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イマジナリー・ポッキー

【十一月十一日】


今日は十一月十一日の六十六時前である。

誰が何と言おうと、十一月十一日の六十六時前である。


あの日の選択を間違えて、前に進むことのなくなった彼らとおんなじに。未だに明日は訪れていないのだ。



ここまでの長ったらしい 言い訳の中で君が知るべきことは、本話は本編の起の部分で主人公がある選択を取った場合の、イフに過ぎないということである。

 ポッキーゲーム、というものがあるらしい。

 それは、青少年特有の性欲が、キラキラとした少女漫画だとかなんだとかによって美化された、何とも言えぬ痴態。そもそも一つの菓子を二人で咥えること自体、品がないとは思わないのだろうか。その様、獲物を奪い合う獣の如く。

 ……とは、言い過ぎかもしれないけれど。


「ねぇ、ポッキーゲームしようよ」

「嫌だね」


 僕がするのだけは、勘弁したい。


 ◇◆◇


 彼女が僕の家に居つくようになって、三か月は過ぎた。そう言うと短いようにも聞こえるが、一年の四分の一。つまりは一つの季節を共に過ごしたことになる。

 すっかり我が物顔の彼女。食器棚にはいつの間にか小洒落た食器があって、風呂場にはシャンプーのボトルが二つ、ノズルを逆向きにして寄り添って。この小さなワンルームの匂いが、少し変わったようにも感じる。

 甘い、ちょっと胸焼けするくらいの、腐りかけの果実の気配。

 僕はそれが嫌いではあったけど、なぜか口に出して言おうとは思わなかった。


「ただいまぁ」

「んー」


 玄関から入り込んだ涼やかな空気が、みじかな廊下を通ってベッドで寝転がる僕のところまでやって来る。首を巡らせれば、コンビニの袋を持ち上げてみせる彼女がいた。秋の昼間にしてはもこもこと着ぶくれた彼女は、こちらへ向かって歩きながらも脱皮していく。マフラーに持ち上げられた茶色のボブが、ふわりと広がった。


「今日もビール買ったのか」

「むぅ、ひどいなー。わたしそんな、お酒にしか目がない飲んだくれじゃないもん」

「へぇ、じゃあ今日は何を買ったんだ?」

「コンドーム」


 もう、何を言っていいのかわからない。呆れを視線で彼女に伝えてやると、何を受信したのか得意げにレジ袋をがさがさとやる。取り出だしたるは超極薄。紛れもないコンドームだった。


「お前なぁ……」

「うん、なぁに?」


 だって、使うでしょ。そう言わんばかりに得意げな笑みに腹が立ってしょうがない。


「それ、結局は酒とセックスしか頭にないビッチってことじゃないのか」

「失礼な! そんなの、君だって変わらないでしょ?」


 投げて寄越すコンドームの箱をそのまま叩いてやった。


「一緒にするな。僕はお前と違って、大学に行ってる」


 ぽとりと、落ちる。彼女の視線がそれを追う。うっすら笑いを残した顔が、だからこそ危うげ。


 あぁ、この生活もいよいよ終わるのか。

 そう思った。そう思っただけ。どう感じるでもなく、心は真夜中の海みたいに、空恐ろしく静かだ。

 僕はそんなに、冷たい奴だったか。


 彼女は僕の寝転がるベッドの脇までやってきて、そこに敷きっぱなしの彼女の布団から、そっと箱を拾い上げる。コンドームなんかを、さも大事なものであるかのように拾い上げる。


「大学の話は、無しにしようって言ったじゃん」

「……そうだった」


 僕が彼女を泊めてやる代わり、彼女がなぜ大学に行かないのか、それを僕は追及しない。なし崩し的に同棲し始めた僕らの、たった一つの契約。

 彼女はまだ、その契約を破棄しないつもりらしい。だから、僕は彼女の泣きそうな視線は見ないことにしてやった。


 だって彼女はどうせ――


「さて! そうとなれば、罰ゲームが必要です」

「そっか。頑張ってな」

「何言ってんの? 君が、というより君もやるんだよ」


 言うなり、彼女は何かを勢いよくレジ袋から取り出した。お菓子売り場に行けばとりあえず見かける、赤いパッケージ。そういえば今日は、十一月の十一日だっけ。

 ニヤニヤとする彼女に先程までの空気はすでにない。ねちねちと昔のことにこだわり続ける女は嫌いだが、これはこれでなんだか気にくわない。


「ねぇ、ポッキーゲームしようよ」

「嫌だね」


 ◇◆◇


 自分で自分の尻も拭けないような大学生は嫌いなんでしょ?

 当然理論武装を始めようとした僕であったが、すでに毒を飲んでしまっている僕に勝ちの目なんてあるわけもなく。めでたく無条件降伏を果たした僕は、彼女の布団に胡座をかいている。


「キスなんて、腐るほどしてるじゃないか」

「わかってないなぁ。そんなんだから、彼女できないんだよ?」

「なら言い返すけど、そんなんだから彼氏できないんだ」


 もはや恥ずかしげもなく、僕の目の前で部屋着のスウェットに着替える様を指して言ってやったのだが、彼女はこともなげになっはっはと笑い飛ばす。

 そしてそのまま、どっかりと座り込んで、コンビニ袋に手を伸ばす。


「じゃ、やろっか。ポッキーゲーム」

「いや、それはおかしい」

「えぇ〜? 君もやるって認めたでしょ?」

「いや、そうではなく」


 そんな眉根を寄せて、本気で怒られても困る。一体この世のどこに、ポッキーゲームをやると言いながら缶ビールを手に取る女がいる。ここだ。

 彼女も彼女で、何やらズレがあることに思い至ったらしく。僕と手に持った缶ビールを見比べて、言った。


「ごめんごめん。はいこれ、君の分」

「いや、もうこれただの家飲みだろ」


 もう一本の缶ビールを取り出して、ずいっと押し付けてきた彼女がきょとんとする。そのまま、見つめ合うこと数瞬。


「なっはっは! ポッキーゲームなんて、素面で出来るはずないじゃん!」

「あぁ、そうですか」

「君、意外と乙女ちっくなんだね。…………ふっ、くふふっ」

「--悪かったな乙女ちっくで!」


 やけくそで缶ビールをひったくる。彼女は満足げに笑みを深くして、自分の缶ビールをぷしゅり。そのままぐいっと豪快に煽る。僕はそんな彼女を見て、自分の手の中の缶ビールをどんっと布団に置く。


「飲まないの?」

「勝ってからじゃないと、勝利の美酒にならないだろ」

「ふぅーん、敗北の苦汁にならないといいねぇ」

「僕にとっちゃ、ビールなんて元からただの苦汁だから大丈夫だ」

「じゃあ、やろっか」


 彼女は手早くポッキーの箱を取り出して、一本を咥えた。

 桜色の唇に挟まれ、棒が揺れる。そのままこちらに顔を突き出す彼女は、お好きにどうぞとばかりに目を瞑った。あまりに無防備なもので、思わずたじろいでしまう。


「ふぉうひはの?」

「髪、食ってるぞ」


 しかし、たじろいでしまったことを認めてしまうのは癪だから。誤魔化すように、彼女の口に入った茶髪の一筋を指ではらう。くすぐったそうに笑う彼女は、今度こそとばかりにポッキーを突き出す。

 ならばと僕も顔を近づけると、その気配を感じたのか、彼女の睫毛がぴくりと動いた。

 いつもうるさい彼女がこうしおらしいのは、不思議な感覚だ。普段は何とも感じちゃいないが、こうしてみるとやはり、彼女は可愛い。


 沈黙。


 彼女の頰に赤みがさしている。酒が回ってきたに違いないが、心の隅で彼女が恥じらっているのではと囁く声があって。僕の頰まで熱くなる。


「まふぁ?」


 急にかけられた甘え声に、心臓が縮み上がる。そうして、自分の心臓の音に気づいた。興奮とは違う何か。


 その鼓動に背中を押されるように、僕は口を何でもないチョコ菓子に寄せていく。


 それは彼女と生活する中で、交わる中で感じてきたものとは違って。そう、あの爛れ切った甘ったるさとは違う。


 そして、唇に触れた時に気づいた。


 --あぁ、これは『甘酸っぱい』んだ。


 気づいてしまえば、耳障りなあの音はなくなっていた。一気に半分ほどを口に含んで、そのまま噛み折る。

 彼女は目を見開いて、とりあえずは自分の口からぶら下がったポッキーをリスのように少しずつ食べてから、僕に聞いた。


「ねぇ、ポッキーゲームのルール知らないの?」

「いいや、知ってる。でも、やってられないなって思って」

「うそぉ、恥ずかしかっただけのくせに」

「言っとけ」


 吐き捨てながら、脇に置いた缶ビールを拾う。いつの間にかぬるくなっていたそれを、彼女よろしく一気に煽る。


 そう、やってられなかった。

 地面に一緒に転がって、腐乱し切った果実であるところの僕らには。立派に実った甘酸っぱい果実なんて毒にしかならない。嫌でも自分の醜さに気づくだろう。


 ビール独特のえぐみをポッキーで紛らわし、さらにもう一本のポッキーを取り出して、彼女に突きつける。


「三本勝負だ。次は僕が勝つ。君の口の中のまで食べ尽くして、僕が勝つ」

「うわぁ、変態だー」

「でも、やるんだろ」

「そりゃあもちろん」


 本当にもう。こんなこと、素面なんかじゃやってられない。

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