最終話 今日も何も起きなかった
数年が過ぎた。
都市連合は、まだ存在している。
基準は、修正された。
簡略化され、条件が増え、
いくつもの例外が書き足された。
万能ではなくなった。
その代わり、
議論が増えた。
事故は、ゼロではない。
だが、連鎖的崩壊は起きていない。
それで十分だ。
――
俺は、小さな町で暮らしている。
供給網の中心でもなく、
議会の近くでもない。
市場の横の、二階建ての家。
朝は静かだ。
パン屋が開き、
子どもが走り、
鐘が鳴る。
誰も、俺の名前を知らない。
それでいい。
広場のベンチに座っていると、
旅人の会話が聞こえた。
「昔、都市を救った判断者がいたらしい」
「匿名のまま消えたとか」
「英雄だな」
笑い声。
俺は、空を見上げる。
英雄ではない。
ただ、
危ないものを危ないと言っただけだ。
それが制度に残り、
誰かが修正し、
誰かが疑い、
誰かが使っている。
それでいい。
昼過ぎ。
近所の店主が声をかける。
「最近は、静かだな」
「ええ」
「大きな事故もない」
俺は、頷く。
「平和ってやつか」
「たぶん」
完璧ではない。
だが、崩れていない。
夕方。
灯りが一つずつ灯る。
揺れている。
だが、消えてはいない。
俺は、小さく息を吐く。
誰にも聞こえない声で、呟いた。
「今日も特に、危ないことは起きなかった」
それでいい。
――完
本作をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語は、世界を救う話ではありません。
誰かが英雄になる話でもありません。
正しい判断が、必ずしも誰かを救うわけではない。
それでも、判断しなければならない瞬間はある。
そんな構造の話を書きたくて始めました。
正しさは便利です。
制度に組み込まれ、言葉になり、前例になります。
ですが、それを使うのはいつも人間です。
この物語の主人公は、最後まで何かを変えたわけではありません。
ただ、危ないものを危ないと言っただけです。
それでも、何かが少しでも残っていたなら嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




