正法眼蔵 仏道
曹谿山の、古代の仏と等しい、三十三祖の大鑑禅師と呼ばれる慧能は、ある時、僧達に示して、「慧能から過去七仏まで四十人の祖師達がいる」と言った。
この言葉に参入して究めると、過去七仏から三十三祖の慧能まで四十人の仏達がいる。
仏から仏へ、祖師から祖師へ数えるには、このように数えるのである。
このように数えれば、過去七仏は七人の祖師達であるし、初祖から三十三祖までの三十三人の祖師達は三十三人の仏達である。
曹谿山の、三十三祖の大鑑禅師の言葉の主旨は、このような物なのである。
これは、正統な仏法の後継者である仏の教えなのである。
正しく伝えられている正統な仏法の後継者だけが、このような数え方の仏法を正しく伝えられている。
釈迦牟尼仏から三十三祖の大鑑禅師まで三十四人の祖師達がいる。
この、仏祖の伝承では、初祖の迦葉が如来、釈迦牟尼仏に見えたように伝承しているし、如来、釈迦牟尼仏が初祖の迦葉を得たように伝承している。
釈迦牟尼仏が迦葉仏の学に参入したような師弟関係は千二百四十三年の今も存在している。
このため、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を目の当たりに正統に代々伝えられて来ている。
仏法の正しい命とは、「正しくものを見る眼」を正しく伝えていく事だけなのである。
仏法は、このように「正しくものを見る眼」を正しく伝えているので、釈迦牟尼仏が付属した正統な代々なのである。
そのため、仏道は、功徳や、重要としている事を漏らさず全て備えている。
仏教は、西のインドから東の地の中国へ伝えられて、「十万八千里」なのである。
仏教は、釈迦牟尼仏の存命中から今日まで伝えられて二千年余りなのである。
この道理の学に参入していない輩は、仏祖が正しく伝えている「正法眼蔵涅槃妙心」、「正しくものを見る眼を持ち寂滅した妙なる心を持つ事」を妄りに誤って「禅宗」と呼んでしまっているし、
祖師を誤って「禅祖」と呼んでしまっているし、
学徒を誤って「禅子」や「禅和子」と呼んでしまっているし、
誤って「禅家流」を自称する事が有る。
これらは皆、偏見を根本としている枝葉なのである。
西のインドから東の地の中国まで、古くから今に至るまで、(仏祖が)「禅宗」と呼んだ事は無い。
「禅宗」と妄りに自称する人は、仏道を破る「魔」、「仏敵」なのであるし、仏祖の招かざる敵なのである。
石門の慧洪の「林間録」には次の様に記されている。
達磨は、梁から魏へ行った。
達磨は、蒿山の麓まで歩き、少林寺に留まった。
達磨は、壁に向かって坐禅するだけであった。
(達磨の坐禅は、)「習禅」、「色々な観念を習う事」ではない。
しかし、久しく人々は達磨の坐禅の理由を推測できなかった。
そのため、達磨の坐禅を「習禅」、「色々な観念を習う事」と誤って見なした。
「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」は諸々の修行のうちの一つでしかない。
どうして「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」によって達磨といった聖者を完全に表し尽すのに足りるであろうか? いいえ! 「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」では達磨といった聖者を表し尽すには不足である!
しかし、当時の人々は、「禅那者」、「習禅者」、「色々な観念を習う者」として達磨を誤って表現した。
また、歴史家達も、世論に従って、達磨を「習禅者達」、「色々な観念を習う者達」の一人に誤って並べてしまい、「枯木死灰」、「枯木や火が消えて冷えた灰の様な無欲」の段階の徒と誤って同一視した。
しかし、聖者は「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う」だけではない。
ただし、聖者は「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」をしないわけではない。
易の八卦は、陰と陽から出て来るが、陰と陽ではなく成る訳ではない様に。
達磨を二十八祖と呼ぶが、迦葉を初祖として達磨を二十八祖と呼ぶのである。
二十八祖の達磨は、過去七仏の最初の仏である毘婆尸仏から三十五代目である。
過去七仏と、二十八祖の達磨までの二十八人の代々の祖師達は、必ずしも「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」によって仏道を証し尽さなかった。
このため、古代の先人の、石門の慧洪は「林間録」で「『禅那』、『習禅』、『色々な観念を習う事』は諸々の修行のうちの一つでしかない。どうして『禅那』、『習禅』、『色々な観念を習う事』によって達磨といった聖者を完全に表し尽すのに足りるであろうか? いいえ! 『禅那』、『習禅』、『色々な観念を習う事』では達磨といった聖者を表し尽すには不足である!」と記している。
古代の先人の、石門の慧洪は、少し祖師達を見て来ていて、代々の祖師達の奥義に入っているので、このような言葉が有るのである。
石門の慧洪のような人は、宋の時代の中国の天下で得難いし、稀少である。
さて、達磨が壁に向かってしていた事が、たとえ「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」であっても、「禅宗」と呼ぶべきではない。
まして、「禅那」、「習禅」、「色々な観念を習う事」は未だ仏法の総合や要約ではない。
それなのに、仏から仏へ正しく伝えられている大いなる仏道を故意に「禅宗」と呼ぶ輩は、仏道は夢にも未だ見ていないし、聞いていないし、伝えられていないのである。
「『禅宗』を自称する輩にも仏法が有るだろう」と聞き入れる事なかれ。
誰が「禅宗」という誤った呼び名を呼んで来ているのか?
諸仏も祖師達も「禅宗」と呼んでいる人は未だいない。
知るべきである。
「禅宗」という誤った呼び名は、「魔波旬」、「魔」、「仏敵」が呼んでいるのである。
「魔波旬」、「魔」、「仏敵」による誤った呼び名を呼び続ける者は「魔」、「仏敵」の仲間なのであり、仏祖の法の子孫ではない。
釈迦牟尼仏は、霊山で、百万の僧達の前で、優曇華をひねって目を瞬かせた。
僧達は皆、(釈迦牟尼仏の「拈華瞬目」の意図を理解できず、)黙り込んでしまった。
ただし、(後の初祖の)迦葉だけが「破顔微笑」した。
釈迦牟尼仏は「私には『正法眼蔵涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心』が有り、『僧伽梨衣』、『大衣』と共に、摩訶迦葉に付属する」と言った。
釈迦牟尼仏が初祖の迦葉に付属したのは、「私、釈迦牟尼仏に有る『正法眼蔵涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心』」なのである。この他に、さらに、釈迦牟尼仏は「私に有る禅宗を迦葉に付属する」とは言わなかった。
釈迦牟尼仏は「大衣と共に付属する」と言ったが、「禅宗と共に付属する」とは言わなかった。
そのため、釈迦牟尼仏が存命中に、「禅宗」という呼び名は全く見聞きできない。
二十八祖の達磨は、時に、二十九祖の慧可に示して、「諸仏の無上の妙なる道は、長い年月、休まず努力して、行い難い事を能く行い、普通は忍耐しない忍耐し難い事を能く忍耐するのである。
どうして、矮小な徳行、矮小な智慧、軽率な心、慢心によって、真の知、真の教えを求めて得られるであろうか? いいえ!
矮小な徳行、矮小な智慧、軽率な心、慢心によって、真の知、真の教えを求めても得られない!」と言った。
また、二十八祖の達磨は、「諸仏の仏法の印は、人によって得るわけではない」と言った。
また、二十八祖の達磨は、「如来、釈迦牟尼仏は、『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』を初祖の迦葉に付属した」と言った。
二十八祖の達磨が示して言った言葉は、「諸仏の無上の妙なる道」と「諸仏の仏法の印」と「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」なのである。
二十八祖の時も全く「禅宗」と呼んだ事は無いし、「禅宗」と呼ぶ事ができる理由を見聞きできない。
「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は、釈迦牟尼仏のように「揚眉瞬目」、「拈華瞬目」して「面授して来ている」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて授けて来ている」し、
身心と、「骨髄」、「理解」によって、授けて来ているし、受けて来ているし、
身を受けるより前と身を捨てた後で伝授して来ているし、受けて来ているし、
心の上や心以外で伝授して来ているし、受けて来ているのである。
釈迦牟尼仏の会と、初祖の迦葉の会で、「禅宗」という呼び名は見聞きできないし、
二十八祖の達磨の会と、二十九祖の慧可の会で、「禅宗」という呼び名は見聞きできないし、
三十二祖の弘忍の会と、三十三祖の大鑑禅師の会で、「禅宗」という呼び名は見聞きできないし、
三十四祖の青原の行思の会と、三十四祖の南嶽の懐譲の会で、「禅宗」という呼び名は見聞きできない。
いつから誰が誤って「禅宗」と呼んで来ていると為すのか?
学者の中の、学者に数えられない似非学者の、ひそかに仏法を破壊しようとしたり盗用しようとしたりする輩が「禅宗」と呼んだのである。
仏祖が未だ許さない「禅宗」という呼び名を後進の者が妄りに自称するのは仏祖の「家門」、「家柄」を損なう。
また、仏から仏へ、祖師から祖師への仏法の他に、さらに「禅宗」と呼ばれる仏法が有るように成ってしまう。
もし仏祖の仏道以外の物が有るとすれば、外道の法であろう。
既に仏祖の法の子孫としては、仏祖の「骨髄」、「理解」や、「面目」、「有様」の学に参入するべきである。
仏祖の法の子孫は、仏祖の仏道に身を投じているのである。
仏祖の仏道の中から逃げ去って、外道の学に参入するべきではない。
人の身心を保持させられ任せられるのは稀であり、古くから仏祖達が仏道をわきまえて来ている力による物なのである。
仏祖の恩である力を受けて、人の身心を受けて、誤って外道を助けてしまうのは、仏祖の恩に報いるのではなく、恩を仇で返してしまう事に成ってしまう。
宋の時代の天下の凡庸な人々、俗人の多くは、「禅宗」という誤った妄りな呼び名を聞いて、仏道を誤って「禅宗」と呼んだり、「達磨宗」と呼んだり、「仏心宗」と呼んだりした。
仏道に対する誤った妄りな呼び名が競って広められて、仏道を乱そうとしている。
「禅宗」などの誤った呼び名は、仏祖の大いなる仏道を未だかつて知らないし、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」が有るとさえも見聞きできないし、信じて受け入れない輩による、誤った妄りな呼び名なのである。
「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を知っている人で、誰が仏道を誤って呼ぶ事が有るだろうか? いいえ! 「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を知っている人は仏道を誤って呼ぶ事は無い!
南嶽衡山の石の上の庵の、無際大師と呼ばれる三十五祖の石頭希遷は、堂に上って、僧達に示して、「私の『法門』、『仏法』は、先の仏から伝えられて受けた物であり、禅定や精進を論じないで、ただ、仏の知見に到達するのみなのである」と言った。
知るべきである。
過去七仏を含む諸仏から仏法を正しく伝えられている仏祖である三十五祖の石頭希遷は、このように言っているのである。
「私、石頭希遷の『法門』、『仏法』は、先の仏から伝えられて受けた物である」という言葉が形成されて現されている。
「私の禅宗は、先の仏から伝えられて受けた物である」という言葉は形成されて現されていない。
禅定と精進の個々を分けず、仏の知見に到達させるのみなのである。
禅定と精進を嫌わず、仏の知見に到達するのみなのである。
禅定と精進を嫌わず、仏の知見に到達するのを「私、釈迦牟尼仏に有る『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』を付属する」としているのである。
「私、石頭希遷の『法門』、『仏法』」とは、「私、釈迦牟尼仏に有る『正法眼蔵涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心』」なのである。
「法門」、「仏法」とは、「正しい法」なのである。
三十五祖の石頭希遷の仏法、釈迦牟尼仏に有る「正法眼蔵涅槃妙心」、「正しくものを見る眼と寂滅した妙なる心」、二十八祖の達磨の「髄」、「理解」をあなたは会得した、という付属なのである。
三十五祖の石頭希遷は、三十四祖の青原の行思の唯一の正統な法の子であり、独り奥義に到達した。
三十五祖の石頭希遷は、古代の仏と等しい三十三祖の大鑑禅師が髪を剃ってあげた法の子孫なのである。
そのため、石頭希遷にとって、大鑑禅師は師の師であるし、父であると言える。
石頭希遷にとって、青原の行思は師であるし、兄であると言える。
仏道の仏祖の英雄は、独り、石頭希遷だけである(、と言える)。
石頭希遷だけが仏道が正しく伝えている仏の知見に到達している(、と言える)。
石頭希遷の言葉が形成させて現させている個々の結果は皆、古代の仏の古くない仏の知見であるし、古代の仏が長く今も教えている仏の知見なのである。
石頭希遷の仏の知見を「正法眼蔵の眼睛」、「正しくものを見る眼の、見る眼」とするべきである。
石頭希遷の仏の知見は、自分や他の者の正しくない知見とは比べる事ができない。
三十五祖の石頭希遷を正しく知らない者は、三十五祖の石頭希遷を、江西の大寂禅師と呼ばれる三十五祖の馬祖道一と比べるが、比べる事はできないのである。
知るべきである。
「先の仏から伝えられて受けた」仏道を、三十五祖の石頭希遷は「禅定」と呼んでおらず、まして、「禅宗」という呼び名や議論は無かったのである!
明らかに、知るべきである。
「禅宗」と呼ぶのは、ひどい誤りなのである。
稚拙な輩は、誤って「『有宗』や『空宗』のような物であろう」と思って、「『何々宗』という呼び名を呼べなければ、自分には学が無い」と嘆くのである。
仏道とは、このような物ではない。
「仏祖達は、かつて『禅宗』と呼んだ事は無い」と唯一に定めるべきなのである。
それなのに、宋の時代の凡庸な人々や、愚かで仏教の古くからの様子を知らず、先の仏からの伝授が無い輩は、誤って「仏法は『雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗』という『五宗』、『五門』の家風で別で異なる」と言ってしまう。
人々が誤って「仏法は雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という宗派で別で異なる」と思ってしまうのは、仏教の自然な衰退なのである。
仏教の衰退を掬い取って救済する一人前や半人前の人物は未だいなかったが、
道元の亡き師である、天童山の、古代の仏と等しい、五十祖の如浄が、初めて、仏教の衰退を憐れんだのは、人の運命なのであるし、仏法の通達なのである。
道元の亡き師である、古代の仏と等しい、五十祖の如浄は、堂に上って、僧達に示して、「今、人々は、ただひたすらに、『雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗などの家風で仏法は別で異なる』と言うが、仏法として正しくないし、祖師達の言葉ではない」と言った。
このような言葉が形成されて現されるのには千年の間でも出会い難い。
如浄だけが独り言う事ができた。
十方で見聞きし難く、その場に居合わせた者達だけが如浄の言葉を直接聞く事ができた。
千人の遍歴している修行僧達の中で、如浄の言葉を、聞いて知る耳を持つ人はいないし、見て理解して取る「眼睛」、「見る眼」を持つ人はいない。
まして、心を挙げて聞く、遍歴している修行僧がいるだろうか? いいえ!
まして、身で聞いて知る、遍歴している修行僧がいるだろうか? いいえ!
たとえ自己の渾身と渾心で聞いて知る人が億、万の無数の劫にいても、如浄の「通身」、「全身」と「通心」、「全心」を、挙げて、ひねって、聞いて知り、証して知り、信じて知り、脱ぎ落として知る人はいない。
憐れむべきである。
宋の時代の中国の十方の人々は共に誤って「如浄は、諸方の長老などと同程度である」と思ってしまっている。
このように誤って思ってしまう輩を「見る眼」を備えているとするのか? 「見る眼」を未だ備えていないとするのか? 「見る眼」を備えていない!
また、人々は誤って「如浄は、臨済義玄や徳山宣鑑と同程度である」と思ってしまっている。
このように誤って思ってしまう輩も未だ如浄を「見ていない」、「理解できていない」し、未だ臨済義玄に「出会えていない」、「理解できていない」と言える。
私、道元は、古代の仏と等しい如浄を礼拝する前は、誤って「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗で別で異なる仏法の奥深い主旨に参入して究めよう」と思ってしまっていた。
如浄を礼拝した後は、「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗というのは誤った妄りな呼び名である」という主旨を明らかに知った。
宋の時代の中国で、仏法が盛んである時は、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という呼び名は無かった。
また、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という呼び名をあげて、「家風によって仏法は別で異なる」と言う古代の人は未だいなかった。
仏法が衰退してから今まで、妄りに雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という呼び名が有るのである。
人々の学への参入が疎かで、人々が仏道をわきまえるのを切にしないので、仏教を宗派に分けてしまったのである。
(原文の「人の参学おろかにして」は「人の参学おろそかにして」だと思われる。)
遍歴している修行僧が真の学に参入して究める事を求めるならば、決して「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗」という「五宗」、「五門」、「五家」という妄りな呼び名を記憶する事なかれ。
「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗の家風によって仏法は別で異なる」などと記す事なかれ。
まして、「三玄」や「三要」や「四料簡」や「四照用」や「九帯」などが有るだろうか? いいえ! 無い!
まして、「三句」や「五位」や「十同真智」が有るだろうか? いいえ! 無い!
釈迦牟尼仏の仏道は、このような矮小な物ではないし、このような物を大いなる物としないし、このような物について言葉を形成させて現した事は無いし、少林寺の二十八祖の達磨も、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師も、このような物について言った事は無い。
憐れむべきである。
末法の世の、学が無い似非僧侶などが、身心や「眼睛」、「見る眼」が暗くて、このような事を言うのである。
仏祖の法の子孫、仏祖の法の種を育てる者は、このような言葉を言うなかれ。
仏祖である寺の主が、このような誤った言葉をかつて言った事は無い。
後世の似非僧侶など、かつて仏法の全ての言葉を見聞きせず、祖師の言葉に全てを委ねる事無く、本分に暗い輩が、わずかに一つや二つの矮小な知識に傲り高ぶって、このような宗派の呼び名を立ててしまっているのである。
宗派の呼び名が立てられてしまってから今まで、矮小な似非僧侶などは、根本を尋ねるべき仏道を学ばないので、いたずらに無駄に、些末なものに従うのである。
似非僧侶は、古代を慕う志が無く、世俗と交わる事を日常的に行ってしまう。
世俗ですら世俗に従う事を卑しいとして戒めている。
文王は、太公望に、「あなた、太公望は、つとめて賢者を推挙します。しかし、その効果は得られず、治世は、とても乱れて、存亡の危機にまで至ってしまったのは、なぜですか?」と質問した。
太公望は、「賢者を推挙しても用いなければ、『賢者を推挙した』という名目だけが有って、賢者を得た実が無いのです」と言った。
文王は、「欠点が、どこに存在したのでしょうか?」と言った。
太公望は、「欠点は、世俗がほめる人を好んで用いる所に存在します。真実の賢者を得ていないのです」と言った。
文王は、「『世俗がほめる人を好んで用いる』とは、どのような事でしょうか?」と言った。
太公望は、「世俗がほめるのを好んで聴いてしまうと、賢者ではない人を『賢者である』としてしまうし、
知者ではない人を『知者である』としてしまうし、
忠義が無い人を『忠義が有る人である』としてしまうし、
信義が無い人を『信義が有る人である』としてしまいます。
あなた、文王は、世俗がほめる者を『賢者や知者である』としてしまい、世俗が悪口を言う者を『賢者や知者ではない』としてしまいます。
そのため、仲間が多い者は前進してしまい、仲間が少ない者は後退してしまいます。
このため、多数派である邪悪な人々は徒党を組んで賢者を覆い隠してしまい、忠臣は罪が無いのに死んでしまい、邪悪な家臣は上辺だけの名声によって爵位を求めてしまいます。
こう成ると、治世は、とても乱れるので、国は存亡の危機を免れなく成ってしまいます」と言った。
在俗者ですら国や道徳が存亡の危機に至る事を嘆くのである。
仏法、仏道が存亡の危機に至ったら、仏の子は必ず嘆くはずである。
道徳や仏道が存亡の危機に至る元は、妄りに世俗に従う事に有るのである。
世俗がほめるのを聴いてしまう時、真の賢者を得る事は無い。
真の賢者を得ようと思うならば、古今を照らして見る知略が有るべきである。
世俗がほめるものは、必ずしも、賢明ではないし、神聖ではない。
世俗が悪口を言うものは、必ずしも、賢明ではないし、神聖ではない。
「真の賢者でも悪口を言われるし、偽の賢者でも名声が有る」と「三察」、「熟考」して、真の賢者と偽の賢者を混同するべきではない。
真の賢者を用いないのは国の損失と成る。
偽の賢者を用いるのは国にとっての後悔と成る。
今、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という誤った呼び名が立てられてしまっているのは、世俗による混乱なのである。
世俗に従う者は多いが、世俗を世俗であると知っている人は少ない。
世俗を化して導く人を聖者とするべきである。
世俗に従う人は最悪の愚者である。
世俗に従う輩が、どうして仏の正しい法を知っているであろうか? どうして仏祖と成るであろうか? いいえ!
仏法は過去七仏から正統に代々伝えられて来ている。
どうして西のインドにいる文字によってだけ意味を解釈する霊感が無い輩が「五部」という五つの宗派を立ててしまったように成るであろうか? いいえ! 仏教に宗派は無い!
知るべきである。
仏法の正しい命を正しく命として生きている祖師達は、「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗で仏道は別で異なる」と、かつて言った事は無いのである。
「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗で仏道は別で異なる」と学ぶ人は、過去七仏の正統な法の後継者ではない。
道元の亡き師、五十祖の如浄は、僧達に示して、「千二百年頃、祖師の仏道が廃れ、『魔』、『仏敵』の仲間である『畜生』、『動物的人間』が多い。
頻繁に『雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗で仏道は別で異なる』と言われてしまう。苦々しい、苦々しい」と言った。
測り知る事ができる。
西のインドの二十八人の祖師達も、(五十祖の如浄までの)東の地の中国の二十二人の祖師達も、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗で別で異なる仏法など未だ開演していないのである。
祖師として在る祖師は皆、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という宗派で異なる仏法など開演していないのである。
雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という誤った呼び名を立ててしまって、誤って「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗の各々で別で異なる仏法の主旨が有る」と言ってしまう人は、世間の人をたぶらかし惑わす輩、学が無い理解が無い類の者なのである。
仏道において、宗派の各々が別で異なる仏道を自ら立て(て分裂す)れば、どうして仏道は今日にまで至るであろうか? いいえ!
もし初祖の迦葉が別で異なる仏道を自ら立ててしまって、二祖の阿難陀も別で異なる仏道を自ら立ててしまって、別で異なる仏道を自ら立ててしまう道理を正しい道理としてしまえば、仏法は早期に西のインドで滅んでしまったであろう。
各々で別で異なる仏道を自ら立ててしまう主旨を正しいとしてしまえば、この古代を誰が慕うであろうか? いいえ!
各々で別で異なる仏道を自ら立ててしまう主旨を正しいとしてしまえば、誰が善悪を選択して決定できるであろうか? いいえ!
(善は唯一普遍絶対なので、善悪を選択して決定できる。)
善悪を未だ選択して決定できなければ、誰が、あるものを仏法であるとしたり仏法ではないとしたりできるであろうか? いいえ!
この道理を明らめない物は、仏道と呼べない。
雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という呼び名は、各々の系譜の祖師が存命中に立てたわけではない。
雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗の祖師と呼ばれる祖師達の死後、凡庸な弟子、見る眼が未だ明らかではない者、自分の足で未だ歩けない者が、父である祖師に無断で、祖師の意に反して、雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗を立ててしまって呼んで来てしまっているのである。
この主旨は明らかなのである。
どの人も知るべきである。
大円禅師と呼ばれる大潙禅師と呼ばれる三十七祖の潙山霊祐は、大智禅師と呼ばれる三十六祖の百丈の懐海の法の子である。
潙山霊祐は、百丈の懐海と同時に潙山に住んだ。
潙山霊祐は、「仏法を『潙仰宗』と呼びなさい」と未だ言った事は無い。
百丈の懐海も、「潙山霊祐よ、あなたの時から潙山に住んで『潙仰宗』と呼びなさい」と言わなかった。
潙仰宗の始祖と言われる祖師の師と潙仰宗の始祖と言われる祖師である、百丈の懐海と潙山霊祐は「潙仰宗」と自称しなかった。
「『潙仰宗』とは妄りな呼び名である」と知るべきである。
たとえ「潙仰宗」という呼び名を欲しいままにしているように思えても、必ずしも仰山の慧寂に責任を求めるべきではない。
自称するべきならば自称しているだろう。
しかし、自称するべきではないため、従来の祖師達も自称していないので、今も自称するべきではない。
曹谿山の三十三祖の大鑑禅師は、「曹谿宗」とは言わなかったし、
三十四祖の南嶽の懐譲は、「南嶽宗」とは言わなかったし、
江西の三十五祖の馬祖道一は、「江西宗」とは言わなかったし、
百丈の懐海は、「百丈宗」と言わなかった。
三十七祖の潙山霊祐に至って、三十三祖の大鑑禅師と仏法が異なる事は有り得ない。
三十七祖の潙山霊祐は、三十三祖の大鑑禅師よりも優れていないし、及ばない。
潙山霊祐の言葉は、必ずしも仰山の慧寂と「一本の杖を二人で担いでいる」わけではない。
宗派の呼び名を立てるならば「潙山宗」と言ったり「大潙宗」と言ったりするべきである。
「潙仰宗」と呼ぶべき道理は未だ無い。
「潙仰宗」と呼ぶべきならば、潙山霊祐と仰山の慧寂の二人の高徳の長老は存命中に呼んでいただろう。
潙山霊祐と仰山の慧寂の二人が存命中に呼ぶべきなのを呼んでいなかったのならば、どんな障害によって呼ばなかったと言うのか?
既に潙山霊祐と仰山の慧寂の二人が存命中に呼んでいないのに、父である祖師達の仏道に違反して「潙仰宗」と呼ぶのは、親不孝な法の偽の子孫なのである。
「潙仰宗」と呼ばれるのは、潙山霊祐の本懐ではないし、仰山の慧寂の本懐ではない。
「潙仰宗」などの呼び名は、正しい師による正しい伝統ではなく、邪悪な者どもの邪悪な呼び名である事は明らかである。
「潙仰宗」などの呼び名を尽十方界に広める事なかれ。
慧照大師と呼ばれる三十八祖の臨済義玄は、経典の学者の講義を受けるのを投げ捨てて、三十七祖の黄檗希運の弟子と成った。
臨済義玄は、黄檗希運の棒を三回食らい、合わせて六十回、軽く叩かれた。
臨済義玄は、高安大愚の所に行って省みて悟った。
臨済義玄は、鎮州の臨済院に住んだ。
臨済義玄は、黄檗希運の心を究め尽してはいないが、次々と伝えられている仏法を「臨済宗と名づけなさい」と言った事は無いし、拳を縦にしたり害虫を払うための毛がついた棒である払子をひねったりして示した事は無い。
それなのに、弟子の中の凡庸な弟子は、たちまち父である師の業を守らず、仏法を守らず、誤って「臨済宗」という呼び名を立ててしまった。
臨済義玄は存命中に「臨済宗」など組み立てていない。
さらに、先祖である仏祖達の仏道に違反しているので、「臨済宗」という呼び名を立てようとするのは、ためらうべきであった。
臨済義玄は、死にそうな時に、三聖慧然に付属して、「私の死後、私の『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』を滅ぼす事なかれ」と言った。
三聖慧然は、「どうして、あえて和尚様、臨済義玄様の『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』を滅ぼすでしょうか? いいえ!」と言った。
臨済義玄は、「突然、人が、あなたに質問したら、どのように答えますか?」と言った。
三聖慧然は、喝と怒鳴った。
臨済義玄は、「私の『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』が、この盲目の驢馬である三聖慧然の所に向かって去った事を誰が知るだろうか?」と言った。
このように、臨済義玄と三聖慧然、師弟は言ったのである。
臨済義玄は、「私の禅宗を滅ぼす事なかれ」と言わず、
「私の臨済宗を滅ぼす事なかれ」と言わず、
「私の宗派を滅ぼす事なかれ」と言わず、
「私の『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』を滅ぼす事なかれ」とだけ言った。
仏祖が正しく伝えている大いなる仏道を「禅宗」と呼ぶべきではないし、「臨済宗」などと呼ぶべきではない、という事を明らかに知るべきである。
仏道をさらに「禅宗」と呼び続ける事は、決して、有るべきではない。
たとえ滅ぶのが「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」の理による現象であったとしても、このように付属するのである。
「この盲目の驢馬の所に向かって去る」付属を実に「誰が知るだろうか?」なのである。
臨済義玄が「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を付属した弟子は、弟子の中で、三聖慧然だけなのである。
三聖慧然の法の兄弟である、三聖慧然の兄弟弟子に付属を及ぼしたり同列にさせたりするべきではない。
まさに「明窓下安排」、「月の明かりの下で手配した」のである。
(悟りを心の月に例える場合が有る。)
臨済義玄から三聖慧然へのつながりは、仏祖のつながりなのである。
今の臨済義玄から三聖慧然への付属は、昔の霊山での釈迦牟尼仏から初祖の迦葉への付属なのである。
そのため、「臨済宗」と呼ぶべきではない道理は明らかである。
匡真大師と呼ばれる雲門文偃は、昔は陳尊宿に学んだ、黄檗希運の法の子孫であり、後に雪峰義存の法を嗣いだ。
雲門文偃という祖師もまた「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を「雲門宗と呼びなさい」と言わなかった。
雲門文偃の劣悪な弟子もまた「潙仰宗」や「臨済宗」といった妄りな呼び名を誤っていると知らないで「雲門宗」という呼び名を新しく立ててしまった。
雲門文偃の主旨が、仮に「宗派を立てた」という称号を志していたならば、「雲門文偃は、仏法の身心である」とは許されなかったであろう。
(そのため、雲門文偃の主旨は宗派を立てる事ではない。)
このため、宗派の呼び名を呼ぶのは、例えば、王者を凡人と呼ぶような物である。
清涼院の大法眼禅師と呼ばれる清涼文益は、地蔵院の羅漢桂琛の正統な後継者である。
清涼文益は、玄沙師備の法の子孫である。
清涼文益には、仏法の主旨が有り、誤りは無い。
大法眼禅師とは、清涼文益に贈られた称号である。
清涼文益が、「『大法眼禅師』という称号を『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』の呼び名として、『法眼宗』という呼び名を立てなさい」と言った事は、千、万の無数の言葉の中に一言も無い。
それなのに、清涼文益の劣悪な弟子もまた「法眼宗」という呼び名を立ててしまった。
もし清涼文益が今の世に化生として出現したら、今の世の妄りな呼び名である「法眼宗」という言葉を無くしてしまうであろう。
清涼文益の肉体は既に亡くなってしまって、「法眼宗」という呼び名による憂いを救う人はいない。
たとえ千万年後であっても、清涼文益に法の親として親孝行しようという人は、「法眼宗」という呼び名を呼ぶ事なかれ。
「法眼宗」という呼び名を呼ばない事は、本から清涼文益に法の親として親孝行する事に成るのである。
雲門文偃や清涼文益などは、青原の行思の法の遠い子孫であり、仏道、仏法という「骨髄」、「理解」が伝えられている。
悟本大師と呼ばれる三十八祖の洞山良价は、三十七祖の雲巌曇晟の法を嗣いだ。
三十七祖の雲巌曇晟は、三十六祖の薬山惟儼の正統な後継者である。
三十六祖の薬山惟儼は、三十五祖の石頭希遷の正統な後継者である。
三十五祖の石頭希遷は、三十四祖の青原の行思の唯一の正統な法の子である。
石頭希遷に肩を並べられる者はおらず、石頭希遷は仏道の業を独り正しく伝えられた。
仏道の正しい命が、なお東の地の中国に残っているのは、石頭希遷が漏らさず全てを正しく伝えられた力による物なのである。
三十四祖の青原の行思は、古代の仏と等しい三十三祖の大鑑禅師と同じ時代に生まれ、大鑑禅師の化の導きを受けた。
(原文は「青原高祖は、曹谿古仏の同時に、曹谿の化儀を青原に化儀せり」。)
青原の行思が、青原の行思の存命中に大鑑禅師を「この世」に出現させて、大鑑禅師の「この世」への出現を青原の行思の一代で見聞きしたのは、正統な後継者の中の正統な後継者であるし、祖師の中の祖師である。
(原文は「在世に出世せしめて、出世を一世に見聞するは、正嫡のうへの正嫡なるへし、高祖のなかの高祖なるへし」。)
青原の行思による大鑑禅師の学への参入と、大鑑禅師の「この世」への出現は、優劣ではない。
(原文は「雄、参学、雌、出世にあらす」。)
当時、青原の行思と肩を並べていた大鑑禅師の弟子達は、現在ならば抜群の僧達なのである。
学者は、特に、知るべきである。
古代の仏と等しい三十三祖の大鑑禅師が肉体の死の直前に「般涅槃」、「肉体の死」を現して人や天人を化して導いた時、後の三十五祖の石頭希遷は、末席に進んで、拠り所とするべき師を教えてくれるように請い願った。
大鑑禅師は、その時、「青原の行思をたずねて行け」と言った。
大鑑禅師は、「南嶽の懐譲をたずねて行け」と言わなかった。
そのため、古代の仏と等しい三十三祖の大鑑禅師の「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は、独り、青原の行思だけに正しく伝えられていたのである。
たとえ同様に仏道を会得した高弟の存在を許していても、青原の行思は正統な無双の高弟なのである。
大鑑禅師は、既に、青原の行思という自分の法の子を法の子としていた。
青原の行思という法の子の、法の父である大鑑禅師が法の父として在った事により、青原の行思が大鑑禅師の髄を会得していたのは明らかなのである。
青原の行思が、代々の祖師達の正統な後継者である事は明らかなのである。
三十八祖の洞山良价は、まさに三十四祖の青原の行思の四代目の正統な後継者として、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を正しく伝えられ、「涅槃妙心」、「寂滅した妙なる心」に開眼している。
「正法眼蔵涅槃妙心」、「正しくものを見る眼を持ち寂滅した妙なる心を持つ事」の他に更に別の伝承は無いし、別の宗とする大事な物は無い。
洞山良价は、かつて「曹洞宗と呼びなさい」と言わなかったし、拳や目の瞬きで示す事は無かった。
また、洞山良价の弟子の中に凡庸な人は混じっていなかったので、「洞山宗」と自称する弟子はいなかったし、まして、「曹洞宗」と言う弟子はいなかった!
「曹洞宗」という呼び名は、曹山本寂の名前を加えた物のようであるが、もし、そうであれば、三十九祖の雲居道膺と四十祖の同安道丕の名前をも加えるべきである。
三十九祖の雲居道膺は、人の中と天上の導師であり、曹山本寂よりも尊び崇めるべきである。
測り知る事ができる。
「曹洞宗」という呼び名は、曹山本寂の系譜の劣悪な輩、臭い皮袋である悪人が、洞山良价などに肩を並べようとして「曹洞宗」という呼び名を呼び始めたのである。
実に、曇りの無い太陽が明らかであっても、浮雲が下を覆ってしまっているような物なのである。
道元の亡き師、五十祖の如浄は、「今、諸方で、『獅子の座』、『仏の座』に上る者が多いし、人や天人の師として存在する者が多いが、仏法の道理を知り得ている者は全くいない」と言った。
競って雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という宗派を立てて、誤って言葉にとらわれている人は、真に仏祖の敵なのである。
また、黄龍慧南の一派を呼んで「黄龍宗」と呼んで来ているが、その宗派の人は遠からず誤りを知るべきである。
釈迦牟尼仏は存命中に、「仏宗」と言わなかったし、
「霊山宗」と言わなかったし、
「祇園宗」と言わなかったし、
「我心宗」と言わなかったし、
「仏心宗」と言わなかった。
釈迦牟尼仏は、どの言葉の中で「仏宗」と言ったのか? いいえ! 言わなかった!
現代の人々は、なぜ「仏心宗」と呼ぶのか?
釈迦牟尼仏は、必ずしも、心だけを宗とする大事な物として呼ばなかった!
宗とする大事な物は、必ずしも心だけであろうか? いいえ!
もし「仏心宗」が有るならば、
「仏身宗」も有るべきであるし、
「仏眼宗」も有るべきであるし、
「仏耳宗」も有るべきであるし、
「仏鼻宗」、「仏舌宗」なども有るべきであるし、
「仏骨宗」、「仏髄宗」、「仏脚宗」、「仏国宗」なども有るべきである。
「仏身宗」などは無い。
このため、「『仏心宗』という呼び名は虚偽の呼び名である」と知るべきである。
釈迦牟尼仏は広く「十方の仏土の中の『諸法』、『全てのもの』の実の相」を挙げてひねって「十方の仏土の中」を説く時、「十方の仏土の中に、何々宗を建てた」と説かなかった。
「何々宗」という呼び名が、もし仏祖の仏法であるならば、仏の国にも宗派が存在するはずである。
仏の国に宗派が存在すれば、仏は宗派について説くはずである。
しかし、仏は宗派について説かなかった。
「宗派は仏の国の日常の道具ではない」と知る事ができる。
祖師達は宗派について言わなかった。
「宗派は祖師達の領域の家具ではない」と知る事ができる。
宗派は、人々に笑いものにされるだけではなく、諸仏に禁止されるし、自身も笑いものにするだろう。
慎んで、宗派の呼び名を呼ぶ事なかれ。
「仏法には雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗が有って、仏法は別で異なる」と言う事なかれ。
後世に晦巌智昭という矮小な似非僧侶がいて、祖師の一言、二言を拾い集めて、「雲門宗、法眼宗、潙仰宗、臨済宗、曹洞宗という宗派が有る」と言って「人天眼目」という書を記した。
人々は「人天眼目」の誤りをわきまえる事ができず、初心者や後進の輩は誤って「『人天眼目』は真実の正しい書である」と思ってしまい、衣の中に大事に隠し持つ者もいるほどである。
「人天眼目」は、「人や天人にとっての見る眼」ではなく、「人や天人の見る眼を眩ます物」なのである。
どうして「人天眼目」に「瞎却正法眼蔵」、「正しくものを見る眼を一時的に塞いでくれる」功徳が有るだろうか? いいえ! 「人天眼目」には無い!
「人天眼目」は、晦巌智昭が、千百八十八年に、天台山の万年寺で、編集した。
後世の作品であっても、正しい物であれば許すべきである。
しかし、「人天眼目」は、狂乱の書であり、愚かで暗い書である。
「人天眼目」には、学に参入する見る眼が無いし、遍歴して修行した見る眼が無いし、まして、仏を見た見る眼が無い!
「人天眼目」を用いるべきではない。
晦巌智昭の「智昭」は、「智慧が有って聡明である」を意味するが、「愚かで暗い」を意味する「愚蒙」によって晦巌愚蒙と名乗るべきである。
晦巌智昭は、祖師を知らず、「祖師に出会わない」、「祖師を理解していない」が、祖師の言葉を集めたので、祖師としての祖師の言葉は拾わなかった。
「晦巌智昭は祖師を知らない」と知る事ができる。
中国の似非宗教研究家の輩が宗派の呼び名を呼ぶのは、肩を並べる同程度の同業者がいるからである。
(同業者との差別化のために宗派についての知識量を誇ろうとするのである。)
仏祖の「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は正統に代々付属されていて、混同できるような肩を並べる同程度の同業者などいない。
それなのに、現代の杜撰な老人の似非僧侶などが、妄りに宗派の呼び名を立てて名声や利益を独占しようと企てるのは、仏道を畏敬していない。
仏道とは、あなたの物ではなく、諸々の仏祖の物であるし、仏道の物なのである。
太公望は、文王に、「天下は、独りの物ではなく、天下の全ての者の物なのである」と言った。
在俗者にすらなお、このような知が有るし、このような言葉が有るのである。
仏祖の家の子は、仏祖の大いなる仏道について、妄りに欲望のままに愚かさや暗さに従って、宗派を立てて自称する事なかれ。
宗派をねつ造する人は、大いに滑稽であるし、仏道の人ではない。
宗派の呼び名を呼ぶべきならば、釈迦牟尼仏は自称したであろう。
しかし、釈迦牟尼仏は自称しなかった。
釈迦牟尼仏の法の子孫として、どうして釈迦牟尼仏の肉体の死後に宗派を自称する事が有るだろうか? いいえ! 宗派は無い!
どの人が、釈迦牟尼仏よりも巧みに善に導き利益をもたらす事ができるだろうか? いいえ!
釈迦牟尼仏が巧みに善に導き利益をもたらす事が無ければ、仏教という利益は無かったであろう。
また、もし仏祖の古くからの仏道に違反して背いて宗派をねつ造しても、あなたのねつ造した宗派が真実な正しい物であると認める仏の法の子孫が誰かいるだろうか? いいえ! いない!
古今を照らして見て学に参入するべきである。
妄りである事なかれ。
釈迦牟尼仏の存命中と少しも異ならないようにし、釈迦牟尼仏の百千万分の一にすら及ばない事を憂い、及べている部分を喜び、違反しないようにと願うのを遺された釈迦牟尼仏の弟子としての宿願とするだけなのである。
このようにして多くの生で仏に出会い見える事を願うべきである。
このようにして多くの生で仏法を見聞きできる事を願うべきである。
故意に釈迦牟尼仏の存命中の化の導きに背いて宗派を立てる人は、如来、釈迦牟尼仏の弟子ではないし、祖師の法の子孫ではない。
宗派をねつ造する罪は、最も重い罪である五逆罪よりも重い罪である。
如来、釈迦牟尼仏の無上普遍正覚を尊重せず、宗派をねつ造して名声や利益を独占しようとするのは、古くからの仏祖達を軽視する事であるし、古くからの仏祖達に背く事である。
宗派をねつ造する人は、「古くからの仏祖達を知らない」と言える。
宗派をねつ造する人は、釈迦牟尼仏の存命中の功徳を信じていないのである。
宗派をねつ造する人の家である、ねつ造した宗派の中に、仏法は無い。
そのため、仏を学び仏道の業を正しく伝えてもらうには、宗派の呼び名を見聞きするべきではない。
仏から仏へ、祖師から祖師へ、付属し正しく伝えられている物は、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」と、無上普遍正覚なのである。
仏から仏へ所有している仏法は皆、釈迦牟尼仏が付属して来ている。
仏法以外の法が更に新しく存在する事は無い。
この道理が、仏法、仏道の「骨髄」、「理解」なのである。
正法眼蔵 仏道
その時、千二百四十三年、越州の吉田県の吉峰寺にいて僧達に示した。




