第39話 名前のない切り札
判断基準は、記録に残る。
名前がなくても。
都市連合の内部文書に、
新しい項目が追加された。
『緊急時優先順位判断基準(暫定)』
簡潔な文面。
冷たい言葉。
だが、その骨子は、
俺が出した結論そのものだった。
ミレイが書類を机に置く。
「正式な採用ではありません」
「参考指針です」
「便利な言い方ですね」
「ええ」
制度は、曖昧さを好む。
「あなたの名前は?」
「一切、記載していません」
「助かります」
だが、内容は残る。
「次回以降」
「類似案件では、この基準が使われます」
「つまり」
「前例です」
前例は、強い。
一度使われれば、
次は議論が短くなる。
それが、制度の効率。
そして、怖さ。
「私は」
ミレイが言う。
「これを“切り札”として扱うつもりはありません」
「でしょうね」
「ですが」
「他の者は違うかもしれない」
既に、兆候はある。
会議の席で、
誰かがこう言ったらしい。
『あの基準を適用すればいい』
“あの基準”。
俺は、椅子にもたれた。
「名前がない切り札、ですか」
「そんなところです」
便利だ。
責任が曖昧で、
効果ははっきりしている。
夕方、追加の案件が持ち込まれた。
小規模な供給不安定。
複数都市が絡む。
「適用しますか?」
ミレイが聞く。
「まだです」
「理由は?」
「規模が違います」
短く答える。
彼女は、すぐに理解した。
「基準の乱用は」
「危険ですね」
「はい」
使いすぎれば、
思考が止まる。
制度は、それを好む。
夜。
街を歩く。
灯りは揺れている。
だが、全体は安定している。
それが、今回の成果だ。
だが、分かっている。
“名前のない基準”は、
少しずつ独り歩きする。
そしていつか、
俺の知らないところで、
俺の知らない判断を正当化する。
俺は、小さく呟いた。
「……道具になるの、早すぎるな」
まだ一度しか使っていない。
だが制度は、
すでに次を待っている。
──第39話・完
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