正法眼蔵 古仏心
代々の祖師達が法を嗣いで、過去七仏から曹谿山の三十三祖の大鑑禅師まで四十人の祖師達なのであるし、
三十三祖の大鑑禅師から過去七仏まで四十人の仏達なのである。
過去七仏には共に、上下へ向上する功徳が有るので、三十三祖の大鑑禅師にまで至るし、過去七仏にまで至る。
三十三祖の大鑑禅師には上下へ向上する功徳が有るので、過去七仏から正しく伝えられ、三十三祖の大鑑禅師から正しく伝えられ、後の仏に正しく伝えられている。
前後だけではなく、釈迦牟尼仏の時は十方の諸仏がいたし、
三十四祖の青原の行思の時は三十四祖の南嶽の懐譲がいたし、三十四祖の南嶽の懐譲の時は三十四祖の青原の行思がいたし、
三十五祖の石頭希遷の時は江西の三十五祖の馬祖道一がいた。
遮らないのは、遮る事ができないわけではないのである。
(原文は「あひ罣礙せさるは不礙にあらさるへし」。)
このような功徳が有る事に参入して究めるべきである。
従来の(過去七仏から三十三祖の大鑑禅師までの)四十人の仏祖達は共に、古代の仏であるが、(各々の、)心が有るし、身が有るし、光明が有るし、国土が有るし、(肉体は)過ぎ去って久しいし、未だかつて過ぎ去っていない。
たとえ、(肉体は)過ぎ去って久しくても、未だかつて過ぎ去っていなくても、同じく、古代の仏の功徳が有るのである。
古代の仏の「道」、「真理」の学に参入するのは、古代の仏の「道」、「真理」を証する事に成るのであるし、代々の古代の仏と成る事に成るのである。
古代の仏とは、新しい仏と古代の仏のうち古代の仏なのであるが、古今を超越している、けれども、古今に正直なのである。
道元の亡き師、五十祖の如浄は、「古代の仏と等しい宏智正覚と見えた」と言った。
天童山の、五十祖の如浄の家の中に古代の仏がいるし、古代の仏の家の中に五十祖の如浄がいる事を測り知る事ができる。
圜悟克勤は「真に古代の仏と等しい曹谿山の三十三祖の大鑑禅師を敬礼する」と言った。
知るべきである。
「釈迦牟尼仏から三十三代目である、三十三祖の大鑑禅師は古代の仏と等しい」として敬礼するべきなのである。
圜悟克勤には古代の仏の荘厳と光明が有るので、古代の仏と等しい人と見えると、このように礼拝できるのである。
そのため、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師の「頭が正しいので尾も正しい」のを餌にして、「古代の仏とは、このようなのである」と牛の鼻の孔を把握できる事を知るべきである。
このような牛の鼻の孔の把握が有る者は、このような古代の仏と等しい人なのである。
疎山匡仁は、「大庾嶺の頂上に古代の仏と等しい人がいて、光を放射して、この部屋にまで到達している」と言った。
「疎山匡仁は既に古代の仏と等しい人と見えた」事を知るべきである。
他の人の所に行って(仏法を)尋ねるべきではない。
古代の仏と等しい人がいる所は大庾嶺の頂上なのである。
古代の仏と等しい人ではない自己では、古代の仏と等しい人が出た所を知る事ができない。
古代の仏と等しい人がいる所を知る人は、古代の仏と等しい人であるだろう。
雪峰義存は「趙州(真際大師)は古代の仏と等しい」と言った。
知るべきである。
たとえ趙州真際大師が古代の仏と等しくても、もし雪峰義存が古代の仏と等しい力量を分かち合っていなければ、古代の仏と等しい人を見る「骨」、「要領」を了解するのが困難であっただろう。
今の日常は、古代の仏と等しい人の加護による物である。
古代の仏と等しい人の学に参入するには、「不答話」、「言葉で言い表せない」鍛錬が有る。
言わば、雪峰義存は一人前なのである。
古代の仏と等しい人の家風と身のこなしは、古代の仏と等しい人でなければ、似ないし、同一ではないのである。
そのため、趙州真際大師の「最初も中間も最後も善い」学に参入して、古代の仏と等しい人の寿命の量の学に参入するべきである。
長安の光宅寺の、大証国師と呼ばれる南陽慧忠は、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師の法を嗣ぐ弟子である。
人の皇帝も、天人の天帝である帝釈天も、同じく、南陽慧忠を恭しく敬い尊重したが、実に、中国でも見聞きするのは稀な事なのである。
南陽慧忠は四代も皇帝の師であっただけではなく、皇帝が自分の手で自ら車を引いて南陽慧忠を宮中に入らせた。
また、南陽慧忠は、帝釈天の求めを受けて、遥かな天に上って、天人達の中で、帝釈天のために法を説いた。
ある僧が、ある時、南陽慧忠に、「古代の仏の心とは、どの様な物ですか?」と質問した。
南陽慧忠は、「(古代の仏の心とは、)牆壁や瓦礫である」と言った。
「古代の仏の心とは、どの様な物であるのか?」という質問は、「これは、このように会得した」と言うような物なのであるし、「あれは、このように会得した」と言うような物なのである。
このような言葉を挙げて、質問としているのである。
「古代の仏の心とは、どの様な物であるのか?」という質問は、広く古今の言葉と成っている。
「華開」、「華が開く」万の無数の木と百草、森羅万象は、古代の仏の言葉なのであるし、古代の仏の質問なのである。
「(華開)世界起」、「華が開いて世界が起こる」、須弥山の周囲の九山八海は、古代の仏の日面と月面なのであるし、古代の仏の「皮肉骨髄」、「理解」なのである。
また、古代の仏が仏を行う事が有るし、
古代の仏が仏を証する事が有るし、
古代の仏が仏と成る事が有るし、
仏の古さが心を為す事が有る。
(原文は「仏古の為心なるあるへし」。)
古くからの心とは、心の古さであるので。
心の仏は必ず古くからであるので、古くからの心とは「椅子」や「竹や木」なのである。
(「椅子」と「竹や木」については「正法眼蔵」の「三界唯心」を参照してください。)
「大地の尽くで、一人でも仏法を会得している人を求めても、得る事は不可能である」し、
「和尚は、これを何と呼んで何となすのか?」なのである。
今の、時や、因縁や、「塵刹」、「塵の様に無数の国土が有る俗世」や、虚空は共に、古くからの心である!
古くからの心を保持させられ任せられるのも、古代の仏を保持させられ任せられるのも、同一の「面目」、「有様」であって、同一の「面目」、「有様」の両面を保持させられ任せられているのであるし、同一の「面目」、「有様」の両面の絵図なのである。
(原文は「両頭保任なり、両頭画図なり」。)
南陽慧忠は、「(古代の仏の心とは、)牆壁や瓦礫である」と言った。
この言葉の主旨は、牆壁や瓦礫に向かって言う一進が有り、「牆壁や瓦礫である」なのであるし、
言い出す「一途」、「一つの道」が有るし、
牆壁や瓦礫を牆壁や瓦礫の下の中で言い表す一退が有る。
これらの言葉が形成されて現されて円満に十分に成就すると、壁が千仭に万仭に高くそびえ立つし、
天地に遍く「牆」、「囲い」が立つし、
一片の瓦や半端な瓦に覆われるし、
大小の「礫」、「小石」の尖った先端が有る。
このようであるのは、心だけではなく、身でもあるし、心と身が依り所とする環境としての報いである「この世」と、過去の行いの正に報いである心と身でもある。
そのため、「牆壁や瓦礫とは、どの様な物であるのか?」と質問するべきであるし、言うべきである。
答える時には、「(牆壁や瓦礫とは、)古代の仏の心である」と答えるべきである。
このように保持させられ任せられて、さらに参入して究めるべきである。
牆壁とは、どの様な物であるのか? 何を「牆壁」と言っているのか? 牆壁は今どの様な形状を備えているのか? と明確に詳細に参入して究めるべきである。
創造によって牆壁を出現させるのか?
(原文は「造作より牆壁を出現せしむるか」。)
牆壁によって創造を出現させるのか?
牆壁は、創造であるのか? 創造ではないのか?
牆壁は、情が有るものである、とするのか? 情が無い物である、とするのか?
牆壁は、目の前に現れているのか? 目の前に現れていないのか?
このように鍛錬して学に参入すると、たとえ、天上や人間でも、この世や他の世界への出現であっても、「古代の仏の心とは、牆壁や瓦礫である」。
さらに、一つの塵が来て古代の仏の心を汚染する事は未だ無いのである。
ある僧が、ある時、漸源仲興に、「古代の仏の心とは、どの様な物ですか?」と質問した。
漸源仲興は、「世界が崩壊する」と言った。
ある僧は、「どうして世界が崩壊するのですか?」と言った。
漸源仲興は、「どうして私の身が無く成る事が有るだろうか? いいえ! 私の身は無く成らない!」と言った。
世界について言うと、十方は皆、仏の世界なのである。
仏の世界ではない物は未だ無いのである。
世界の崩壊の様子は、十方の世界の尽くによって学に参入するべきである。
世界の崩壊の様子は、自己によって学ぶ事なかれ。
自己によって学に参入しないので、世界が崩壊する時は、一個、二個、三、四、五個であるので、無限個なのであるが、その個々は「どうして私の身が無く成る事が有るだろうか? いいえ! 私の身は無く成らない!」なのである。
「私の身は、どうして無であるだろうか? いいえ! 私の身は無ではない!」なのである。
今を自ら惜しんで、自分の身を古代の仏の心に成らせない事なかれ。
実に、過去七仏以前に、古代の仏の心は、壁として立っていた。
過去七仏以後に、古代の仏の心は、才能を持って生まれた。
諸仏以前に、古代の仏の心は、華開いた。
諸仏以後に、古代の仏の心は、実を結んだ。
古代の仏の心以前に、古代の仏の心は、古代の仏の心を脱ぎ落としたのである。
正法眼蔵 古仏心
その時、千二百四十三年、六波羅蜜寺にいて僧達に示した。




