正法眼蔵 陀羅尼
学に参入する見る眼が明らかな人は、「正法眼」、「正しくものを見る眼」も明らかなのである。
「正法眼」、「正しくものを見る眼」が明らかなので、学に参入する見る眼が明らかである事を得るのである。
「学に参入する見る眼の明らかさと、正しくものを見る眼の明らかさの、相互関係」という「関棙」、「ぜんまい」、「からくり仕掛け」、「原動力」を正しく伝えられる事は、必然的に、大いなる善知識を持つ人々に見える力に成るのである。
大いなる善知識を持つ人々に見える事は、大いなる「因縁」、「原因と『縁』、『つながり』」なのであるし、「大陀羅尼」、「大いなる真理の保持」なのである。
「大いなる善知識を持つ人々」とは、仏祖なのである。
必ず仏祖の弟子に成って慎んで勤めるべきである。
仏祖である師に、茶を捧げたり、茶を点じたりすると、心の要が形成されて現されるし、「神通」、「理解」が形成されて現される。
(原文は「擎茶来、点茶来、心要現成せり、神通現成せり」。)
仏祖である師に、水を注いだり、水を流したりすると、知覚の対象に動揺しなく成るし、隣の部屋で理解するように成る。
(
原文は「盥水来、瀉水来、不動著境なり、下面了知なり」。
「下面」は「隣の部屋」を意味する。
「正法眼蔵」の「神通」で、香厳の智閑は隣の部屋で理解していた。
)
また、仏祖の心の要の学に参入するだけではなく、仏祖の心の要の中の一、二人の仏祖に出会うのである。
仏祖の「神通」、「理解」を受用するだけではなく、「神通」、「理解」の中の七、八人の仏祖を会得するのである。
そのため、あらゆる仏祖の心の要は、「仏祖である師に弟子として仕える」という一ひねりに究め尽される。
あらゆる仏祖の「神通」、「理解」は、「仏祖である師に弟子として仕える」という一束に究め尽される。
このため、仏祖に見えるのに、天の華や天の香を捧げるのは、正しくないわけではないが、
「三昧陀羅尼」、「三昧の保持」をひねって、仏祖に見えて、何ものかを捧げるのが、仏祖の法の子孫なのである。
ところで、「大陀羅尼」、「大いなる真理の保持」とは、「人事」、「人が可能な事」なのである。
「人事」、「人が可能な事」とは、「大陀羅尼」、「大いなる真理の保持」なのである。
そのため、仏祖に見えると、「人事」、「人が可能な事」が形成されて現されるのに出会うのである。
「人事」という言葉は、中国の言葉を本として、世俗に長く流通しているが、(「人事」という言葉の正しい意味は、)梵天から伝わっておらず、西のインドから伝わっておらず、仏祖が正しく伝えている。
人事とは、音声や色形の境地ではないのであり、威音王仏の前後を論じる事なかれ。
「人事」、「人が可能な事」とは、師に焼香して礼拝する事なのである。
出家の本師か、仏法を伝えてくれた本師がいる。
仏法を伝えてくれた本師が出家の本師でもある事も有る。
出家の本師か、仏法を伝えてくれた本師に、必ず、帰依して留まって見える事が、師の所へ行って質問する事の「陀羅尼」、「保持」と成るのである。
その時、その時を虚しく過ごさず、師のそばで仕えるべきである。
安居の最初と最後に、「冬年」、「冬至と、毎年の最初の日」に、毎月の最初の日に、毎月の十五日に、必ず、師に焼香して礼拝する。
師に焼香して礼拝する作法は、朝食前か朝食後を、師に焼香して礼拝する時としている。
身なりを整えて師の所へ行く。
「身なりを整える」とは、袈裟を着て、坐具を持って、履物と靴下を整えて、一欠片の沈香や浅香などを携帯して、師の所へ行く事である。
師の前へ行って、合掌し低頭し安否を尋ねる。
師のそばに仕えている僧は、その時、香炉を(台に)備えつけ、明かりを立てる。
もし師が椅子に座っていれば、焼香する。
もし師が帳の奥にいれば、焼香する。
師が横たわっている場合か、朝食を食べている場合か、その他の似たような場合は、焼香する。
もし師が地に立っていれば、「和尚様、座ってください」と言って合掌し低頭する。
「和尚様、御自由になさってください」と、お願いする事も有る。
師に椅子へ座る事をお願いする言葉は多数、有る。
お願いして師を椅子に座らせた後で合掌し低頭し安否を尋ねる。
身をかがめて、作法通りにする。
合掌し低頭し安否を尋ね終わったら、香炉が乗せられている台の前面に歩み寄り、携帯している一欠片の香を香炉に立てる。
香を立てるが、香を衣の襟に差し挟んでいる事も有るし、懐の中に持っている事も有るし、袖の中に携帯している事も有るが、各人の心次第である。
合掌し低頭し安否を尋ねた後、香をひねり出して、もし紙に包んでいたら、右手へ向かって肩を転じて包んでいた紙を解いて下げて、両手で香を捧げて、香を香炉に立てるのである。
香は香炉に真っ直ぐに立てるべきである。傾かせる事なかれ。
香を立て終わったら、両手を胸の前で重ねて立ち、右へまわって歩いて、師の正面へ行き、師に向かい身をかがめて、作法通りにして、合掌し低頭し終わったら、坐具を広げて礼拝するのである。
礼拝は、九回、礼拝するか、十二回、礼拝するのである。
礼拝し終わったら、坐具を撤収して、合掌し低頭する。
一回、坐具を広げて三回、礼拝して、時候の挨拶を述べる事も有る。
九回、礼拝する場合は、時候の挨拶を述べず、一回、坐具を広げて三回、礼拝する事を三回くり返すべきなのである。
礼拝の作法は、遥かな過去七仏から伝わっているのである。
礼拝の主旨も正しく伝わって来ている。
このため、このような作法を用いるのである。
このような礼拝を、礼拝する時を迎えるたびに行い、止める事は無い。
その他には、師から教えを被るたびに礼拝する。
師に話をお願いしようとする時にも礼拝するのである。
二十九祖の慧可が、昔、仏法の会得の所見を二十八祖の達磨に表す時に、三回、礼拝したのは、これなのである。
(そして、達磨は慧可に「あなたは私の髄を得た」と言った。)
慧可は、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」の有様を開演するために三回、礼拝した。
知るべきである。
師を礼拝するのは、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」なのである。
「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」とは、「大陀羅尼」、「大いなる真理の保持」なのである。
師に教えを請う時の礼拝は、千二百四十三年頃は、一回、頭を地につけて礼拝する事を多く用いる。
古くからの作法では、三回、頭を地につけて礼拝するのである。
師の教えへの感謝の礼拝の回数は、必ずしも、九回や十二回ではない。
三回、頭を地につけて礼拝したり、一回、頭を広げていない坐具につけて礼拝したり、六回、頭を地につけて礼拝したりする。
全て共に、頭を地につけて礼拝するのである。
西のインドでは、頭を地につける礼拝を「最上の礼拝」と呼んでいる。
頭で地を叩くようにつける。額を地に当てて打つようにつけるのである。血が出るまでする事もあるほどである。
頭を地につけて礼拝する時にも、坐具を広げるのである。
一回の礼拝も、三回の礼拝も、六回の礼拝も共に、額で地を叩くようにつけるのである。
「頭を地につける礼拝」とも呼ばれている。
世俗でも、「頭を地につける礼拝」は有るのである。
世俗には、九種類の礼拝が有る。
また、師から教えてもらえた時は、「不住拝」、「師がいなくても礼拝する事」が有る。
師を礼拝して、(師がいなく成っても、)礼拝が止まらないのである。
礼拝が、百回、千回、無数の回までも至るのである。
全ての礼拝は共に、仏祖の会で用いて来ている礼拝なのである。
全ての礼拝は、ただ、師の指示を守って、作法通りに礼拝するべきである。
礼拝が世界に存在する時、仏法も世界に存在するのである。
もし礼拝が隠れてしまえば、仏法も身を隠してしまうのである。
仏法を伝えてくれた本師を礼拝する場合は、時を選ばないで、場所を論じないで、礼拝するのである。
師が横たわっている時や食べている時でも礼拝するし、
師が大便や小便を行っている時でも礼拝する。
師を牆壁を隔てても礼拝するのであるし、
山や川を隔てても遥か遠くから師を望んで礼拝するのである。
師を「劫波」、「時」を隔てても礼拝するし、
生と死が来たり去ったりするのを隔てても礼拝するし、
「覚」や「涅槃」、「寂滅」を隔てても礼拝する。
このように、弟子が種々の礼拝をしても、仏法を伝えてくれた本師は礼拝では応じず、ただ合掌するだけである。
師が自ら「奇拝」、「変わった礼拝」を用いる事も有るが、不確かな事には用いなかった。
師を礼拝する時は、必ず、北へ向かって礼拝するのである。
師は、南へ向かって正しく座る。
弟子は師の面前で地に立って、顔を北へ向けて師に向かって師を礼拝するのである。
これが本来の正しい礼拝の作法なのである。
「自ら帰依する正しい信心が起これば、必ず、北へ向かって礼拝する事が最初に行われる」と正しく伝わっている。
このため、釈迦牟尼仏が存命中、釈迦牟尼仏に帰依した人達、天人達、竜達は共に、北へ向かって釈迦牟尼仏を恭しく敬い礼拝したのである。
釈迦牟尼仏が最初に仏法を説いた時には、阿若 憍陳如(拘隣)、阿湿卑(阿陛)、摩訶摩南(摩訶拘利)、波提(跋提)、婆敷(十力迦葉)という「五比丘」は、如来、釈迦牟尼仏が仏道を成就した後、無意識に起きて立って、釈迦牟尼仏に向かって北へ向かっての礼拝を捧げた。
外道や「魔」、「仏敵」の仲間も、誤りを捨てて仏に帰依する時は、必ず、自分や他者が計画しなくても、北へ向かって礼拝するのである。
釈迦牟尼仏から今まで、西のインドの二十八人の祖師達、東の地の中国の諸々の祖師達の会に来て正しい仏法に帰った者は皆、自然に北へ向かって礼拝するのである。
北へ向かって礼拝するのは、正しい法が、あえて、そうするのであり、師弟が計画した物、意図した物ではない。
礼拝は、「大陀羅尼」、「大いなる真理の保持」なのである。
「ある『大陀羅尼』が有り、『円覚』、『完全で円満な悟り』と呼ぶ。
ある『大陀羅尼』が有り、『人事』、『人が可能な事』と呼ぶ。
ある『大陀羅尼』が有る。
礼拝を形成して現す事である。
ある『大陀羅尼』が有り、袈裟と呼ぶ。
ある『大陀羅尼』が有り、『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』と呼ぶ」という「陀羅尼」、「言葉」を唱えて、尽大地を鎮静化して護って来ているし、
尽方界を鎮静化して形成して来ているし、
尽時界を鎮静化して現して来ているし、
尽仏界を鎮静化して成して来ているし、
庵の内外を鎮静化して通じて来ている。
「『大陀羅尼』とは、このような物である」として学に参入して究めて、わきまえるべきなのである。
一切の全ての「陀羅尼」、「真理の保持」または「言葉」は、「大陀羅尼」を「字母」、「本」としている。
「大陀羅尼」の眷属として、一切の全ての「陀羅尼」、「真理の保持」は形成されて現されている。
一切の仏祖は、必ず、「大陀羅尼」という門によって、「発心」、「悟りを求める事を思い立って心する事」や、仏道をわきまえる事や、仏道を成就する事や、「法輪を転じる事」、「法を説く事」が有るのである。
そのため、既に仏の法の子孫なのであるから、「大陀羅尼」に明確に詳細に参入して究めるべきなのである。
釈迦牟尼仏の衣が覆っているものは、十方の一切の仏祖の衣が覆っているものなのである。
釈迦牟尼仏の衣が覆っているものは、袈裟が覆っているものなのである。
袈裟は旗印としての仏達なのである。
これをわきまえ受け入れる事は、仏に出会い難いような物なのである。
僻地の人の身を受けて、愚かであるが、前世で陀羅尼を植えた善の種の力が形成されて現されて、釈迦牟尼仏の仏法に、生まれ、出会った。
たとえ、百草の近くで、自ら成ったり他者によって成ったりした諸々の仏祖を礼拝しても、釈迦牟尼仏の仏道の成就に成るのであるし、釈迦牟尼仏の仏道をわきまえる鍛錬に成るのである。陀羅尼が神秘的に変化させるのである。
たとえ千、億の無量の劫に古代の仏や今の仏を礼拝しても、釈迦牟尼仏の衣が覆っている時なのである。
ひとたび袈裟で身体を覆うのは、既に、釈迦牟尼仏の身や、肉や、手足や、頭や、目や、髄や、脳や、光明や、「転じている法輪」、「説いている仏法」を得たのである。
このような物を得て袈裟を着るのである。
このような物を得て袈裟を着るのは、袈裟を着る功徳を形成して現す事に成るのである。
袈裟を着る事を保持し任せられ、袈裟を着る事を好み楽しんで、時と共に守護し袈裟を着て釈迦牟尼仏を礼拝して捧げものを捧げるのである。
袈裟を着る中で、「三阿僧祇劫」の修行をも、わきまえ受け入れて究め尽すのである。(仏に成るには「三阿僧祇劫」と「百大劫」という長い年月がかかると言う場合が有る。)
「釈迦牟尼仏を礼拝して捧げものを捧げる」とは、仏法を伝えてくれた本師を礼拝して捧げものを捧げたり、出家の本師を礼拝して捧げものを捧げたりする事なのである。
師を礼拝して捧げものを捧げる事は、釈迦牟尼仏を見て法と陀羅尼を捧げる事なのである。
道元の亡き師である、古代の仏と等しい、天童山の五十祖の如浄は、示して、「(二十九祖の慧可は、)雪の上に来て、(師を)礼拝したし、(三十三祖の大鑑禅師は、)糠の中にいて、(師を)礼拝した。優れた行跡であるし、(私達の)先人の行跡であるし、『大陀羅尼』である」と言った。
正法眼蔵 陀羅尼
その時、千二百四十三年、越宇の吉峰寺にいて僧達に示した。




