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十色の追想  作者: 詩庵
出会い編。
3/161

その香りを残して幸せは崩れていった。

ある夜、急患診察に行った父様が、帰って来なかった。

三日三晩、町中を探した。

見つかったのは、傷一つない父様の時計だけだった。

その時計は、二時三十六分五十秒で止まっていた。


母様は私達に、家から出ないよう言った。

夜は何度も戸締りを確認し、人との接触を避けた。


父様が消えた一週間後、母様は手紙を一枚だけ残し、姿を消してしまった。

手紙を読んだのは、姉様だけだった。


姉様も変わってしまった。

物音に過敏になり、特に夜は私の側を離れなかった。


母様が消えた二日後、姉様は全ての患者さんを家に帰し、家に火を放った。

燃えている……。

私にはその光景を見ることしか出来なかった。


「姉様?」

「ごめんね。行かなくちゃ。」


自分では気づいていないみたいだったけど、姉様は一雫の涙を流していた。


その後すぐ、姉様に手を引かれ、私は家を出た。

姉様は余裕がないのか、ただ黙って歩き続けた。

ただ一度、私が熱で倒れた時だけは立ち止まり、静かに治癒の光を当ててくれた。

その時、香っていた桜の花の甘い香りは、今も忘れられない。


気がつくと、そこは洞穴の中だった。

隣には、姉様が青白い顔で横たわっていた。


姉様を起こそうとした私を、知らない男の子が制した。

「まだ寝かせてあげて。無理をして疲れてるんだよ。」


私はびっくりして、近くの石を男の子に投げてしまった。

それでも男の子は怒らず微笑んだ。

それは、以前の姉様の笑顔に似ていて、私を安心させてくれた。


男の子に導かれ、私は洞穴の外に出た。

外の空気は澄んでいて、空は青かった。

そこは山の中の、少し開けた場所だった。

薪や焚き火跡があり、人の暮らしを感じさせた。


「私の名は怜燈。月夜 怜燈。」

男の子は、静かな声でそう言った。

歳は十歳で、私の六つ上、姉様の二つ上だった。


「五歳の頃から、一人旅をしてるんだ。」

怜燈さんは、少し悲しそうに笑った。

金色の髪に紅の髪紐が映え、綺麗だった。

だけど、私を見る目に同情の色はなかった。


怜燈さんはいくつかの草を持ってきてくれた。

それは薬草だった。

見覚えのあるものが多かった。


「怜燈さん。それ少しでいいからください。」

「いいよ。最初からそのつもりで持ってきたんだ。」


私は怜燈さんに頼んで、薬草を貰った。

姉様にあげよう。

そうしたら、きっと姉様は元気になる。

そう信じた。


薬草をすり潰していると、姉様が慌てて洞穴から出てきた。

「大丈夫?」と聞くと、

姉様は朱のさした笑顔で優しく「ありがとう」と言い、腕を広げてくれた。

私は思わず姉様に飛びついた。

そして今までの想いを押し流すように、声が枯れるまで泣き続けた。


しばらく経って、怜燈さんが私達の様子を見計らい、そっと話しかけてきた。

「私と一緒に行かない?」


私達は顔を見合わせた。

私は状況がよくわからなかった。

けれど、二人だけでいるよりきっといい。

そう思い、頷いた。

姉様も似たような事を考えたらしく、首を縦に振っていた。


私達は怜燈さんと一緒に旅をすることにした。

ただ、すぐには体力が戻らないと判断した怜燈さんは、出発を少し遅らせてくれた。

洞穴の中は雨の匂いがした。


「姉様!温かいね!」

嬉しそうな私とは対照的に、姉様はどこか不安そうだった。


怒らない人は、いい人。

水をくれる人は、いい人。

じゃあ怜燈さんは、いい人だ。

多分?ううん。あってるはず!

そう思った。


私は怜燈さんに頼んで、姉様と話をしてもらった。

そう頼んだ時の怜燈さんの目は、笑っていたけど、何も映っていないように見えた。

その後、姉様はまた笑ってくれるようになった。


桜色の道ができる頃、私達の旅はゆっくりと始まった。

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