あの日は雪に紅が映える新月の晩だった。
新月の晩は、私達の一族の力が最も弱まる時だった。
父と母は兄と私を逃がすため、囮になった。
「すぐに追いつく」という言葉が、二人の最後の言葉だった。
私達は逃げた。
行くあてなんて、なかった。
ただ、「生きたい」それだけだった。
「怜燈!落ち着け、大丈夫だ!!
大丈夫だからしっかりするんだ!
大丈夫だから、お願いだから落ち着いてくれ。
兄ちゃんがなんとかするから、だから、どうか……」
そんな懇願するような叫び声が、頭から離れない。
最後に見たのは、兄の吸い込まれそうな程に輝いた蒼の瞳だった。
涙が、兄さんの頬を濡らしていた。
俺はその手を掴めなかった。
いや、「私は」掴まなかったのかもしれない。
気づくと私は一人、大輪の紅薔薇が散ったような雪の中にいた。
そこからは無我夢中だった。
凍てつく寒さの中を、進み続けた。
あれから一ヶ月。
ただ目立たぬように生きていた。
お金は、両親から最後に貰った物を少しずつ使っていた。
しかし、それももうなくなりそうだ。
もう手段は選べなかった。
「生きるためには仕方ない」そう自分に言い聞かせ、盗みを働いた。
初めは、町の近くにある畑だった。
姿を変え、夜にこっそりと大根を盗んだ。
生で食べた。
硬かった。
でも、「生きている」そう思える程に美味しかった。
盗みは、必ず成功するわけではなかった。
見つかれば、殴られ怒鳴られた。
泥と血の味が口に広がり、吐きそうだった。
「キャインッ!ギャンッ!!」
私がどんなに鳴いても、人間はその手を止めなかった。
血を吐き出し、足を引きずりながら歩いた。
でも、人間を憎むことは出来なかった。
「憎い」その一言すら言えなかった。
人間を愛してしまったから。
いや、そう思うように私達は、神に創られたからなのか。
この世界は、それほどまでに醜くも愛しいのだ。
生きるために、私は盗み続けた。
髪は相変わらず染めているけど、瞳は術で隠せるようになっていた。
慣れというものは怖いもので、次第に罪悪感は薄れていった。
ただ、兄さんとの思い出だけは鮮明だった。
五度目の桜舞う季節、私は小さな二人の姉妹に出会った。
ふらつきながらも真っ直ぐな目をした、春の音をさせる姉妹だった。
桜色の少女が、庇うように一人の少女を背負っていた。
まるで、あの日の兄さんのようだった。




