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反逆勇者の娘です  作者: ナナホシ
第一章 ハイネと魔女
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第四話 誓い

 埃っぽい空気に咳き込み、ハイネは眼を覚ます。彼女はプレスされたように薄っぺらな布団を跳ね上げると、これまた壊れかけのベッドを抜け出し、窓を開けた。荒涼とした寒風が吹きこむが、空気を入れ替えないわけにはいかない。彼女の住んでいる物置き部屋は、放っておくとあっという間に埃まみれになってしまう。そうなるととても、人間の生活できる空間ではなかった。彼女は破れた寝巻の中で精いっぱい身体を小さくすると、必死に寒さを堪えつつ風を取り入れる。


 スル王国の北方にある田舎町ゴートン。その領主であるモルガン男爵の屋敷が、ハイネの新しい住居であった。ラーサーの裏切り行為によってトレランス家は崩壊し、屋敷や領地は没収され家族はそれぞれ別のところに引き取られていたのだ。

 三人の家族のうち兄のカインは刻印を発現していたことから国直属の騎士訓練施設――通称、『犬』の訓練場に。妹のハイネはまだ幼く刻印もなかったため、伯父にあたるモルガン男爵の家に。そして、母のルーシーは心を病み、王都の施設に押し込められていた。

 親類に預けられたハイネは、ほかの二人に比べて比較的良い環境になると思われた。だが、実際には違っていた。モルガン男爵は弟のラーサーと家督を巡っての深い確執があり、ラーサーの娘であるハイネのことを快くは思わなかったのだ。しかも屋敷の使用人やモルガン夫人などからは「裏切り者の娘」と口々に罵られ、現在に至る。


 広いが壁はむき出しで、天井板も張られておらず、隙間風の吹きこむ物置き部屋。もともと人が住むようには造られていなかったそこを、ぞんざいな安普請で人が住めるように改装したのが今のハイネの部屋だった。薄暗く、ネズミや虫が同居人というそこで、ハイネはかれこれ二年以上も生活している。モルガン家に来る前までは紅絨毯が敷き詰められた部屋で、天蓋つきのベッドで寝ていたことを考えると、凄まじい落差だ。


 空気の入れ替えを済ますと、ハイネはすぐに侍女服に着替えた。最近では、彼女はこの家で働いているのである。ハイネはそそくさと長い髪をまとめ、埃を払うとエプロンを身につける。皮肉なことに、このエプロンや侍女服がいま彼女が持っている服の中で一番まともな服だ。他の服はみな捨てられるか没収されて、代わりに質素で破れやほつれだらけの服が与えられている。


「ハイネ様、侍女長がお呼びです! 急いでください!」


「わかった、今すぐ行くわ」


 ドアの隙間からそばかす顔のメイドが顔を出した。彼女の言葉に、ハイネは慌てて返事をする。メイドの名はクララ。もともとトレランス家で雇われていたメイドだったが、トレランス家が崩壊したためこのモルガン家に移ってきた人物である。この家の人間で唯一ハイネに優しく接している人物で、ハイネのたった一人の味方だ。

 素早く靴をはくと、ハイネは侍女長の居る使用人室へと駆けだした。この家の侍女長であるマイヤー女史はハイネのことを激しく軽蔑していて、怒らせると非常に厄介だ。彼女は額に汗を浮かべながら、長い廊下を駆けていく。はあはあと荒い息をつきながら、ハイネは扉の前に立つと、音をたてないようにゆっくりと扉を開いた。すると、蒼い侍女服を着た背の高い女性が、ハイネの方に鋭いまなざしを向ける。眼鏡を掛けた理知的で冷たい印象を与える彼女こそ、侍女長のマイヤーだ。

 マイヤーは部屋に入ってきたハイネを見るなり、手元の懐中時計に視線を落とした。そして不機嫌そうに言う。


「五分ですか。今度からは三分でここまで来なさい」


「承知しました」


 ハイネは腹に手を当てると、背中を三十度ほど曲げた。最高級の礼だ。マイヤーはそれに満足げにうなずく。


「結構。良い返事です」


「それで、ご要件の方は?」


「近々、ダンお坊ちゃまの誕生パーティーを開くことになりました。いろいろと片付けなければならない物が出てくるので、あなたの部屋に荷物を入れることになります」


 断定だった。ハイネに有無は言わせないというか。マイヤーはそうして一方的な通達を終えると、部屋の掃除を命じて立ち去っていく。ハイネは広さだけが自慢だった部屋が狭くなってしまうのかと、憂鬱な気分で箒を手にした。するとここで、彼女はあることを思い出す。


「そういえば、私も誕生日……」


 奇しくも、ハイネはこの家の長子であるダンと誕生日が一日違いだった。ダンが十三歳になる一日前に、ハイネはちょうど十歳となる。しかし、ダンの誕生日がこれでもかと盛大に祝われることはあってもハイネの誕生日を祝う者はいないだろう。きっと、ダンのためにと用意されたプレゼントのや飾り付けの中で、ハイネは一人さびしく誕生日を迎えるに違いない。そう思うと、彼女は思わず目頭が熱くなった。数年前までは、ハイネも今のダンと同等かそれ以上に祝われる立場だったのだ。


「なんで、なんで私は……。こんなこと、転生してまでまた味合わなきゃならないのよ!」


 悔しかった。悔しくて仕方がなかった。

 ハイネの口の中で鉄の味がする。気がつくと彼女は、唇を噛んでいた。あたたかな血が、生命の味が口の中を満たしていく。懐かしい味だった。生前、ハイネが奈々芽だったころはよく殴られて、口の中を血で満たしたものだ。


 ああ、忌々しい……。


 ハイネにとって血の味は、憎しみに満ちた過去を思い出させるものだった。転生をきっかけに、綺麗に忘れてしまおうと思っていた過去を。彼女の心はたちまちのうちにやり場のない憎しみと怒りにとらわれ、感情が逆巻き怒涛となる。ハイネは小さな手を握りしめ、肩を震わせた。


 そうか、父さんが裏切らなければ――。


 ふと、ラーサーの顔が脳裏に浮かんだ。父さえ、いやこの男さえ裏切らなければ――ハイネは幸せに生きていくことができただろう。憎しみの方向が一つに集約され、溢れていた感情が全てそこへとなだれ込んでいく。

 迸る怒りと、深海より深き憎しみ。それが心の器を満たして溢れだした時、ハイネは誓う。


「父さん……いつかあなたに復讐を」


 窓から北の方角――灰色の森の方を見ながらつぶやいたハイネの左手には、うっすらと捻じれた蛇のような刻印が浮かび上がっていた。それはすぐに消えてしまったが、どことなくトレランス家の勇者の刻印に似ていた――。

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