子奮迅」という話の学に参入するべきであるし、「烏亀倒上樹」という話の学に参入して、進退の活路に参入して究めるべきである。


 仏法を()ぐと、このような、学に参入する力が有るのである。


 黄檗希運が言った「恐らく、私の法の子孫を失ってしまうだろう」という言葉を、全く承古には測り知る事ができていない。

 「私」という言葉と、「法の子孫」である人々は、「誰々である」か知っているか?

 明確に詳細に学に参入するべきである。

 隠れず現れて言葉が形成されて現されている。


 それなのに、仏国惟白という者は、仏祖の仏法を()ぐ事について暗いので、誤って承古を雲門文偃の仏法の後継者に並べてしまっているが、誤りなのである。

 後進の者は、知らないで、誤って「承古にも学への参入が有る」と思ってしまう事なかれ。


 承古の言う通り、文字だけによって仏法を()ぐ事ができるのであれば、経を見て明らかに悟る者は皆、釈迦牟尼仏から仏法を直接、()ぐ事に成るのか? いいえ! そうは成らないのである!


 経によって明らかに悟る者は、必ず、正しい師による悟りの証明を求めるのである。


 承古の言葉通りであれば、承古は雲門文偃の語録をなお未だ「見ていない」、「理解していない」のである。


 雲門文偃の言葉を「見た」、「理解した」僧だけが雲門文偃の仏法を()いでいる。


 承古は、自己の眼によって未だ雲門文偃を「見ていない」、「理解していない」し、

自己の眼によって未だ自己を「見ていない」、「理解していない」し、

雲門文偃の眼によって未だ雲門文偃を「見ていない」、「理解していない」し、

雲門文偃の眼によって未だ自己を「見ていない」、「理解していない」。


 このように、承古には未だ参入して究めていない物が多い。


 承古は、さらに(新しい)履物を買って来て去って正しい師を求めて、仏法を()ぐべきである。


 承古は誤って「雲門文偃の仏法を()いだ」と言う事なかれ。

 もし、こう言ってしまったら、外道の(たぐい)と成ってしまう。


 たとえ百丈の懐海であっても、承古のような事を言ってしまえば、大いなる誤りと成ってしまう。

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