19 エピローグ
夜は深く、城はようやく静けさを取り戻していた。
成人の儀――そして、あの洞窟の崩落から数日。瓦礫に埋もれた祭壇の再調査は、未だ計画すら定まっていない。
リオンは自室の机に肘をつき、一枚の金属片を指先で転がしていた。魔鉄で作られた、重みのあるコイン。
芽理の宮を知る家臣に見せたところ、知識閥の最高責任者の賢人、その直下組織の紋章だという。
同年代。だが、あのメナスという男の背後には、積み上げられた年月と体系がある。
学びに来い――。あの言葉は軽くなかった。
自分は剣を振るってきた。戦術書も読み込んだ。実戦も経験した。
それでも、洞窟で思い知らされた。今できる努力だけでは届かない領域がある。
経験を積めば、いずれ至れるという種類のものではない。
何が足り開花まではわからない。だが、少なくともその答えがそこにはある気がした。
ならば、行くべきか。
だが領を離れる時間をどうねん出するか。
違う。今は次期領主として、準備の時期だ。むしろ、今こそ行くべきなのではないか。
だが――。決断を下す前にどうしても気になることが。
思考は円を描き、出口を見つけられない。
そのとき、控えめなノックが響いた。
「――入れ。」
扉が開き、イヴが静かに室内へ入る。
灯りに照らされた横顔はいつも通りだ。だが、わずかに硬い。
「お時間をいただけますか。」
リオンは頷く。
扉が閉まり、一定の距離を保ったまま彼女は立つ。
短い沈黙のあと、イヴは話し始める。
「洞窟で、杯の水を飲んだ後のことです。」
リオンの視線が、わずかに動く。
「私は、ある光景を見ました。」
淡々としている。だが、言葉の奥に緊張がある。
「自分が死ぬ場面です。」
部屋の空気が変わる。炎が小さく揺れた気がした。
「戦ではありません。病でした。長く伏せ、静かに終わるようです。」
「戦地ではないのか。」
リオンの問いにイヴは小さくうなずく。
「そして、傍らには妹君がいました。」
その瞬間、リオンの表情が初めて動く。
「俺は?」
イヴは一瞬だけ視線を落とし、すぐに戻す。
「――いませんでした。」
断定でも否定でもない。部屋に沈黙が落ちる。
やがてリオンは、ゆっくりと口を開いた。
「俺も見た。」
リオンは、そのまま語る。
夜明けの城門。旗が焼け落ち、怒号が飛び交う。
自分は未熟ではなかった。剣は冴え、魔法も扱えていた。今とは明らかに違う動き。積み重ねた時間があった。それでも届かなかった。
あの女――洞窟の頭目。刃を重ね、火花を散らし、互いに血を流しながらも、最後の一線で及ばない。首が落ちる感触まで、妙に鮮明だった。
イヴは目を逸らさない。
「それは、近い未来ですか。」
「わからない。だが、15年よりかは短いだろうな。」
イヴはわずかに息を吸う。
「城門を落とす規模――他領からの侵略。と考えるべきですかね。そうするとあの賊の女は―。」
「外敵なら港か平原で迎え撃つはずだ。前線に私が出ていないのは不自然だ。」
リオンは途中で遮る。対話を通じて自然に思考が巡る。口にするか一瞬の逡巡の間がある。
「奇襲――もしくは内通者。組織を率いる者の離反。そういう筋になるんだろうな。」
口に出すことで輪郭がはっきりする。
「杯が見せた景色は、結果だけです。因果ではありません。」
イヴの声は抑えられているが、揺らぎはない。
「そうだな。あれは警告ではなかった。」
リオンは小さく息を吐く。あれは、既に刻まれた出来事を覗いたような感覚だった。変えられない“点”。
だが――。
「見えていない部分は違う。」
リオンの声は確信していた。未来の一点が固定されているとしても、そこへ至る道は無数にある。同じ結末でも、そこに至る意味は変わる。
リオンは立ち上がり、窓辺へ歩く。夜風がわずかに入り込む。
「俺が迷っていたのは、妹のことだ。」
背を向けたまま、言葉が落ちる。
「自分が死ぬ未来は構わない。だが、その先が見えない。俺がいなくなった後、あいつがどうなるのか。」
拳がわずかに握られる。
「準備をしたい。失敗なく。取りこぼしなく。」
領主となる前の猶予。芽理の宮へ行けば、その時間を削ることになる。
だが行かなければ、あの洞窟で痛感した“届かない領域”に手を伸ばす機会を失う。
沈黙ののち、イヴが口を開く。
「――私が見た未来では、妹君は――ソフィア様は生きていました。」
先ほども告げた言葉。だが今は、より明確な補足が添えられる。
「穏やかな場所でした。映像の中の私の手には、少なくとも六十歳を越えたような皺が刻まれていました。」
短い未来ではない。長い歳月の果ての情景だった。
リオンは振り返る。妹は生き延びる未来がある。ならば――。
「俺が死ぬことと、領が滅びることは同義ではないかもしれないな。」
自分の終わりと、国の終わりは直結しない可能性がある。
それは、わずかながらも救いだった。
再び静寂が落ちる。やがてリオンが決断を言葉にする。
「イヴ。君に妹の――ソフィーの護衛に転属してもらう。」
一瞬の間。
「それと、ラルはそろそろ表舞台から退く頃合いだ。盤外の駒として動いてもらう。内部を探る役目だ。」
内通の可能性。あの未来の城門を思えば、放置できない。
イヴは迷わず片膝をつく。
「ソフィア様の護衛、命を懸けて務めさせていただきます。」
そこに感情の昂ぶりはない。だが、揺るぎない忠誠がある。
リオンは短く頷く。
「頼む。」
やがてイヴは静かに部屋を辞す。扉が閉まる音が、夜に溶けた。
ひとり残されたリオンは、机上の金盤を手に取る。
冷たい金属の重み。未来は見えた。だが、すべてではない。
窓の外では雲がゆっくりと流れ、隙間から星がひとつ顔を出す。
夜は深い。だが確かに、どこかで夜明けへと時間は進んでいる。
その足音はまだ小さい。だが、止まってはいない。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
19 本儀
ピシア家が行う成人の儀とは異なり、霧の聖女が持っていた力を封じ、同時にその一部を伝承するための儀式を指す。霧の聖女が起こした三つの奇跡になぞらえ、三か所の祭壇によって構成されていると伝えられている。それぞれの祭壇には対応する聖女の力が封じられているとされている。
この儀式について記されているのは「異伝」と呼ばれる非公式の文書である。そこに書かれている内容は、一般に語られる聖女の奇跡譚とは大きく異なり、聖女が行った数々の判断が極めて現実的なものであったことを示している。そのためこの文書は教団によって厳重に管理され、広く知られることはない。
異伝によれば、霧の洞窟には未来視の力が保存されているという。しかし、その力は時代の流れとともに弱まっている。元来の力は、自身が死んだ先の未来までも思うがままに見通すことができたとされるが、現在継承されている力はそこまで強いものではない。儀式によって得られるのは、本人の潜在能力に応じて、自らの死までの限られた時間の中でいくつかの未来の断片を映像として垣間見る力に過ぎない。




